34-8849

商品番号 34-8849

通販レコード→英ワイドバンド ED2 盤

戦場で拾った生命と愛 ― 若き日のルチアーノ・パヴァロッティが〝キング・オブ・ハイC〟という名声を勝ち得たレコード。レコード・ジャケットが美空ひばりに見えそう。わが国では、花王石鹸 と揶揄され酷評された同郷ジョーン・サザーランドの夫リチャード・ボニング。夫婦共々、わが国では高い評価を得るに至ってはいないが本場英国では圧倒的な人気を誇っていた。その証左として夥しい数のバレエやベルカント・オペラを名門、英 Decca 社が発売している。英国では、ドニゼッティ、ベッリーニ、ロッシーニのベルカント・オペラは、ライバル英 EMI 社のカラス盤と双璧をなすと言っても過言でない。このオペラ中には〝ハイC〟を連続9回歌う非常に難しいテノールのアリアが聞きどころですが、一気に全2幕、約2時間の全曲を聴き終えて最も印象に残ったのはサザーランドの表情付けの自在さ。200年前、1815年頃におけるナポレオン戦争の時代。ヒロインのマリーは幼い頃に両親と生き別れ、フランス軍の連隊に育てられる。美しい娘に育ったマリーは連隊の酒保で働いていた。そこに行方不明の姪を探しにやってきた公爵夫人の目に止まる。そんな最中、ずっと気になる存在だったマリーの姿を求めて連隊の周囲をうろついていたトニオが、スパイ容疑で連れられてくる。再会はつかの間、マリーは公爵夫人に引き取られて公爵邸の有るパリで住むことになる。スパイ容疑が晴れたトニオは軍隊に入隊。数年が経過した第2幕では、トニオは大尉に昇進していた。貴族との結婚が決まったマリーとめぐりあい、貴族との結婚を思いとどまらせようと求愛する。結婚証明書を見て公爵夫人こそが実は本当の母親だったことを知ったマリーは、母の意思を尊重するとトニオの求婚を断る。そのことを知った侯爵夫人は、その誠意に打たれマリーの愛する人と結婚しなさいと言ってトニオを指名するのでした。フィナーレの後、しばらく余韻に取り残された。サザーランド全盛期の録音で、彼女の圧倒的なコロラトゥーラが最大の聴きもの。でも、圧倒的な歌唱に感銘する以上に舞台での表情が見える感じなのです。しかも、渾身を奮って歌いきったというのでなく、もう一度余裕で歌えそうなのが ― 全盛期のレコード録音ということも有るでしょうが ― 他のソプラノで聴いた時とは違います。オペラより歌に感銘し、美空ひばりのステージから受けた歌への感情移入と、多彩な表情付けの濃厚な内容であるながら終わった後に聞き手には負担を感じさせない感動に似ている。その理由は、マリア・カラスとは異なり高音域から低音域まで力強く、且つ斑の無い美しい声で困難な装飾歌唱を軽々と歌いきっているところにある。DVDでライヴを追体験するのと違いレコードで音のみに耳を澄まして聴くことで、その素晴らしさが解ると思います。そのサザーランドを支えたのが、ボニング。本盤は、そのボニングの資質を垣間見ることが出来る格好の一枚。
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リチャード・ボニング(Richard Bonynge)は1930年、オーストラリアのシドニー生まれの指揮者。ジョーン・サザーランドとのおしどり夫婦は有名。ドイツ系のレパートリーは中心には据えていないが、モーツァルトやウィンナオペレッタには比較的熱心であり、DECCAには夫人とのオペラ録音があります。 一方、バレエ音楽の指揮も得意としており、DECCAには珍しい曲目を含めて多数のバレエ音楽録音があります。生地でピアノを学び、14歳でグリーグのピアノ協奏曲を弾いてデビュー、ピアニストへの道を歩んでいた。1950年に渡米、ロンドンの王立音楽院に留学、ロンドンでピアノのリサイタルを開く一方、同じオーストラリアから王立音楽院に留学していたソプラノ歌手、サザーランドとの出会いによってオペラの世界に魅せられ、指揮者に転向する。1954年、名ソプラノ歌手サザーランドと結婚、伴奏者兼ヴォイス・トレーナーを務めながら、ベル・カント・オペラの研究を続ける。この方面で忘れられていた作品の復活蘇演に尽力している。またワーグナー・ソプラノを目指してソプラノ歌手を目指したサザーランドにコロラトゥーラに転向するよう助言したのもボニングで、ロイヤル・オペラ・ハウスが夫人サザーランドにワーグナーやリヒャルト・シュトラウス作品の役を与えようとした時、ボニングは歌劇場当局に抗議したという。1962年にローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団で指揮デビュー、1963年にはヴァンクーバー歌劇場でグノーの歌劇『ファウスト』を振ってオペラ・デビュー、さらにその翌年にはロンドンのコヴェントガーデン王立歌劇場、国際的な活動を開始し、オペラ指揮者として不動の地位を獲得する。1970年にニューヨークのメトロポリタン歌劇場にデビュー、ヴァンクーバー歌劇場を経て、1976~85年シドニー歌劇場の音楽監督を務めた後、フリーとして活躍、バレエのスペシャリストとしても知られている。1975年にメトロポリタン歌劇場に帯同して初来日、1978年にもサザーランド夫人のリサイタルの伴奏指揮者として再来日している。
1967年7月にロンドン、キングズウェイ・ホールでの録音。製作陣もミヒャエル・ウールコック&ジェームス・ロックと三位一体。
GB 	DEC 	SET372-3	ボニング 	ドニゼッティ・連隊の娘
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