34-6431
商品番号 34-6431

通販レコード→英オレンジ銀文字 MONO FLAT 10inch 盤
彼はすべてを知っているが、未熟さに欠けている。 ― これは、サン=サーンスが10歳代で書いた交響曲を聴いた50歳のベルリオーズの言葉です。サン=サーンスは19世紀の作曲家としては、たいそう長生きをした人で、そのために広い分野で夥しい作品を残した。博識の人としても知られ音楽評論家として健筆をふるったサン=サーンスは19世紀にあった音楽ジャンルすべてに数多くの作品を残し、バロック音楽の楽譜の改訂を行い、フランスにいち早くワーグナーを紹介し、考古学の著作も出版。天文学、音響学、哲学にも造詣が深く、詩、戯曲、イラストも手がけるスーパーマルチな教養人でした。フランスが生んだ名指揮者ジャン・マルティノンのレコードからは、サン=サーンスという母国の大作曲家への深い愛着と敬意を窺い知ることが可能であると言えるところだ。マルティノンはEMI、ERATOでフランス物を中心とした数多くの有名なアルバムを制作しましたが、早くから DECCA, PHILIPS, ERATO, Deutsche Grammophon, RCA, VOX, URANIA, Concert Hall Societyなどさまざまなレーベルにレコーディングを行っていた。マルティノンが1951年から1960年にかけて英デッカに録音した演奏は、シカゴ交響楽団時代や晩年のパリを中心に活動した時代とは一味違った若々しく颯爽としたマルティノンの棒さばきを堪能できる逸品です。モーラ・リンパニーはラフマニノフ弾きと言われるが、繊細な感受性と力強さを兼ね備えた演奏は高く評価されていた。また、ハチャトゥリアンのピアノ協奏曲を積極的に西側に紹介したことでも知られている。彼女の演奏は快速でアグレッシブで、技巧と熱量をもってぐいぐい攻めてくる。一貫してそういう美学に基づいている演奏である。そうしたところを認めてのことだろうがラフマニノフがリンパニーの演奏を絶賛したという演奏は、とても女性とは思えないような貫禄を感じるもので、甘ったるい感じは微塵もない。技巧的な曲が多いサン=サーンスにもかかわらず、それを感じさせず曲が持つ威厳のようなものを上手く引き出すことに専念してます。さすが後にエリザベス女王から、男性のサーに相当するデイムの称号を1941年のマイラ・ヘス以来に授けられたのが疑うべきなく逸材だと感じ入りました。
ジャン・マルティノン(Jean Martinon, 1910.1.10〜1976.3.1)は、フランスの粋と気骨を持った名指揮者。リヨン生まれで、生地の音楽院を経てパリ音楽院に進み、ヴァイオリンを収めるとともに作曲をダンディ、ルーセルに学んでいる。またシャルル・ミュンシュ(Charles Münch, 1891~1968)とロジェ・デゾルミエール(Roger Désormière, 1898~1963)に指揮法を師事しているが、最初は作曲家志望で、演奏家としてもヴァイオリン奏者としての活動が早かった。大戦中には従軍、一時期はドイツ軍の捕虜となっている。本格的な指揮活動は大戦後に始められ、1946年にボルドー交響楽団の指揮者に就任、やがてパリ音楽院管弦楽団(Orchestre de la Société des Concerts du Conservatoire)も指揮。また1947年にはロンドンにデビューして、1950年代には早くも録音活動を始めている。1951年〜1957年、ラムルー管弦楽団。1957年〜1959年はイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団。1959年〜1963年はデュッセルドルフ交響楽団の首席指揮者のポストにあり、この頃、今も異色の名演として知られる《悲愴》を1958年、英デッカにウィーン・フィルと録音している。然し、彼の名が世界の音楽ファンに強烈に印象付けられたのは、1963年、フリッツ・ライナー(Fritz Reiner, 1888〜1963)の後任としてシカゴ交響楽団の常任指揮者に就任して以降のことであった。独墺色の強い名門オーケストラとフランス人指揮者のコンビネーションは内外から大きな期待を集めたし、彼もアルザス人としての共感から、ドイツ=オーストリア系作品に充実した演奏を聴かせた。然しライナーの影が余りにも大きく、また批評家クラウディア・キャシディとの趣味の違いもあって、マルティノンは苦しいシカゴ響時代を送ることになる。この関係は1969年に終止符が打たれ、マルティノンはフランス国立放送管弦楽団の指揮者として母国に返り咲く。ちょうど年齢的にも60歳代を迎えつつあったマルティノンは、この頃から彼の円熟期を謳歌することになり、自分のオーケストラやパリ管弦楽団(Orchestre de Paris)と優れた演奏を聴かせるとともに、今なお不滅の名演をレコーディングしていく。代表盤は、やはり英H.M.V.に録音したサン=サーンス交響曲全集(1972、74、75年)、ドビュッシー(1973、74年)とラヴェル(1974年)の管弦楽曲全集になろう。それらはエレガントでありながら決して感覚美のみに流されることのない強い精神性を併せ持つ演奏であり、同じアルザス人ミュンシュとの共通項を感じさせるといって良い。1974年からはオランダのハーグ・レジデンティ管弦楽団との関係を深めるが、66歳の若さで亡くなった。作曲家としても数多くの作品を残しており、交響曲第4番《至高》はシカゴ響との自作自演の名演が1967年にRCAに残されている。
1951年録音。
GB DEC LX3064 モーラ・リンパニー サンサーンス・ピアノ…