GB BRUNSWICK SXA4543 マーロウ ハイドン・ピアノ協奏曲
通販レコード→英ライト・パープル銀文字 Decca プレス盤[オリジナル]

GB BRUNSWICK SXA4543 マーロウ ハイドン・ピアノ協奏曲

商品名GB BRUNSWICK SXA4543 マーロウ ハイドン・ピアノ協奏曲

この盤の録音はDECCAだが、MCAというクラシックジャンルでは馴染み薄いレーベルからの発売だったので流通が少ない。 ― レア盤でオーディオファイルに知られている。》第2次大戦以前のモダン・チェンバロはワンダ・ランドフスカが人気演奏家としてレコード録音から知るくらいですが、アメリカではチェンバロは大人気で、ロックフェラーセンターの上階にあるナイト・クラブでジャズのスタンダード・ナンバーやクラシック音楽を編曲して弾いていたんだよね。それはモダン・チェンバロの音だけれど、昔から主にブルジョワ階級にはチェンバロがアメリカでは人気があったことは気にとめてよい。古楽器ブーム以降はピリオド楽器としてのチェンバロの音が馴染みで、モダン・チェンバロの音と言われて思い出せる世代は割れるでしょうが、しかし何よりも最も有名なのはフランシス・レイが作曲した映画「ある愛の詩」のテーマ曲ではあるまいか。明らかに ― リチャード・クレイダーマンがピアノで弾いた演奏が、現代人の耳には受け入れやすい ― ピアノ向きのメロディだが、チェンバロで演奏されるミス・マッチな感じが ― 映画のゴシックな階級社会に翻弄される若い世代にはぴったり ― 独特な味となっている。シルヴィア・マーロウ(1908〜81)はニューヨーク出身のアメリカのチェンバロ奏者。バロックから現代まで幅広いレパートリーをもっていましたが、とくにチェンバロのための新しいレパートリーに熱心で自ら Harpsichord Music Society (ハープシコード協会)を設立して新作の委嘱や奏者の育成を行いました。ヴァージル・トムソン、アーロン・コープランド、エリオット・カーター、ネッド・ローレム、ヴィットリオ・リエーティ、アンリ・ソーゲ、そして特にアラン・ホヴァネスら、同世代の作曲家たちへ新作を依頼、他にクロード・モントゥー、ハリー・シュルマン、バーナード・グリーンハウス、ジュリアス・ベイカーらとの演奏&録音はもちろん、マネス音楽大で教職に就いてケネス・クーパーを輩出、チェンバロの普及に尽力した。マーロウはニューヨークに生まれたアメリカのチェンバロ奏者で当初ブーランジェに学び、後年はランドフスカからも教えを受けた。夫が銀行家の息子&裕福な画家だったため自宅ではよくパーティが催され、前述の作曲家たちと共に、W.H.オーデン(詩人)、ハロルド・ローゼンバーグ(美術評論家)、ライオネル・トリリング(文芸評論家)らが集っていたという。こういう上流階級の環境の中でもあったから、アメリカのハープシコード協会創設者シルヴィア・マーロウは大人気の奏者で、ジャズやブギウギをチェンバロで弾いていた。ブルジョワジーに人気のあったモダン・チェンバロだったからか、ポピュラー音楽の世界におけるチェンバロの使用といえば1960年代までは圧倒的にモダン・チェンバロだった。ヤードバーズはランドフスカ・モデルの楽器をフィーチャーした「フォー・ユア・ラヴ」を発表し、この曲は全英ヒット・チャートの第3位まで上昇する彼らの最初のビッグ・ヒットとなった。エリック・クラプトン時代の録音だが、この曲は彼がヤードバーズを辞めるきっかけになった曲としても有名だ。録音に際してはゲスト・ミュージシャンのブライアン・オーガーがチェンバロを弾き、リード・ギタリストのクラプトンは不在で録音は進められた。ヤードバーズはその後も「ハートせつなく」で ― 結局、ジェフ・ベックがシタールに音を似せたカッコいいギター・ソロで評判になった ― インドの民族楽器シタールを取り入れようとしたり、「スティル・アイム・サッド」ではチャントのスタイルを取り入れたりと斬新な感覚の音楽創りに意欲を燃やしていた。ロック・グループではヤードバーズ以外にもドアーズ、レフト・バンク、ピンク・フロイドなどがチェンバロを使用した楽曲を発表しているし、ジャズではベン・ウェブスター・クァルテットのLP「シー・ユー・アット・ザ・フェア」に収められた2曲(「ジャズ・ランドの子守歌」、「僕らが踊っている間に」)などがとても印象的だ。政治を含めてあらゆるジャンルに関して言えることかもしれないが、日本では特にクラシック音楽の「歴史」というものをひとつの教養として捉え、後世の価値観を背景に単純化して語りたがる傾向が強まっている。そして様々な重要な事柄であっても現代のクラシック音楽業界にとって即効性のあるメリットが無いものであるなら、「マニアックな話題」ということで本質的な議論から排除される傾向も顕著だ。そしてこうした「マニアック」という烙印を押されたような話題に関しては、海外で優れた研究が発表されてもそれが日本には伝わらない傾向がある。とりわけ「演奏史」という問題に関しては現代の様々な利権とはかけ離れたものであるがゆえに、議論から除外される傾向が強い。レオンハルトや、アーノンクールが台頭してきた時代はピリオド・チェンバロは「マニアック」扱いされた。それは現代では ― 日本では特徴的なのがマスメディアの異常な発達を背景に ― 逆転している。つまりは、なまじ「クラヴサン(チェンバロ)のための・・・」いう楽器指定であるがためにピリオド楽器のチェンバロで聴くことを善しとし、そうした風潮の中で「モダン・チェンバロというのは劣悪な楽器だから廃れたのだ」という思い込みをしている人が圧倒的に多いかもしれない。それともうひとつの事情は1970年代あたりを分岐点にモダン・チェンバロよりもピリオド楽器のチェンバロの方が業界全体として優位になり、1990年頃には前者はほとんど淘汰されたかの感がある。今ではプレイエル社の「ランドフスカ・モデル」で演奏可能な楽器を探す方が、様々なピリオド楽器のチェンバロを調達するよりも困難になってしまっている。ピリオド・チェンバロはデリケートで、以前聴いたアンドレアス・シュタイナーの演奏会では、25分前後の組曲を演奏する度に調律していた。2時間ほどの演奏会の半分近い時間が演奏を耳にしないリサイタルとなった。それはそれで、ひっきりなしに音楽が続いて、一曲一曲の演奏を振り返れないことがストレスだったわたしには良い経験でしたが、またモダン・チェンバロは作りが頑丈なので、楽器の移送が20世紀前半においても比較的安心して行うことが出来た。砂漠ではラクダの背に乗せ、ロシアでは橇に乗せて運んだという逸話も残っている。ワンダ・ランドフスカが愛用していたプレイエル社のクラヴサンは金属フレームを装備し、その強い張力に耐えうる構造ゆえに、17、18世紀の楽器を忠実にコピーしたいわゆる「ピリオド楽器」よりもより大きな音を出すことが可能であった。ランドフスカ最後の門下生のラファエル・プヤーナのようにデビュー当時はランドフスカ・モデルの楽器を使用していたものの、ピリオド楽器にとっての環境が徐々に整うにつれて、後者をもっぱら使うようになった人が多かったのは事実だ。というのもピリオド楽器の運動が勢いを増すにつれて古楽の世界では、モダン・チェンバロを使い続けるのはチェンバロ奏者として怠慢といった業界の世論が次第に形成されて行き、それに逆らうのは相当な覚悟が必要になって行ったからである。しかし間違いなく言えることは、少なくとも1960年代頃まではモダン・チェンバロにはチェンバロという楽器としての受容史があったということだ。ルッジェーロ・ジェルリン、ユゲット・グレミー・ショリアック、エメ・ヴァン・ド・ヴィールといったランドフスカ門下生をはじめとして、シルヴィア・マーロウ、ルチアーノ・スグリッツィ、ラルフ・カークパトリック、カール・リヒターといった鍵盤楽器奏者たちが、プレイエル社のランドフスカ・モデル、ノイペルト社のバッハ・モデルといった今日ではモダン・チェンバロに分類される楽器で数々の録音を行っていた。そうした諸々の録音・演奏を、演奏様式研究の発展を背景に批判することは可能かもしれない。しかしもし仮にそうであったとしても楽器や演奏スタイルの正統性(オーセンティシティ)とその演奏の音楽としての価値は全く別物なのだ。正統性にこだわるあまり、もっと本質的な、音楽としての評価という問題が疎かになりがちだということは音楽を楽しむ幅を狭めることになる。もっと判りやすく言えば、どんなにミスマッチな楽器を使っていようが魅力的な演奏は優れた演奏なのだ、ということである。演奏スタイルも今日のオーセンティシティの要件を満たしていたとしても、演奏自体がつまらなければそのことは何の意味もないのだ。現代ではジャズやブギウギを弾いてよ、とチェンバロ奏者に求めることもないだろうし、ブルジョワジーに人気のあったモダン・チェンバロが廃れていったのは階級意識が変わっていったことと関係もあるだろう。サー・サイモン・ラトルとベルリン・フィルのベートーヴェン交響曲全曲演奏に共感することですが、カラヤン時代は誰もが美を体験したかったのです。東西世界の調和を求めていた。ベルリン・フィルとラトルとの音楽には、そのカラヤンの美が根付いています。社会が平和を求めているときは、あわせて感謝も期待します。モダン・チェンバロが時代から消えていったのは社会の意識の変化の現れの一つではないでしょうか。
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