34-6444
商品番号 34-6444

通販レコード→英ブラック銀文字盤 10inch
〝自由を勝ち取る〟 ― 〝解放の〟オペラとも呼ばれるベートーヴェン唯一のオペラ『フィデリオ』はヴェルディが作曲した、国家の興亡がメインに据えられた壮大なご当地オペラ『アイーダ』と並んで杮落しなどの記念公演でよく上演される。日本初演は、通説では1935年6月5日に近衛秀麿指揮の新交響楽団第157回定期演奏会に於ける演奏会形式による上演が初演とされている。歌劇場と並んで『フィデリオ』を盛んに上演しているのがザルツブルク音楽祭で、ベートーヴェン没後100年の1927年に記念公演としてフランツ・シャルクの指揮によって初めて取り上げられて以来、戦前期にはリヒャルト・シュトラウス、クラウス、アルトゥーロ・トスカニーニ、ハンス・クナッパーツブッシュが、戦後にはヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ヘルベルト・フォン・カラヤン、カール・ベーム、ロリン・マゼール、ゲオルク・ショルティら名指揮者・大指揮者が指揮をしている。ドイツ第三帝国時代には「ドイツ精神を高揚するオペラ」として盛んに上演された。トーマス・マンは、内容的にはナチの思想に合致しないはずの『フィデリオ』が、ナチ支配下で盛んに上演された不思議さを友人に書き送っているが、1955年11月5日、4ヵ国占領から〝自由〟になったウィーンで戦後再建されたウィーン国立歌劇場で、戦後初めてのオペラ上演となるオーストリア共和国再建国・国立歌劇場再開の演目にベートーヴェンの〝解放のオペラ〟『フィデリオ』が選ばれたのである。ウィーン・フィルの美質と言えば、他では聴けない管楽器群の響きの美しさと弦楽器群の臈長けた美しさ、そして何よりも他のオーケストラでは絶対に聴くことの出来ない歌い回しの見事さあたりでしょうか。クラウスとウィーン・フィルのコンビならではの濃密な表現、そのどこまでもウィーン風な洒落た味わいは実に見事。ウィーンの生んだ名指揮者、クレメンス・クラウス(1893〜1954)は、大戦後、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やバイロイト音楽祭、ザルツブルク音楽祭のほか、バイエルン放送交響楽団、バンベルク交響楽団などに出演する多忙な生活を送っており、指揮活動のピークを迎えていました。これでもかというくらい独墺圏のポストを広く席巻してます。その反面、ウィーン、ベルリン、ミュンヘンというドイツ語圏の三大歌劇場の音楽監督を歴任した人にしては残されたクラウス自身の録音がとても少ない。そこにはベートーヴェンやブラームスはあまり得意ではなかったようだったことにも理由がありそうだが、モーツァルトやリヒャルト・シュトラウスでの独特の華やかでしなやかな音楽は現在聞いても、きわめて魅力的である。ウィーン生まれの指揮者で大成した存在は意外に少なく、戦後まで活躍した中で世界的大指揮者の域に達したのは ― 現在もなおクラウスとエーリヒ・クライバーしかいないが、クライバーはウィーン的伝統とは距離を置いた革新派と見られていたこともあり、強い個性の中にもウィーンの香りを忘れなかったクラウスの名は〝最後のウィーンの巨匠〟として今なお懐旧と畏敬を込めて語られ続けている。
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏は、蓄音機時代から数多くレコードが聴かれ続けています。ブルーノ・ワルターとの田園交響曲やモーツァルト、マーラーは現代でも避けては通れない音楽遺産です。そうしたレコード発売を目的としたものではない大戦前のウィーン国立歌劇場のライブ録音が、たくさん残されていますがクレメンス・クラウスが資料的なものとして録音を認めたことから1933年から始まったもので、クラウスがウィーンを去った後も続き、1944年まで続けられたものです。テープレコーダーが実験段階だった頃で、SP盤への録音のため、せいぜい数分程度ずつの断片的なものでしたが、この時代にこれだけまとまった数の録音は非常に貴重。これだけでも貴族的な容姿さながら。この時代に登場する指揮者といえば、このクラウスをはじめ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ワルター、ハンス・クナッパーツブッシュ、カール・ベーム、ヴィクトル・デ=サーバタ、リヒャルト・シュトラウス、ロベルト・ヘーガー、ルドルフ・モラルト、レオポルト・ルートヴィヒ、フランツ・レハール、NHK交響楽団でお馴染みのヴィルヘルム・ロイプナー、フェリックス・ワインガルトナーなど、錚々たる面々。クラウスはウィーン少年合唱団を経て、ウィーン音楽院で学び、さまざまな歌劇場で指揮者として活躍、1929年、フランツ・シャルクの後を継いでウィーン国立歌劇場の音楽総監督に就任したのは、36歳の時。1歳下のベームが1回目のウィーン国立歌劇場の音楽総監督に就いたのは49歳の時、ヘルベルト・フォン・カラヤンが就任した時には48歳ですから、クラウスが生粋のウィーンっ子とは言え、いかに才能が高く評価されていたかの現れでしょう。しかも、クラウスが辞任した1933年をもって、ウィーン・フィルが常任指揮者制度を廃止しています。「ナチスの指揮者」というレッテルのために戦後はしばらく演奏活動が禁止されていましたから、戦後の録音はほぼ1950年からスタートしています。それだけに、新しく再開されるウィーンの国立歌劇場の音楽監督に自分が指名されることを、クラウスは疑いもしていなかったのでしょう。ところが、結果は、このような優美さと高貴さをたたえた指揮者ではなく、木訥な田舎もののベームがその地位を手に入れるのです。結局は、ベートーベンが指揮できないような指揮者がウィーンのシェフでは困ると言うことでしょうし、さらに言えば、何処まで行っても「ナチスの指揮者」という影が、新しく船出をするウィーンの国立歌劇場には相応しくないと判断されたのでしょう。そして、1954年の5月に演奏先のメキシコで急死した。
1955年発売。ウィーン、ムジークフェラインザールでのセッション、モノラル録音。
GB DEC LW5165 クラウス ベートヴェン・レオノーレ3番