34-22850

商品番号 34-22850

通販レコード→英ワイドバンド WITH GROOVE "ORIGINAL RECORDING BY THE DECCA" ED1 盤[オリジナル]

私の主題は戦争であり、戦争の悲しみである。詩はその悲しみの中にある。詩人の為しうる全てとは、警告を与えることにある。 ― ブリテンはこの曲のスコア冒頭にこのような、詩人ウィルフレッド・オーウェン(Wilfred Owen, 1893〜1918)の一節を書き記している。第一次世界大戦の終結一週間前に、25歳の若さで戦死した詩人オーウェンの反戦詩をテキストに、第二次世界大戦の犠牲者のためのレクイエムとして作曲されたブリテンの傑作。この文は《戦争レクイエム》の持つ性格を端的に現しているだけでなく、戦争を二度と繰り返さない為の作者の深い祈りがこもっている。20世紀前半、ベンジャミン・ブリテンが作曲家として認められてきた頃、英仏とドイツの間で戦争が始まり、第二次大戦へと拡大する。第二次世界大戦中の1940年、ドイツ空軍の大空爆によって英国ウォリックシャーのコヴェントリーにある聖マイケル教会は破壊された。この空爆はその後「空爆で破壊する」という意味を持つ〝coventrate〟という新しい動詞を生み出すほどの有名なもので、いわばイギリス国民にとって第二次世界大戦を象徴すると言っても過言ではないほど悲惨な体験の一つであった。ブリテンは有名な反戦主義者で第二次世界大戦の兵役を拒否してアメリカに滞在したために、戦後イギリスに戻っても英国王室から「サー」の称号を貰えなかった唯一の著名なイギリスの作曲家である。1962年5月に新たに建立された大聖堂の献堂式を行うために、この教会の委嘱を受けたことによってブリテンは1960年後半から、作曲中であった他作品を中止してこの作品に取り組み、1961年12月に完成させた。そして予定通り1962年5月30日の献堂式に初演された。《戦争レクイエム》は、従来の、教会における死者のためのミサ曲を、ただ踏襲したものではない。第二次世界大戦ヨーロッパ戦線の中心的交戦国だった、ソ連のソプラノ、ガリーナ・ヴィシネフスカヤ、イギリスのテノール、ピーター・ピアーズ、ドイツのバリトン、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ ― 戦争の恐怖と被害を身に沁みて体験したこれら三国の最も優秀な歌手を一堂に集めることを初めから考慮して作曲した。《戦争レクイエム》は戦争の悲惨を奏し、これを告発する。真の和解を確認して平和への誓いを固めたいという願いで歌う。折りしも1962年といえば冷戦の真っ只中であり、そうした時代に初演を迎えるからこそ意義のあった。フィッシャー=ディスカウは、演奏会で「奇妙な出会い」を歌いながら、感動のあまり落涙したほどである。「死んだ友人達、辛かった過去が心に呼び起こされた。」とフィッシャー=ディスカウは語っている。聴衆はどのように受け取ったのだろうか。日本初演は1965年、読売日本交響楽団が行い、ディビット・ウィルコックスが指揮をした。会場となった東京文化会館は満席だったというから、前年に東京オリンピックが行われ〝戦争の昭和〟から〝平和の昭和〟へのケジメとなった象徴的なレクイエム。作曲者のブリテンがロンドン交響楽団を指揮し録音した歴史的名盤。レコードのステレオ録音は、英国DECCAが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。 この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。その最新レコード技術と同時代に発表された現代音楽。20世紀最高の声楽作品と言われるこの曲の初演者のメンバーによる記念碑的録音。〝名曲、名演奏、名録音の貴重なレコードだ。〟と長岡鉄男外盤A級セレクションに選ばれている、第1回レコード・アカデミー賞の大賞を受賞した永遠の名盤。
水を打ったような静けさのピアニシモと、怒涛のように押し寄せ爆発するフォルティシモ。ソロと、3組のコーラスとオーケストラとオルガンの重なりが充分な厚みと距離を持って再現され、音のうねりがわかるような録音だ。超低域はゼロではないがやや不足、しかし、グランカッサ(大太鼓)は力強く,弦は繊細、ソロは鮮明でソリッド、コーラスは人数がよくわかり、しかも薄っぺらにも、ヒステリックにもならず、優秀録音盤といえる。名曲、名演奏、名録音の貴重なレコードだ。なお、音からだけの想像だが、コーラスの衣装は全員、黒一色のように感じられる。あるいは照明が暗いのかもしれないが。 ― 長岡鉄男(1926〜2000)外盤A級セレクション・共同通信社刊
1962年に初演され、やがて60年になろうとする《戦争レクイエム, War Requiem》は、コヴェントリーを始め、ロンドン、ベルリン、広島、東京ほか、様々な場所で演奏され、反戦メッセージ ― 戦争には勝者や敗者はなく、それに関わったすべての人々が不幸であり、それを認識することが、死者の魂を慰めることになるのだというベンジャミン・ブリテンの考えを伝えてきている。明治新政府は国民に教育を義務化し、指導はコントロールに転じ軍国国家となっていった。《戦争レクイエム》は、『シンフォニア・ダ・レクイエム』のテーマを、さらに追及したものである。第二次世界大戦が勃発した時代。日本は中国へ侵攻しつつも、まだ第二次大戦に参加はしていなかった。この時期、日本政府が、日本の皇紀260年奉祝曲を各国作曲家に依頼しているという話を聞き、その委嘱をブリテンは受けた。ドイツとの戦争の色が濃厚になる1939年4月、この戦争を避けるためにイギリスをあとにしたブリテンは、ニューヨークに渡っていたが、次第に生活費に困るようになる。そうした折のことだった。ブリテンは『シンフォニア・ダ・レクイエム』を委嘱作品として書いたが、日本政府からは「神武天皇ノ神霊ヲ讃フル奏祝楽曲ノ内容ヲ有セザル節」との理由で演奏を拒否された。1940年頃には、反戦主義者として生きることを既に自覚していたブリテンの『シンフォニア・ダ・レクイエム』は、両親の死を悼んで書いたものではあるが、結果的に、日本軍国主義を批判したものとなった。オーケストラ作品であり歌詞は持たないが、音自体が焦燥感を持ち、戦争の恐怖と言い知れぬ不安感をもたらす。第1曲「涙の日」では、明らかにティンパニの響きは爆撃音である。両親の魂の安らぎを求めるだけではなく、既に《戦争レクイエム》と共通する不穏な響きに満ちている。彼は、この曲を出来る限り戦争反対ということで作ったと述べ、また、この曲を書いたことにより、より戦争反対の信念が強まったとも言っている。その通り、この曲は《戦争レクイエム》を予告したものになる。その経緯として、1945年、広島に原爆が投下されたときには、ロナルド・ダンカン(Ronald Duncun, 1914〜1982 詩人、脚本家、作家)とともに、オラトリオ『わが過失』を書いている。ダンカンが、この野蛮な行為への抗議として、ブリテンに作曲を促したのものである。ブリテンは日本軍国主義を批判する一方で、日本の原爆の災禍と原爆投下の道義的責任をも音楽で評言した。同年、オペラ『ピーター・グライムス』がロンドンで初演された。この作品も冤罪や虐待、そして強者と弱者の関係を内容とし、ブリテンの社会的弱者に対する思いが込められている。彼は中産階級出身で、英国の激しい階層差別からは無縁であったが、本来、優しく繊細な性格であり、暴力への嫌悪感が強かった。彼は徹底した反戦主義者として、生涯を貫いた。社会的弱者に目を向け、当時の社会常識に音楽を通して疑問を突きつけた。1948年のガンジーの死には大きな衝撃を受け、できればレクイエムのような形式で曲を書きたいと意欲を以って、1962年に書いた《戦争レクイエム》は戦後最高の反戦の楽曲として世界中で演奏されている。コヴェントリー芸術協会は、英国の復興・連合国の勝利を示すものととらえた。しかし、こうした考えに対してブリテンは異議を唱えた。勝利者としてのイギリスを祝うのではなく、被害者は加害者にもなり、戦争はあらゆる人々にとってただ、悲惨な結果をもたらすことを示した。お互いに痛みを分かち合うことで人々に平和がもたらされることを示唆した。そして、聴衆がそのことを感じ取ったからこそ、この曲は胸を打つものとなった。ブリテンの《戦争レクイエム》は、死者の魂の安静を願うというより、むしろ、意図的に反戦を表しているものである。
第2次世界大戦の潜水艦技術が録音技術に貢献して、レコード好きを増やした。繰り返し再生をしてもノイズのないレコードはステレオへ。ステレオ録音黎明期1958年から、FFSS(Full Frequency Stereo Sound)と呼ばれる先進技術を武器にアナログ盤時代の高音質録音の代名詞的存在として君臨しつづけた英国DECCAレーベル。レコードのステレオ録音は、英国DECCAが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。 この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。英DECCAは、1941年頃に開発した高音質録音ffrrの技術を用いて、1945年には高音質SPレコードを、1949年には高音質LPレコードを発表した。その高音質の素晴らしさはあっという間に、オーディオ・マニアや音楽愛好家を虜にしてしまった。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英DECCAはLP・EPにて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でもLP3枚分の録音が同月28日まで続いた。そしてついに1958年7月に、同社初のステレオレコードを発売。その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとしてffss(Full Frequency Stereophonic Sound)が使われた。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売し、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。
  • Record Karte
    • Soprano – Galina Vishnevskaya
    • Tenor – Peter Pears
    • Baritone – Dietrich Fischer-Dieskau
    • Choir – Highgate School Choir, The Bach Choir
    • Chorus – London Symphony Orchestra Chorus
    • Directed By [Highgate School Choir] – Edward Chapman
    • Chorus Master [Bach Choir], Chorus Master [Lso Chorus] – David Willcocks
    • Ensemble – Melos Ensemble
    • Organ – Simon Preston
    • Orchestra – London Symphony Orchestra
    • Composed By, Conductor – Benjamin Britten
    Producer [Recording] – John Culshaw, Engineer – Kenneth Wilkinson, Recording location: Kingsway Hall, London, 3-5, 7, 8 & 10 January 1963.
  • GB DEC SET252-3 ブリテン ブリテン・戦争レクイエム
  • GB DEC SET252-3 ブリテン ブリテン・戦争レクイエム
  • GB DEC SET252-3 ブリテン ブリテン・戦争レクイエム
ブリテン:戦争レクイエム
ブリテン(ベンジャミン)
ユニバーサル ミュージック
2017-04-26