34-19664
商品番号 34-19664

通販レコード→英オレンジ銀文字盤
音楽そのものとなってしまう ― 淡々とした時間が流れているのを楽しみたい時に良く選んで聞いています。小学6年生の時に、マツモトレコードで長考して買ったレコードでした。熊本の繁華街の一等地にあったマツモトレコードは東京で言えば銀座の有名レコード店のような存在。小学生にはクラシック売り場は神聖な印象でした。レコードは自由に試聴が許されていたので、馴染みになると入り浸っていましたがジャケットのデザインがとっつきにくそうだけど魅力を放っていたので決めました。最初に買ったクラシック音楽のレコードは、33回転のシングル盤。メンデルスゾーンとワーグナーの結婚行進曲が表裏でした。お小遣いで買ったのはブラームスの交響曲第1番。これは演奏家云々の分からなかった10歳の時で、誰でも良かった。《皇帝》はラジオで耳にして魅了されたのでした。そのラジオでの演奏家は記憶なく「ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番“皇帝”」ということだけ覚えて繁華街のレコード店に向かったのでした。専門店さもありなん。『皇帝』と仕切られたエサ箱には二十種類以上あったでしょう。バックハウスもカール・ベームとのレコードがありました。これを聴くと音楽の聴き方をリセットできています。思い入れはどうであれ、ヴィルヘルム・バックハウスのパワーと権威については疑問の余地がない。ドイツ・グラモフォンのスタジオにあったフルトヴェングラーの録音テープを持ち出すことだけでなくて、本盤も第2次大戦の混乱期に乗じて格安で敗戦国隣国オーストリアの財宝ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を制圧したのも英DECCA社の戦勝品とも云える。道義上はどうでも、本盤を聴く度に連合軍の勝利を素直に喜びたい。そして、英DECCA社はウィーン・フィル単体のセッションだけでなく、独奏者を仕立ててウィーン・フィルをバックにした数多くの協奏曲も制作した。鍵盤の獅子王と異名をとる日本でとりわけ人気の高いピアニスト、バックハウスによるベートーヴェンも高名なマエストロ用意してセッション組んだ本盤はそういう一枚。バックハウスのピアノ演奏は、言い尽くされている通り、特徴が無いのが特徴といえるでしょうか。要は、テクニックをひけらかすわけでもなく、その澄んだ音色ともあいまって、ひどくシンプルなのです。若い時の思い上がりを思い直して一生懸命強制に励んだ大演奏家もいましたが、バックハウスは人気絶頂の影で練習をする時間が保てなかったのでしょう。とあるパーティーで気乗りしてなさそうな若い青年にご婦人が話しかけた。『バックハウスさん、暇な時に何をしているのか?』と質問されて、『ピアノを弾いています』と答えたのは有名な話。まさにピアノ一筋の人で鍵盤の獅子王にふさわしいエピソードです。練習がしたくても、スコアを研究する時間が捻出できなかったのでしょう。只々スケールで指慣らしをすることが日課だったと伝わっています。でも、繰り返し聞いていると、何か、そのピアノが、まるで、融通無碍の境地で、自由に、ベートーヴェンの音符と戯れているように、静かな所は静かに、激しいところは激しく、聴こえて来るところが彼の魅力と言えるでしょうか。
ウィーンの生んだ名指揮者、クレメンス・クラウス(Clemens Krauss, 1893〜1954)は、大戦後、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やバイロイト音楽祭、ザルツブルク音楽祭のほか、バイエルン放送交響楽団、バンベルク交響楽団などに出演する多忙な生活を送っており、指揮活動のピークを迎えていました。余談ながら、1930年からはヴィルヘルム・フルトヴェングラーの後任としてウィーン・フィルの常任指揮者となったクラウスは、ベルリン国立歌劇場の音楽総監督、そして1937年から終戦までバイエルン国立歌劇場の音楽総監督を務めて、1941年から1944年までザルツブルク音楽祭の音楽総監督を務めるなど、映画「サウンド・オブ・ミュージック」が描くような、ブルーノ・ワルターやヘルベルト・フォン・カラヤンら多くの音楽家が翻弄している渦中にあって、これでもかというくらい独墺圏のポストを広く席巻してます。その反面、ウィーン、ベルリン、ミュンヘンというドイツ語圏の三大歌劇場の音楽監督を歴任した人にしては残されたクラウス自身の録音がとても少ない。そこにはベートーヴェンやブラームスはあまり得意ではなかったようだったことにも理由がありそうだが、モーツァルトやリヒャルト・シュトラウスでの独特の華やかでしなやかな音楽は現在聞いても、きわめて魅力的である。クラウスの棒によるシュトラウスは、ヨハンの方もリヒャルトの方も困ってしまうほど面白い。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の美質と言えば、他では聴けない管楽器群の響きの美しさと、弦楽器群の臈長けた美しさ、そして何よりも他のオーケストラでは絶対に聴くことの出来ない歌い回しの見事さあたりでしょうか。クレメンス・クラウスとウィーン・フィルのコンビならではの濃密な表現、そのどこまでもウィーン風な洒落た味わいは実に見事。尤も1939年に初めて〝ニューイヤー・コンサート〟を指揮したのは彼であり、1954年5月に亡くなるまで新年を迎える風物詩となったこの公演をリードし続けました。シュトラウス・ファミリーの音楽とウィーン・フィルを制したすべての指揮者の中で最も偉大な開拓者の一人といえばクラウスの名前が挙げられます。ウィンナ・ワルツのリズムに特有な高揚感を自由に操り、個人主義的で有名なウィーン・フィルの音楽家からも絶対の信頼を得ていた。クラウスの本流のシュトラウス演奏は、ウィーンの宮廷で日夜繰り広げられていた舞踏会の雰囲気を伝える「伝統の証言」でもあるのです。そしてクラウスの音楽の様式的な古さを顕わにしていることでもあるのですが、そのとろっとした響きの美しさこそは「これぞウィーン・フィル!」と思わせるものがあります。情緒的なルバートや伴奏に回る時も抑え過ぎないバランスはウィーン・フィルの特徴でもあるが、それ以上にクラウスその人の芸なのだ。微笑みたくなるような味わい、儚さから、熱っぽい粗削りなデッサンを見せるが、こうした幅の広さこそクラウスの芸術家たる所以であろう。
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏は、蓄音機時代から数多くレコードが聴かれ続けています。ブルーノ・ワルターとの田園交響曲やモーツァルト、マーラーは現代でも避けては通れない音楽遺産です。そうしたレコード発売を目的としたものではない大戦前のウィーン国立歌劇場のライブ録音が、たくさん残されていますがクレメンス・クラウスが資料的なものとして録音を認めたことから1933年から始まったもので、クラウスがウィーンを去った後も続き、1944年まで続けられたものです。テープレコーダーが実験段階だった頃で、SP盤への録音のため、せいぜい数分程度ずつの断片的なものでしたが、この時代にこれだけまとまった数の録音は非常に貴重。これだけでも貴族的な容姿さながら。この時代に登場する指揮者といえば、このクラウスをはじめ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ワルター、ハンス・クナッパーツブッシュ、カール・ベーム、ヴィクトル・デ=サーバタ、リヒャルト・シュトラウス、ロベルト・ヘーガー、ルドルフ・モラルト、レオポルト・ルートヴィヒ、フランツ・レハール、NHK交響楽団でお馴染みのヴィルヘルム・ロイプナー、フェリックス・ワインガルトナーなど、錚々たる面々。クラウスはウィーン少年合唱団を経て、ウィーン音楽院で学び、さまざまな歌劇場で指揮者として活躍、1929年、フランツ・シャルクの後を継いでウィーン国立歌劇場の音楽総監督に就任したのは、36歳の時。1歳下のベームが1回目のウィーン国立歌劇場の音楽総監督に就いたのは49歳の時、ヘルベルト・フォン・カラヤンが就任した時には48歳ですから、クラウスが生粋のウィーンっ子とは言え、いかに才能が高く評価されていたかの現れでしょう。しかも、クラウスが辞任した1933年をもって、ウィーン・フィルが常任指揮者制度を廃止しています。「ナチスの指揮者」というレッテルのために戦後はしばらく演奏活動が禁止されていましたから、戦後の録音はほぼ1950年からスタートしています。それだけに、新しく再開されるウィーンの国立歌劇場の音楽監督に自分が指名されることを、クラウスは疑いもしていなかったのでしょう。ところが、結果は、このような優美さと高貴さをたたえた指揮者ではなく、木訥な田舎もののベームがその地位を手に入れるのです。結局は、ベートーベンが指揮できないような指揮者がウィーンのシェフでは困ると言うことでしょうし、さらに言えば、何処まで行っても「ナチスの指揮者」という影が、新しく船出をするウィーンの国立歌劇場には相応しくないと判断されたのでしょう。そして、1954年の5月に演奏先のメキシコで急死した。
1953年6月ウィーン、ムジークフェラインザールでのセッション、モノラル録音。
GB DEC LXT5355 バックハウス&ベーム ベートー…
GB DEC LXT5355 バックハウス&ベーム ベートー…