34-18243
商品番号 34-18243

通販レコード→英オレンジ金文字盤
この舞踏感覚は彼らのワルツやオペレッタで聴かせるものと共通のセンスを感じる ―  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の美質と言えば、他では聴けない管楽器群の響きの美しさと、弦楽器群の臈長けた美しさ、そして何よりも他のオーケストラでは絶対に聴くことの出来ない歌い回しの見事さあたりでしょうか。クレメンス・クラウスとウィーン・フィルのコンビならではの濃密な表現、そのどこまでもウィーン風な洒落た味わいは実に見事。1933年「アラベラ」の初演以来親交を重ねていた、リヒャルト・シュトラウスの良き理解者、クラウス。リヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲を聴くなら、はじめて聴くのは「薔薇の騎士」組曲か、これが一番いいかもしれない。クラウスも、ウィーン・フィルも渾然一体となって、1950年代のウィーンの色香にみちた、自在そのものの演奏を繰り広げている。この舞踏感覚は、彼らがワルツやオペレッタの演奏で聴かせるものと共通のセンスを感じる。同じ質のもの。音楽的には何とももどかしい感じもするのですが、舞踏会での実際のワルツのイメージと重ねれば、2拍目を早めにずらして出すという独特のウィーン風リズムが極めて効果的で、この独特のウィーン風リズムは、やはりクラウスにとどめを刺します。尤も1939年に初めて〝ニューイヤー・コンサート〟を指揮したのは彼であり、1954年5月に亡くなるまで新年を迎える風物詩となったこの公演をリードし続けました。シュトラウス・ファミリーの音楽とウィーン・フィルを制したすべての指揮者の中で最も偉大な開拓者の一人といえばクラウスの名前が挙げられます。ウィンナ・ワルツのリズムに特有な高揚感を自由に操り、個人主義的で有名なウィーン・フィルの音楽家からも絶対の信頼を得ていた。クラウスの本流のシュトラウス演奏は、ウィーンの宮廷で日夜繰り広げられていた舞踏会の雰囲気を伝える「伝統の証言」でもあるのです。そしてワルツ王、リヒャルトの両方のシュトラウスのスペシャリストという指揮者は他にあまり例がありません。管弦楽組曲《町人貴族》ではヴァイオリン独奏はヴィリー・ボスコフスキーが担当し、ウィーン風な素晴らしいソロを聴かせて、優雅な感覚に満たされてもいました。これはプリマドンナが演じるギリシア神話に基づくアリアドネの悲劇と、踊り子が演じるツェルビネッタらによる舞踏劇が同時進行するオペラ「ナクソス島のアリアドネ」に使われた曲を、リヒャルト・シュトラウス自身が組曲としたもの。ピアノ、ハープを加えた30人の室内オーケストラ編成で、ヴァイオリンの旋律線に打楽器・ピアノ・ハープが絡み、古典と近代の様式をミックスした独特の響きを生み出している。フランス・バロック時代の作曲家リュリの曲を編曲して組み込んでいる部分もあり、それが違和感なく溶け込んでいるところが面白い。ゆったりしたテンポで優雅さを湛えたクラウスの粋な表現はウィーン情緒を自然に醸し出し、シュターツオーパーにいるような幸福感に満たされます。
ウィーンの生んだ名指揮者、クレメンス・クラウス(Clemens Krauss, 1893〜1954)は、大戦後、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やバイロイト音楽祭、ザルツブルク音楽祭のほか、バイエルン放送交響楽団、バンベルク交響楽団などに出演する多忙な生活を送っており、指揮活動のピークを迎えていました。余談ながら、1930年からはヴィルヘルム・フルトヴェングラーの後任としてウィーン・フィルの常任指揮者となったクラウスは、ベルリン国立歌劇場の音楽総監督、そして1937年から終戦までバイエルン国立歌劇場の音楽総監督を務めて、1941年から1944年までザルツブルク音楽祭の音楽総監督を務めるなど、映画「サウンド・オブ・ミュージック」が描くような、ブルーノ・ワルターやヘルベルト・フォン・カラヤンら多くの音楽家が翻弄している渦中にあって、これでもかというくらい独墺圏のポストを広く席巻してます。その反面、ウィーン、ベルリン、ミュンヘンというドイツ語圏の三大歌劇場の音楽監督を歴任した人にしては残されたクラウス自身の録音がとても少ない。そこにはベートーヴェンやブラームスはあまり得意ではなかったようだったことにも理由がありそうだが、モーツァルトやリヒャルト・シュトラウスでの独特の華やかでしなやかな音楽は現在聞いても、きわめて魅力的である。クラウスの棒によるシュトラウスは、ヨハンの方もリヒャルトの方も困ってしまうほど面白い。クラウスは若い頃からリヒャルト・シュトラウスに信頼されており、『アラベラ』『平和の日』『ダナエの愛』『カプリッチョ』の初演を任されていたほか、『カプリッチョ』では台本も書くという親密な関係でもありました。彼の師匠に当たるリヒャルト・シュトラウスを指揮したクラウスの演奏は、どれもこれもウィーン・フィルの美質を惜しげもなく振りまいていて、ヴァイオリンのソロが大きな役割を果たす『ツァラトゥストラはかく語りき』や『英雄の生涯』ではコンサート・マスターのヴィリー・ボスコフスキーがソロをつとめています。戦後、ウィーン・フィルのセッション録音に取り組んでいたデッカ・レーベルで1950年から行ったのが、前年9月に亡くなったリヒャルト・シュトラウスの作品のレコーディングでした。『ツァラトゥストラはかく語りき』に『英雄の生涯』、『ドン・ファン』『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』『家庭交響曲』『ナクソス島のアリアドネ組曲(町人貴族)』『ドン・キホーテ』『イタリアより』 という有名作品に加え、オペラ『サロメ』全曲という傑作の数々が、モノラルながら優れた音質で遺されています。そしてクラウスの音楽の様式的な古さを顕わにしていることでもあるのですが、そのとろっとした響きの美しさこそは「これぞウィーン・フィル!」と思わせるものがあります。
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏は、蓄音機時代から数多くレコードが聴かれ続けています。ブルーノ・ワルターとの田園交響曲やモーツァルト、マーラーは現代でも避けては通れない音楽遺産です。そうしたレコード発売を目的としたものではない大戦前のウィーン国立歌劇場のライブ録音が、たくさん残されていますがクレメンス・クラウスが資料的なものとして録音を認めたことから1933年から始まったもので、クラウスがウィーンを去った後も続き、1944年まで続けられたものです。テープレコーダーが実験段階だった頃で、SP盤への録音のため、せいぜい数分程度ずつの断片的なものでしたが、この時代にこれだけまとまった数の録音は非常に貴重。これだけでも貴族的な容姿さながら。この時代に登場する指揮者といえば、このクラウスをはじめ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ワルター、ハンス・クナッパーツブッシュ、カール・ベーム、ヴィクトル・デ=サーバタ、リヒャルト・シュトラウス、ロベルト・ヘーガー、ルドルフ・モラルト、レオポルト・ルートヴィヒ、フランツ・レハール、NHK交響楽団でお馴染みのヴィルヘルム・ロイプナー、フェリックス・ワインガルトナーなど、錚々たる面々。クラウスはウィーン少年合唱団を経て、ウィーン音楽院で学び、さまざまな歌劇場で指揮者として活躍、1929年、フランツ・シャルクの後を継いでウィーン国立歌劇場の音楽総監督に就任したのは、36歳の時。1歳下のベームが1回目のウィーン国立歌劇場の音楽総監督に就いたのは49歳の時、ヘルベルト・フォン・カラヤンが就任した時には48歳ですから、クラウスが生粋のウィーンっ子とは言え、いかに才能が高く評価されていたかの現れでしょう。しかも、クラウスが辞任した1933年をもって、ウィーン・フィルが常任指揮者制度を廃止しています。「ナチスの指揮者」というレッテルのために戦後はしばらく演奏活動が禁止されていましたから、戦後の録音はほぼ1950年からスタートしています。それだけに、新しく再開されるウィーンの国立歌劇場の音楽監督に自分が指名されることを、クラウスは疑いもしていなかったのでしょう。ところが、結果は、このような優美さと高貴さをたたえた指揮者ではなく、木訥な田舎もののベームがその地位を手に入れるのです。結局は、ベートーベンが指揮できないような指揮者がウィーンのシェフでは困ると言うことでしょうし、さらに言えば、何処まで行っても「ナチスの指揮者」という影が、新しく船出をするウィーンの国立歌劇場には相応しくないと判断されたのでしょう。そして、1954年の5月に演奏先のメキシコで急死した。
1952年9月ウィーン、ムジークフェラインザールでのセッション、モノラル録音。
GB DEC LXT2756 クレメンス・クラウス R.シュトラウス…
GB DEC LXT2756 クレメンス・クラウス R.シュトラウス…