34-22683

商品番号 34-22683

通販レコード→英ダーク・ブルー金文字盤

名技主義に陥らない芸風 ― 遺作を除く13曲のショパンのワルツ集を生前の最後の録音に選んだハンガリーのピアニスト、ゲーザ・アンダ。ハンガリーはマジャールというアジア系騎馬民族を祖先にもっています。ヨーロッパには珍しい黒髪黒瞳短躯黄肌という体型からも伺えます。モンゴル系の流れを汲み名前にもその文化的影響が色濃く残りました。混血進み金髪碧眼白肌化してもその名残が今に伝わっています。欧米諸国のなかではハンガリーだけが、姓・名の順で名前を表記することを文化として大切にしたいと、アンダ・ゲザと表記されることも増えたが、わたしはゲザ・アンダで慣れ親しんできた。そして、日本人の姓・名の順も名前が先でいいと考えています。ショパンの練習曲は、ピアノのための練習曲の中で最も有名なものの一つ。練習曲ではあるが音楽的にも完成された作品であり、弾きこなすには高度な技術と芸術的センスが必要である。アンダはヴィルトゥオーゾ・ピアニストではあったが、同郷のジョルジュ・シフラのように剛腕で作品を征服するような弾き方は好まず、確実で安定感のある演奏スタイルを良しとした。晩年はモーツァルトのピアノ協奏曲全集の弾き振りをこなし、単なる名技主義に陥らない芸風を確立していた。強く激しく打ちつけることで自分の証を刻むよりも、手の平で掬って愛おしむように愛撫することで、音楽への愛情が込み上げてくる。実に多くの作曲家がヨハン・ゼバスティアン・バッハの「平均律クラヴィーア曲集」へのオマージュを込めて「練習曲集」を世に送り出している。18世紀後半の間は、前奏曲と練習曲を一対としたものが、19世紀に入るとこうした組み合わせが時代に合わなくなり、それぞれ別の曲集として作られるようになった。ショパンもまた、全27曲ある練習曲は、全部で3つの曲集からなる。それらはバッハの24の調によるプレリュードとフーガの編み方を雛形に、19世紀前半に盛んに書かれたピアノ教則本としての練習曲集からクレメンティ、モシェレスのものを参考としたが、先達の練習曲集にはない〝独自の方法で〟書いた。これらが実際に彼自身のための練習課題であったことは間違いないが、各曲には、高度な練習曲は高度な音楽であるはずだ、というショパンの信念が反映されている。これが単なる学習課題の範疇を超えてこんにち広く愛されているのは、美しい旋律と和声が織り成す抒情性溢れる、高度な音楽であるが故だろう。1833年に発表された「練習曲集」作品10の12曲は、その時ショパンは23歳、当時パリのサロンでは既にショパンは有名な作曲家、ピアニストとして認知されていた。この曲集は当時作曲活動に直向きであったリストに捧げられ、二人が知り合うきっかけにもなった。ただしショパンは、作曲家としてはリストをあまり評価せず、後年も友人としては距離を置いた。この献呈はおそらく、この卓越したヴィルトゥオーゾからの賞賛を狙ったものであり、一方のリストは望みどおり惜しみない賛辞を送った。そして当事者ではない我々が、現代でもピアノ教育の最終段階における課題として学習者に必ず課せられるのは、24曲を通じて、技巧だけでなくショパンの音楽性の真髄をあますことなく学びとれるからである。《練習曲集》作品25は1837年出版。両手アルペジョが畝るように延々と続く中に、美しいコラール風旋律が、恰も水中に垣間見えるかのように聞こえる終曲の「大洋」はアニメ、ピアノの森のオープニングに使用されている。ショパンの音楽は演奏会向けの虚飾を削り取った後とは、異なる美しき悲しみをたたえている。そうした音楽の儚い美しさは、命が費えようとしているアンダ自身かのように重なってしまう。
ハンガリーのピアニスト、ゲザ・アンダは、同郷のベーラ・バルトークのピアノ協奏曲全集の解釈で一家言を成した。その強靭なテクニックは、バルトークだけでなく、ドイツ・ロマンティークのピアノ曲でも発揮され、1950年代から1970年代にかけてのドイツ・グラモフォンの看板アーティストとして声望を集めた。
  • Record Karte
  • 練習曲集作品25、バラード第1番、1958年発売。
  • GB COL CX1459 ゲザ・アンダ ショパン・練習曲
  • GB COL CX1459 ゲザ・アンダ ショパン・練習曲