34-23522

商品番号 34-23522

通販レコード→英マジックノーツ・セミサークル盤

シュヴァルツコップの官能的ともいえる歌唱ともども感動を誘う。 ―  リヒャルト・シュトラウスはモーツァルトやシューマン、シューベルトと並んでエリーザベト・シュヴァルツコップの最も重要な、また得意なレパートリーでした。特に《4つの最後の歌》は曲自体の魅力、ジョージ・セルの精緻でいながら伸びやかなサポートと相まって、この曲の最高例として、しばしば挙げられる録音だ。セルの伴奏も素晴らしく、未来永劫、本盤を凌駕するレコードは現れないと確信、録音秀逸も含めて。レコード芸術推薦盤。柔らかくて情のある美しい声、完全なコントロールの下にあるオーケストラとの融和。グンドゥラ・ヤノヴィッツとヘルベルト・フォン・カラヤン&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による演奏(1969年)と並んで、同曲の演奏史上最高の名演。これ1枚あれば、、、とはいかないのがクラシック好き冥利。本演奏を名演たらしめているのは、シュヴァルツコップによる圧倒的な名唱にあると言えるが、あまりにも上手過ぎるために、音楽そのものの美しさよりも歌手の個性が立ってしまっているが ― 旦那だったウォルター・レッグが、筆頭に立って録音を手がけていること、1951年のバイロイト音楽祭でハンス・クナッパーツブッシュが指揮した《ニーベルングの指環》のうち、「神々の黄昏」が20世紀末になってようやくテスタメント・レーベルからCD発売されたのだが、お蔵入りしていた背景には、デッカのジョン・カルショーらが予定外の行動で録音したその音源について、当時レッグが「俺の妻であるシュヴァルツコップが出ている上演だぞ。デッカなどから発売させてなるものか」と強行に発売を差し止めてきたほどで、片方はワンマンのカラヤンの指揮だからという理由で ― 特に、歌手の個性という意味においては、本盤の演奏の方をより上位に置く聴き手も多いと言えるところだ。しかし、オペラで歌うことを得意とするだけの歌手には成せないと感じさせる。シュヴァルツコップは、歌曲やオペラから、オペレッタ、ミュージカルのレパートリーに及ぶ数々の名演を成し遂げた不世出の大歌手だが、各4つの歌曲に込められた、人生の諦観を感じさせるような奥行きのある音楽を、シュヴァルツコップほど巧みに表現し得た歌手はこれまで存在したか。リヒャルト・シュトラウスが晩年に達成した、声と管弦楽だけの音楽美の探究。シュヴァルツコップ、50歳の歌唱は、テンポもゆっくり。「夕映えの中で」は、夕暮れ時を連想させるその歌唱が限りなく美しく、深い感動に誘います。音声言語医学の専門ドクターとして、来日した世界的な名歌手たちの診療を数多く手がけてきた米山文明・著『プリマドンナの声帯―音楽裏方医者のカルテから [単行本]』(朝日新聞社)に、シュヴァルツコップ自身の言葉が紹介されている。かいつまむと、私の声、特に女性である私の声には常に気を配っており、年とともに声が変ってゆくのがわかります。・・・私は生理的に年々変ってゆくであろう自分の体および声に対して、常に発声も順応させるように心がけています。その当時のシュヴァルツコップにとって、自身を見つめた結果の最良の歌唱だったのだろうし、多くの評論家たちが良く評価している。シュヴァルツコップが遺した数々の名演の中でも、本演奏は、その深沈たる深みにおいて最上位の部類に入る。シュヴァルツコップの素晴らしい歌唱を下支えしているのが、セル&ベルリン放送交響楽団による至高の名演奏である。セルと言えば、クリーヴランド管弦楽団との鉄壁のアンサンブルを駆使した精緻な演奏の数々が念頭に浮かぶが、1960年代も半ばが過ぎ、ベルリン放送交響楽団の、各奏者に自由を与え、より柔軟性のある情感豊かな演奏を行うことが多かった。それが良かったのだろう。
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本当の意味での世紀末ウィーンの情緒が匂い立ってくる ―  リリック・ソプラノの範疇に入るだろうか、優しくも羽毛のような歌声。単に耳に優しいだけではない。21世紀に入り惜しまれつつ亡くなったエリーザベト・シュヴァルツコップは、様々な役柄において持ち前の名唱を余すことなく披露した。シュヴァルツコップは戦中にカール・ベームに認められてウィーン歌劇場でデビューを飾っているが、彼女の本格的な活動は戦後、大物プロデューサーのウォルター・レッグに見いだされ、その重要なパートナーとして数多くの録音に参加したことによる。1953年に、英コロムビア・レコードのプロデューサーだったレッグはシュヴァルツコップのマネージャーと音楽上のパートナーとなり、EMIとの専属録音契約を交わした〝歌の女王シュヴァルツコップ〟を作り上げた。ワンマン・エゴタイプの厳しい人物で、そのレパートリーの多くはレッグが決定していたそうで、そのようなことを彼女自身が語ってもいる。レッグは夫ともなったが、シュヴァルツコップの歌に惚れ込みEMIに数々の録音を残したことの功績は大きい。そして、シュヴァルツコップは大プロデューサーであったレッグの音楽的理想を体現した歌手の一人であったと思う。当時は、「オペラ歌手」を自認する歌手たちは、決してオペレッタの歌を歌おうとはしませんでした。たとえ録音であったとしてもオペレッタを歌うオペラ歌手を、マリア・カラスは心底馬鹿にしていましたし、その事を隠そうともしませんでした。彼女はオペラ歌手たるもの、オペレッタの甘ったるい歌などは歌うべきではないという固い信念を持っていました。そして、その批判の矛先こそがオペレッタを歌う、このシュヴァルツコップでした。実際、シュヴァルツコップによるオペレッタの歌唱は、未だに誰も超えることのできていない一つの頂点であり続けています。その素晴らしさのよって来るべきところは、オペレッタだからと言って、一切の手抜きをしないで自分のもてる技術のすべてを注ぎ込んでいる「真面目さ」にあります。言葉の意味を一語一語慎重に吟味しつくし、歌の背後にある深い意味までを掘り下げる。その知的な歌いぶりは、作品によってはまると絶大な感動を呼び覚ます。そのような品の良さと凛とした気高さを持っているが故に、シュヴァルツコップの真摯な歌の中からこそ本当の意味での世紀末ウィーンの情緒が匂い立ってくるのです。1950年代後半はシュヴァルツコップが録音に積極的に取り組んだ時期、だがオペラでは役を限定しつつある頃で、この後はオペラを離れドイツ・リートの分野で輝く。彼女の厳かな歌によるこれらの歌は、本当に心を清くさせてくれるものでしょう。マルシャリンは新しい歌手の新しい歌によって凌がれても、これはどうも凌がれそうにない。

Elisabeth Schwarzkopf, George Szell, Berlin Radio Symphony Orchestra ‎– Richard Strauss / Four Last Songs

Side-A Four Last Songs
  1. Frühling (Hesse) 春
  2. September (Hesse) 9月
  3. Beim Schlafenhegen (Hesse) 眠りにつこうとして
  4. Im Abendrot (Eichendorff) 夕映えの中で
Side-B Five Songs With Orchestra
  1. Muttertändelei, Op. 43, No. 2 (Bürger) 母親の自慢話 作品43-2
  2. Waldseligkeit, Op. 49, No. 1 (Dehmel) 森のしあわせ 作品49-1
  3. Zueignung, Op. 10, No. 1 (von Gilm) 献呈 作品10-1
  4. Freundliche Vision, Op. 48, No. 1 (Bierbaum) 親しき幻 作品48-1
  5. Die Heiligen Drei Könige, Op. 56, No. 6 (Heine) 東方の三博士 作品56-6
エリーザベト・シュヴァルツコップ(Olga Maria Elisabeth Frederike Schwarzkopf)は1915年12月9日、ドイツ人の両親のもとプロイセン(現ポーランド)のヤロチン(Jarotschin, 現Jarocin)に生まれたドイツのソプラノ歌手。ベルリン音楽大学で学び始めた当初はコントラルトでしたが、のちに名教師として知られたマリア・イヴォーギュンに師事、ソプラノに転向します。1938年、ベルリンでワーグナーの舞台神聖祝典劇『パルジファル』で魔法城の花園の乙女のひとりを歌ってデビュー。1943年にウィーン国立歌劇場と契約し、コロラトゥーラ・ソプラノとして活動を始めます。第2次世界大戦後、のちに夫となる英コロムビア・レコードのプロデューサー、ウォルター・レッグと出会います。レッグはロッシーニの歌劇『セビリャの理髪師』のロジーナ役を歌うシュヴァルツコップを聴いて即座にレコーディング契約を申し出ますが、シュヴァルツコップはきちんとしたオーディションを求めたといいます。この要求に、レッグはヴォルフの歌曲『誰がお前を呼んだのか』(Wer rief dich denn)を様々な表情で繰り返し歌わせるというオーディションを一時間以上にもわたって行います。居合わせたヘルベルト・フォン・カラヤンが「あなたは余りにもサディスティックだ」とレッグに意見するほどでしたが、シュヴァルツコップは見事に応え、英EMIとの専属録音契約を交わしました。以来、レッグはシュヴァルツコップのマネージャーと音楽上のパートナーとなり、1953年に二人は結婚します。カール・ベームに認められ、モーツァルトの歌劇『後宮からの誘拐』のブロントヒェンやリヒャルト・シュトラウスの楽劇『ナクソス島のアリアドネ』のツェルビネッタなどハイ・ソプラノの役を中心に活躍していましたが、レッグの勧めもあって次第にリリックなレパートリー、モーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』伯爵夫人などに移行。バイロイト音楽祭やザルツブルク音楽祭にも出演し、カラヤンやヴィルヘルム・フルトヴェングラーともしばしば共演します。1947年にはイギリスのコヴェントガーデン王立歌劇場に、1948年にはミラノ・スカラ座に、1964年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇場にデビュー。1952年には、リヒャルト・シュトラウスの楽劇『ばらの騎士』の元帥夫人をカラヤン指揮のミラノ・スカラ座で歌い大成功を収めます。以来、この元帥夫人役はシュヴァルツコップの代表的なレパートリーとなります。オペラ歌手としてもリート歌手としても、その完璧なテクニックと、並外れて知性的な分析力を駆使した優れた歌唱を行い20世紀最高のソプラノと称賛されました。ドイツ・リートの新しい時代を招来したとまで讃えられシューマンやリヒャルト・シュトラウス、マーラーの歌曲を得意とし、中でもとりわけヴォルフの作品を得意とし、1970年代に引退するまで男声のディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウと並んで最高のヴォルフ歌いと高く評価されています。1976年にオペラの舞台から、1979年には歌曲リサイタルからも引退し、後進の指導にあたっていました。2006年8月3日、オーストリア西部のフォアアルルベルク州シュルンスの自宅で死去。享年90歳。
  • Record Karte
  • レコード芸術推薦盤。1965年9月1〜3日ベルリン、グリューネヴァルト教会での録音。Engineer [Assistant] – Ernst Rothe, Wolfgang Gülich, Producer, Engineer – Walter Legge.
  • GB COL CX5258 シュヴァルツコップ&セル R.シュトラウ…
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