34-19000
通販レコード→ブルー・アンド・シルヴァー盤[オリジナル]

GB COLUMBIA SAX2302 カラヤン チャイコフスキー・1812

《出来栄えは傑出した下品さ ― たとえ『下品な音楽』であろうとも、やるならば手抜きはしない。》英 EMI の偉大なレコード・プロデューサー、ウォルター・レッグとカラヤン&フィルハーモニア管弦楽団のレコードの数々は、その後のクラシック音楽のレコードの作り方、販売戦略の手段として正に基準となるような仕事であった。カラヤンは最初の《悲愴交響曲》の録音の時から既に大オーケストラの繊細な単音からダイナミックなハーモニーまでを、いかに効率良くレコードで聞かせることができた。その天性の才能あってフルトヴェングラーに頭を抑えられてコンサート活動が思うように出来ないカラヤンをレッグはレコード製作に誘った。そのお互いの利害が一致した関係に終止符を打った後の録音。1954年にドイツ音楽界に君臨していたフルトヴェングラーの急逝にともない、翌55年にカラヤンは、ついにヨーロッパ楽壇の頂点ともいえるベルリン・フィルの首席指揮者の地位に登りつめた。そうなるとカラヤンはさらなる飛躍を狙った。もはや機運はカラヤンに向いていた。ウィーン・フィルがすでに英DECCAと専属契約していたし、ベルリン・フィルを抑えたドイツ・グラモフォンもカラヤンに接触していた。そして何よりも結婚だ。26歳年下のファッション・モデル、エリエッテ夫人と結婚した。もうレッグの手を借りなくても独り立ちできる。時は満ちていた。一方、レッグは契約更新をしないでいるカラヤンをギリギリまで待った。はっきりした時にはフィルハーモニアにはクレンペラーを迎え入れている。既に内通は通っていたのだろう、親離れするカラヤンを慮って席を開けてくれていたのだ。このレコードは契約が切れた後、契約に含まれていたレコードの発売総数に不足があったために穴埋めとして録音された。曲はチャイコフスキーの序曲《1812年》、リストの《ハンガリー狂詩曲第2番》、シベリウスの《悲しきワルツ》、ウェーバーの《舞踏への勧誘》と雑多でコンセプトに欠けている。おそらく部分的には録音済み、あるいはフィルハーモニア管弦楽団とリハーサルは済んでいた曲だろうと、わたしは思う。でも、それでいて惜別と新たな門出を祝福するようでも有る。演奏はオーケストラに合奏の完璧な正確さを要求し、音を徹底的に磨き上げることによって聴衆に陶酔感をもたらせ、さらにはダイナミズムと洗練さを同時に追求するスタイルで出来栄えも隙が無い。決して手抜きをしないのがカラヤンの信条であった。「下品な音楽」が嫌いだったカラヤンが、「1812年」を生涯2度も録音している。どちらも品数を厚くしたいレコード会社からの熱望だっただろう。「それほど説得するなら、ここまで破天荒でもいいよね」とでも言ったかのように、聴いてみると傑出した下品さに仕上がっているが、それがまた爽快だったりする。大衆ウケする曲ばかりを並べたレコードなのだ。
GB  COL  SAX2302 カラヤン  チャイコフスキー・18…
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