34-17828
商品番号 34-17828

通販レコード→英オレンジ金文字盤[オリジナル]
20世紀最大のプリマドンナ ― 第二次世界大戦後の世界の歌劇界に、戦前のカルーソー、ダル・モンテ時代に優るとも劣らないイタリア歌劇黄金時代を築き上げたのは、レナータ・テバルディ、マリア・カラス、ジュリエッタ・シミオナート、マリオ・デル・モナコ、ジュゼッペ・ディ・ステファーノ、エットーレ・バスティアニーニ、アルド・プロッティなど、わが国にも馴染み深い歌手に負うところが大きい。中でもテバルディとカラスはオペラ界の両横綱ともいえる存在で、たとえ現在の実力が全盛時代ではないとしても、われわれの耳には、その美しい声と共にプリマドンナとしての貫禄からも忘れることの出来ないものとなっている。カラスがその類ない優れた演技力をもってイタリア古典歌劇から近代にいたる、又、コロラトゥーラからリリック、そしてドラマティックとソプラノの汎ゆる声質をこなしているのに反してテバルディはヴェルディ、プッチーニ、イタリア・ヴェリズモ派を中心とする作品に集中、リリコ・スピントのソプラノとしてイタリア・ベル・カント ― 美しく歌う ― を伝承している。継ぎ目なく2オクターブを斑なく歌いきる、その澄み切った「ビロードの声」と正確な発音。スケーリング、最上の劇的表現力に加うるに美しいピアニッシモ、巧みな声色の変化といったオペラ歌手としての必須条件全てが彼女の場合一体となって現れ、そこにわれわれを魅了している。カラスの歌には、どこか研ぎ澄まされた鋭い衡が感じられるとするならばテバルディのそれには憐愍のぬくもりが感じられる。このレコードに収められた12曲は、どれもテバルディのレパートリーを代表するもので、彼女の芸術を長く記念するためには最も相応しいものといえよう。
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あなたは天国からやって来た天使のように歌わなければいけないよ。
1950年代から1960年代にかけてのミラノ・スカラ座の黄金期に出演・活躍し、20世紀後半におけるイタリア・オペラの代表的ソプラノ歌手の一人といわれるレナータ・テバルディ(Renata Ersilia Clotilde Tebaldi, 1922年2月1日〜2004年12月19日)。1923年チェロ教師の娘としてロッシーニの故郷ペザロで生まれたテバルディは、パルマのボーイト音楽院にはいり、はじめピアノを学んだが、17歳の時、彼女の歌うのを聞いた教師のすすめによって声楽に転向、カルメン・メリスに師事した。1944年5月23日、ロヴィーゴでボーイトの歌劇「メフィストーフェレ」のエレナ役でデビュー。1946年スカラ座再開の時には名指揮者トスカニーニに招かれて出演、その後は文字通り世界のプリマ・ドンナ、ソプラノの女王として世界各地の大劇場に出演している。この24歳のソプラノを抜擢したのは巨匠アルトゥーロ・トスカニーニ。ヴェルディの『テ・デウム』の独唱と、ロッシーニの『モーゼ』からのアリア「祈り」を歌ったテバルディを、トスカニーニは「天使の歌声」と絶賛したのでした。テバルディは「イタリア・オペラの救世主になるだろう」と新聞評で賞賛され、彼女の前途に期待がかけられた。「あなたは天国からやって来た天使のように歌わなければいけないよ」と、その公演のリハーサルの際、トスカニーニが彼女に言っていたのだが、それまで無名だったこの若いソプラノ歌手は、この公演からまるで天使のように素晴らしい羽ばたきを始める。1961年NHKの招いた第3回イタリア歌劇団のプリマ・ドンナとして来日、『アンドレア・シェニエ』ではデル・モナコと、『トスカ』ではジャンニ・ポッジと共演、その素晴らしい演唱は未だわれわれの記憶に新しい。1956年に、その第1回公演を行ったイタリア歌劇団の日本公演は、1973年で7回をかぞえ、プログラムも数十曲に及ぶ多彩さであるが、その数多い思い出の中でも最も印象深いのは第2回(1959年)の「オテロ」におけるデル・モナコとティト・ゴッビの灼熱した舞台と、第3回(1961年)の「アンドレア・シェニエ」であった。今でも思い出すのは、牢獄から断頭台に牽かれてゆくシェニエと別れを告げるあの二重唱ほど、生涯忘れることの出来ないほどの強烈な印象を心の中に記したが、確かにデル・モナコとテバルディの灼熱的な二重唱は、当時聴き得た最高のステージであった。この時テバルディは「トスカ」も歌ったのだが、1メートル85もある長身のテバルディが、その第1幕で「マリオ、マリオ」とカヴァラドッシをたずねて聖アンドレア・デルラ・ヴァーレの寺院に入ってくる時の場面は、世界のプリマ・ドンナの登場に相応しい素晴らしき姿だった。
また、彼女は一貫して英デッカに録音を残したので、まさに彼女の黄金期の声を聴くことができる。録音はほとんどがセッションを組んでレコーディングされたものであり、そのため、モノラルの音源でも音質条件は良好、テバルディの美声を軸に贅を尽くして制作された数々のオペラ全曲盤に出演する個性豊かな共演者の声も、デッカならではの克明な音で聴くことが出来る。たとえばカタラーニの『ワリー』では気高い歌唱が今もって最高の評価を得ていますし、ヘルベルト・フォン・カラヤンとの『オテロ』はデル・モナコの強烈な歌唱はじめすべてが好条件の名盤という評判でした。1951年の夏、英デッカが計画したプッチーニのオペラ3作〈ボエーム、蝶々夫人、トスカ〉のレコーディングの主役に選ばれ、当時最新のメディアであったLPという後ろ盾を得たテバルディは、その名声を世界的なものとする一方、名実共にスカラ座のプリマドンナとなり、同じ時期に台頭したマリア・カラスとの間で伝説ともなっている熾烈かつ華麗な歌手としての戦いを演じ、“イタリア・オペラの黄金時代”と讃えられる繁栄を招来しました。1955年1月31日、スカラ座を去ったテバルディは、デル・モナコを相手役に『オテロ』のデズデモナ役でメトロポリタン歌劇場にデビュー、その後は世界最大のオペラ・ハウスを主舞台として活躍、1951年以来の専属だったデッカに得意の役柄を次々とステレオ録音し、その地位はもはや揺ぎないものとなっていました。発売時から高い評価を獲得してきた本盤は「ザ・ベスト・オブ・テバルディ」のタイトルからはLPレコード最盛期に在りがちなコンピレーションの印象を受けやすいが、歌劇場で共演した5人の指揮者、トゥリオ・セラフィン、フランチェスコ・モリナーリ=プラデッリ、フランコ・カプアーナ、アルベルト・エレーデ、ジャナンドレア・ガヴァッツェーニや、カルロ・ベルゴンツィやコーネル・マクニールとのゴージャスな共演。これぞ、饗宴と言い得る。テバルディの素晴らしい芸術の秘密は、その豊かな呼吸から得られるフレージングと、輝かしいまで艶のある声で作り出す声のドラマであろう。性格的にはクッキングが趣味であると答えるように、常に誠実さを貫き通すプリマ・ドンナである。
The Best of Tebaldi
  • Side-A
    1. プッチーニ「ボエーム」〜わたしの名はミミ(第1幕) Si Mi Chiamano Mimi (La Bohème - Act 1) – Puccini – Tullio Serafin with Carlo Bergonzi
    2. プッチーニ「ボエーム」〜さよなら(ミミの告別)(第3幕) Donde Lieta Usci (La Bohème - Act 3) – Puccini – Tullio Serafin
    3. プッチーニ「トスカ」〜歌に生き、恋に生き(第2幕) Vissi D'Arte (Tosca - Act 2) – Puccini – Francesco Molinari-Pradelli
    4. プッチーニ「西部の娘」〜ソレダートにいた時(第1幕) Laggiu Nel Soledad (La Fanciulla Del West - Act 2) – Puccini – Franco Capuana with Cornell Macneil
    5. プッチーニ「蝶々夫人」〜ある晴れた日に(第2幕) Un Bel Dì, Vedremo (Madama Butterfly - Act 2) – Puccini – Tullio Serafin
    6. プッチーニ「蝶々夫人」〜操に死ぬるは(幕切れまで)(第3幕) Con Onor Muore (MAdama Butterfly - Act 3 To End Of Opera) – Puccini – Tullio Serafin with Carlo Bergonzi
  • Side-B
    1. プッチーニ「トゥーランドット」〜お聞き下さい(第1幕) Signore Ascolta (Turandot - Act 1) – Puccini – Alberto Erede
    2. プッチーニ「トゥーランドット」〜氷のような姫君の心も(第3幕) Tu Che Di Gel Sei Cinta (Turandot - Act 3) – Puccini – Chorus of the Accademia di Santa Cecilia, Rome – Alberto Erede
    3. ジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」〜なくなった母を(第3幕) La Mamma Morta (Andrea Chenier - Act 3) – Giordano – Gianandrea Gavazzeni
    4. チレーア「アドリアーナ・ルクヴルール」〜わたしは卑しい召使です(第1幕) Io Sono L'Umile Ancella (Adriana Lecouvreur - Act 1) – Cilea – Franco Capuana
    5. チレーア「アドリアーナ・ルクヴルール」〜貧しい花(第4幕) Poveri Fiori (Adriana Lecouvreur - Act 4) – Cilea – Franco Capuana
    6. ボーイト「メフィストーフェレ」〜いつかの夜、海の底に(第3幕) L'Altra Notte In Fondo Al Mare (Mefistofele - Act 3) – Boito – Tullio Serafin
餅は餅屋で … というわけで、イタリアには「イタリア・オペラしか指揮しない指揮者」が大勢存在する。イタリア・オペラの泣かせるメロディをイタリア人指揮者が流麗華麗に歌わせる。その歴代最高の指揮者がトゥリオ・セラフィン(Tullio Serafin)である。1878年9月1日、ヴェネツィア近郊のロッタノーヴァ生まれの指揮者。1968年2月2日、ローマで没。ミラノ音楽院を卒業後、スカラ座のヴィオラ奏者を務める。1898年、フェラーラのテアトロ・コムナーレで指揮者としてデビュー、1909年にはミラノ・スカラ座の首席指揮者、音楽監督に就任する。1924年からメトロポリタン歌劇場で10年間は活躍したが、1934年からは再びイタリアに戻ってローマ歌劇場の音楽監督を務める。20世紀最高のイタリア・オペラ指揮者として広く認められており、多くの名歌手を育てることにも優れた手腕を発揮した。セラフィンの棒による演奏はイタリアの風土、イタリア人の体臭が匂い立つ。「ヴァイオリンがすすり泣く」とは、このことかと誰もが、そのドラマ性あふれる演奏に驚嘆し、一瞬の「間」に息を呑む。そして「ただの美しさ」とは異なる、身もだえするような美しさの虜になるに違いない。一度ヴェルディのオペラ『椿姫』の前奏曲(第1幕・第3幕)を指揮した彼の録音を聴いてほしい。一瞬たりとも音楽が弛緩することなく、歌手たちの歌も丁寧に引き立てていきます。イタリアにおいて初めてマリア・カラスの才能を認めた人物でした。こんにちの指揮者には、ほとんど見ることの出来ない態度ですがセラフィンは、指揮台の上の大スターではありませんでしたがオペラの各役柄の演奏についてじっくり熟考し、時間をかけてそれを円熟させていくことが出来たひとりでした。声の何たるかを知り、声がどう使われるべきかを知り演奏に関するさまざまなアイデアをもち、歌手が彼のもとへ楽譜をもっていくと、より豊かになって帰ってこられるような指揮者であり、カラスにとって芸術上の師であった。セラフィンは指揮者となる前、スカラ座管弦楽団のヴァイオリン奏者だった。声楽家ではない。にもかかわらず、人間の声というものを熟知し、1人1人の歌手について、どのようにトレーニングし、どのような曲をレパートリーにし、どのように歌うのがいいかということを見極めることが出来た。30歳前後でオペラ指揮者アントニオ・ヴォットーからトレーニングを受け、「椿姫」を録音したレナータ・スコットが「1950年代と60年代には、ヴォットーのほかにも、セラフィンを筆頭にグイ、ガヴァゼーニなどの偉大なオペラ指揮者がいて、その誰もがまるで〈父のよう〉に歌手を愛し、歌手が傷つかないように護ってくれました。彼らは歌手に間違った役柄を押し付けるどころか、けっして歌わせず、適正な役柄さえ、あまり早いうちには歌わせなかったものです。そして私たちに指導してくれる時にはテンポだの、『私についてくるように』ではなく、表現や言葉の意味について教えてくれたものです。」と回想している。
Orchestra Of The Accademia Si Santa Cecilia, Rome
GB DEC  LXT6030 レナータ・テバルディ 歌曲集
GB DEC  LXT6030 レナータ・テバルディ 歌曲集