34-5492

商品番号 34-5492

通販レコード→英オレンジ銀文字盤

試練を乗り越えた者の心にある、真の平和を描いている。 ―  ヴォーン=ウィリアムズの交響曲第5番は、1938年から1941年にかけて作曲された。この時期はオペラ「天路歴程(The Pilgrim’s Progress) 」に取り掛かっており、この交響曲もオペラから多くの主題が採られている。「天路歴程」は、17世紀後半、イギリスのジョン・バニヤンが書いた物語で、プロテスタント社会で最も読まれた宗教書とされている。滅亡の市に住む男が神の都への巡礼に出、「落胆の沼」や「死の影の谷」などに遭遇し、ある時は「虚栄の市」で投獄されるなど、いろんな苦難にあいながらも、信仰を持ち続けて遂に天国の都にたどり着くというもの。いわゆるイギリス郷愁たっぷりの映画音楽的ヴォーン=ウィリアムズ節。20世紀中庸に書かれた交響曲としては現代音楽の最先端を切り開いたというような曲でもないし、激しい緊張感や聴く者をぞっとさせるような奇怪なフレーズもないので、刺激に乏しく話題に登り難いのだろうけど、音楽は激しさや話題性だけで評価するものでもない。交響曲でさえ実演に触れることは滅多にないヴォーン=ウィリアムズなので、このオペラ上演に接することなど奇跡に近いだろう。しかし、ヴォーン=ウィリアムズの楽曲は膨大な録音遺産に恵まれている。このオペラと精神を同じくする交響曲第5番も、物語の基本であるキリスト教徒の遍歴の目的地である、天国の平和な幻想が色濃く反映されている。試練を乗り越えた者の心にある、真の平和を描いているのだ。このため交響曲第5番はヴォーン=ウィリアムズの交響曲の中でもとりわけ平和な雰囲気と、抒情的なフレーズに溢れている。特に第3楽章「ロマンツァ」はその傾向が強く、まるで映画音楽を聴いているようないい気持ちになる。この楽章には作曲家の肉筆スコアに「天路歴程」からの引用句が前置きされている。「この場所に十字架が立っており、少し前に聖墓があった。それから彼は『あの人はその悲しみによって私に安らぎを与え、その死によって私に生命を与え給うた』と言った」。何やら曰くありげな神秘的なムードにピッタリだ。本盤は1953年録音。交響曲第2、3、4、6番を初演するなど、ヴォーン=ウィリアムスの音楽を世に広めることをライフ・ワークとしていたボールト卿による録音となった。サー・エードリアン・ボールト指揮の1952〜1956年のモノラル録音が第1回のヴォーン=ウィリアムズの交響曲全集。作曲家存命中で、まだ第9番が作曲されていなかった頃で第1番から第8番となる。デッカならではの優れた技術により、モノラルとはいえディテールは克明で、なおかつ質感が良好に収録されているのも嬉しいところ。これぞイギリス音楽のイメージとぴったりの安定感と抒情を湛えた名演。ボールトというと、長命だったこともあってか、晩年の老成した演奏のイメージ ― 佇まいから受ける印象も、よくよく聴くと吟味された拘りがある。映画音楽的な音楽であろうと、ボールトはメロドラマに墜ちず、あくまで実直に曲のフレーズの存在感を高め、ハッキリとした印象を打ち出している。フォーマルの装いが体型にフィットサイズであることのみならず、ネクタイピンからカフスまで仕立てに含まれているようなものである。 ― が強いのですが、1950年代までの彼は、ときにかなりアグレッシヴな演奏もおこなうという、爆演も辞さぬ積極的な芸風の持ち主であったことはマニアにはよく知られています。この全集でも、名高いEMI盤にはない過激な表情、ヴァイタリティに富む音楽づくりが実に魅力的。これこそ、作曲者から認められ、初演を任されていた当時のボールトの芸風に近いもの、つまり作曲家の具体的なイメージに最も近い演奏ということになるのではないでしょうか。もちろん、ここにはEMI盤のような老成した佇まいはありませんが、この快活さ、ダイナミックでホットな雰囲気には独特の魅力があるといわざるをえません。
英国の巨匠サー・エードリアン・ボールトは「私は常に指揮をとるということは、船の船長になるようなものだと思ってきた。私には石油のドラムカンといっしょにころげまわる理由はまったくない」と言った。ボールトというと、長命だったこともあってか晩年の老成した演奏のイメージが強いのですが、1950年代までの彼は、ときにかなりアグレッシヴな演奏も行うという、爆演も辞さぬ積極的な芸風の持ち主であったことはマニアにはよく知られています。60歳代に録音されたDECCA盤は、パワフルなスタイルが印象的なものでしたが、70歳代の終わりから80歳代の始めにかけて録音されたこのEMIの録音では、DECCA盤とは対照的な切り口、泰然として動じない安定感が魅力的です。気張った部分や不要な感情移入を否定した、〝形〟としての立派さが、それぞれの作品に風格を与えているかのような雰囲気の良さが特徴的で、特に息長く張りのある大柄なフレージングは素晴らしく、風格ある雰囲気が見事に作品に適合した格調高い演奏となっています。ボールトはオックスフォード大学で音楽の学位を得たのち、ライプツィヒ音楽院でマックス・レーガーに作曲を学ぶ傍らハンス・ジットに指揮を学びますが、この地でボールトが最も感銘を受けたのは、アルトゥール・ニキシュによるリハーサルやコンサートの数々だったといいます。ボールトは20歳代初めの若い頃、ライプツィヒで偉大な指揮者ニキシュに私淑したが、晩年に至るまで讃仰の気持ちは変わることがなかった。「ニキシュは私などよりももっと簡素だった。今日、若い世代の指揮者たちには余りにも跳び回る傾向がある。もっとも、彼らはそうすることを期待されているのかもしれないがね。また最近の傾向としては、総体的な建築的構成を犠牲にしてディテール(細部)をほじくることが著しく目立っていると思う。」とは、ボールトの現代批判であるが反面、聴き手はボールトに一種の安全弁のようなものを見出していたようである。少なくともイギリス人はそうであった。ボールトが英国音楽だけでなく独墺系音楽も得意としていたのは、そうした事情が背景にあるとも思われ、これまでにも両分野での人気には絶大なものがありました。どれも堂々たる仕上がりのボールトらしい立派な演奏でリズムの弾力性の高さもボールトの多くの録音の中でも群を抜くもの。ここでもアンサンブルはかっちりと凝縮されており、極めて清潔なその響きにも酔いしれます。
英国の巨匠サー・エードリアン・ボールト(Adrian Boult, 1889~1983)は、20世紀の英国の生んだ最もノーブルな指揮者として知られています。オックスフォード大学を経てライプツィヒ音楽院に留学、マックス・レーガーに作曲を学ぶ傍らゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者だったアルトゥール・ニキシュに私淑し、大きな影響を受けています。イギリスに帰国後、直接親交のあったエルガー、ホルスト、ヴォーン=ウィリアムズらイギリスの作曲家の作品を取り上げて高く評価され、1930年には新しく創設されたBBC交響楽団の初代首席指揮者に就任、幅広いレパートリーをイギリスに紹介しています。中でもボールトの代名詞ともいうべき作品がホルストの組曲「惑星」です。1945年のBBC響とのSP録音(EMI)を皮切りに、ボールトは生涯に「惑星」を5回録音も録音しています。1918年9月ロンドンのクイーズ・ホールにおける作品の非公開の全曲演奏(私的初演)が行われた際にホルストからの依頼で指揮をとったのがボールトであり、その成功によって「《惑星》に初めて輝きをもたらし、作曲者の感謝を受けたエイドリアン・ボールトに」という献辞の書き込まれた印刷譜を作曲者から送られています。戦後はロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、バーミンガム市交響楽団の首席指揮者を歴任しつつ、イギリス音楽界の大御所として1981年、92歳という高齢で引退するまで矍鑠とした指揮活動を続けました。ボールトはヨハン・ゼバスチャン・バッハからハヴァーガール・ブライアンまで幅広いレパートリーで卓越した演奏を聴かせる指揮者でしたが、最も得意とするのはイギリス音楽とニキシュの影響を強く受けたドイツ・オーストリア音楽でした。イギリス人にいわせると軍服ならぬエンビの退役将軍、あるいはパブリック・スクールの老校長を想わせるというが、姿勢の正しさと無駄のないキビキビしたジェスチュアは、まさしく老将軍といった面影をそなえている。ボールトは柔和な表情のうちに威厳を兼ね備えた、一見してイギリス人らしい風貌の持ち主である。ボールトはSPレコードが電気吹き込みになる以前の1920年代からイギリスの様々なレーベルに録音しているが、その中の大手である英EMIがボールトを発見したのは、1966年、ボールト77歳のときだった。80歳の誕生日祝いのコンサートを振った折り、ボールトはふと、こんなことをもらした。「レコード会社は、ほぼ10年ほど前に私がまだ生きていたってことに突然気づいた。こんなに忙しいのは嬉しいことだが、私がもっと元気だった、それより10年前(60歳代)に起こったらねえ」。一口にいってボールトは極めて地味な指揮者だったから、人気者で名物男だったサー・トーマス・ビーチャムが、1961年に82歳で没し、公衆のアイドルだったサー・マルコム・サージェントが1967年に72歳で没し、芸術の夕映えに輝いていたサー・ジョン・バルビローリが1970年に70歳で没したのち、ボールトが浮上していたというわけである。晩年の10年間、ボールトの録音に協力したクリストファー・ビショップの談によると、80歳代の高齢にも係わらずボールトの耳は以前としてシャープであり、老眠鏡もかけずに、こまごまとした手書きスコアを読むことができ、健康な食欲に恵まれ録音スタジオのキャンティーン(簡易食堂)で楽員たちと同じ食事をうまそうに平らげていたそうである。
  • Record Karte
  • 1953年12月3、4日ロンドン、セッション・モノラル録音。
  • GB DEC LXT2910 ボールト ウィリアムズ・5番