34-5121

商品番号 34-5121

通販レコード→英ブラック銀文字盤

〝ザ・グレン・ミラー・オーケストラ 2019 JAPAN TOUR〟 ― で、2019年11月20日に熊本県立劇場演劇ホールでコンサートが開かれる。この公演は数々の名曲を生んだミラーの意思を継いだオーケストラが、年に一度日本国内を回るすっかり恒例になったツアー。1904年3月1日、アイオワ州クラリンダに生を受けたグレン・ミラーは、本年で生誕115年を迎えます。41才の短い生涯の中で彼が残したサウンドはますます輝きを増し、年代を問わぬ世界中の音楽ファンに愛されています。黒人達によって生まれたジャズが、1930年代後半になると白人も盛んにジャズを演奏するようになります。時は第二次世界大戦のさなか、多くのジャズ・オーケストラは軍のバンドとして成熟する。第二次世界大戦の勃発にともない1942年に陸軍航空軍に入隊、慰問楽団を率いて演奏にまわった。国内外ツアー他、米国慰問協会で演奏したミラーは精力的に慰問演奏を続けていたが、大戦末期の1944年12月15日にイギリスからフランスへ慰問演奏に飛び立った後、乗っていた専用機(UC-64)がイギリス海峡上で消息を絶った。ドイツへの爆撃から帰還する途中のイギリス空軍の爆撃機が上空で投棄した爆弾が乗機に当たり墜落したとか、イギリス軍機の誤射で撃墜されたというのは噂止まりだが、楽団リーダーとして多大の敬愛を集めたミラーが亡くなってから、2019年で75年が経過しますが、いまも今も楽団の音楽が盛んに演奏され、且つ愛好されているのは、喜ばしく偉大なる現象と云えましょう。勿論これは1954年初頭に封切られた映画「グレン・ミラー物語」の影響もありましょうが、本当はそれ以上に彼の描いたバンド・スタイルが、何時までもメカニックな新鮮美を失わずに、永遠の若さを保っていることも、その大きな理由です。一般によく言われるグレン・ミラー・スタイルとは、彼の考案したクリアーな管楽器用法を指して云います。あのクラリネットのリードするサックス・セクションのユニークな唱わせ方や、トランペットとトロンボーンを別個のセクションに分離して、その対立的な用法を図ったこと、或いは低音によるダイナミックなユニゾン奏法や、プランジャーを有効に使った独特のブラス用法など、何れも彼の考案した優れた特性の一つですが、此処にもう一つ特記しておきたいのは、どんな曲に対しても決して無理なカラーの押しつけを行わずに、楽曲自体の持つメロディの美しさを十分に強調し、誰にも等しく楽しめるよう配慮したその巾の広い融通性こそ、彼のみが持つ立派な表現力と云えましょう。いわば若いジャズ・ファンばかりを対照にしたホットな追究ではなくて、老若男女誰にも共通して楽しめるスウィンギーなダンス音楽であることを、この際特に強調しておきたいと思います。ミラー亡き後、彼の残した偉大な功績、遺産を後世に伝えるべく、1956年にグレン・ミラー財団が設立されレイ・マッキンリーを初代リーダーに迎えたニュー・グレン・ミラー・オーケストラが結成されました。マッキンリー(Ray Mckinley, 1910.6.18~1995.5.7)はアメリカ合衆国生まれのジャズドラマー、歌手、バンドリーダーとして、ウィル・ブラッドリー楽団で1940年代は活躍。ブラッドリー・サウンドはグレン・ミラー・スタイルに近いが、ブギウギを世に生み出す斬新さが秘められており一味違った演奏が聴き処だった。戦後、マッキンリーはミラー直系の愛弟子として、ミラー亡きオーケストラを見事に復活させた。そしてRCAリヴィング・ステレオに、オリジナル・グレン・ミラーに最も近いサウンドで残した。本盤で聴く音楽こそ、マッキンリーによって永遠性を増した、珠玉のミラー・サウンドだ。 →コンディション、詳細を確認する
ビング・クロスビー ― (Bing Crosby, 1903年5月3日〜1977年10月14日)は、20世紀最大のポピュラー・シンガー。サッチモ ― ルイ・アームストロングと共にジャズ・ヴォーカル確率の功労者。ある統計によれば、生涯に2,700曲を超える録音を行い、売れたレコードは2億数千万枚に上るという。クルーニングと呼ばれる彼の唱法は、フランク・シナトラをはじめ多くの歌手に影響を与えた。1903年ワシントン州タコマ生まれ。法律家を目指したがジャズに熱中、ミルドレッド・ベイリーの兄アル・リンカー(Al Rinker, 1907年12月20日~1982年6月11日)とのデュオがポール・ホワイトマン(Paul Whiteman, 1890年3月28日~1967年12月29日)に認められ、1926年末にホワイトマンがスカウトしたピアニスト兼ヴォーカリストのハリー・バリス(Harry Barris, 1905年11月24日~1962年12月13日)が加わりリズム・ボーイズを結成、ヴォーカル・トリオとして本格的な活動に入る。1927年「Victor Records」から「ミシシッピー・マッド(Mississippi Mud, ミシシッピーの泥)」をリリース。後に世界的な大成功を収める〝ビング・クロスビー〟にとって初のレコーディングで、ホワイトマンのバンドも録音に参加。同曲は映画「キング・オブ・ジャズ(1930年、King Of Jazz)」でも挿入曲として使用され、メンバーも映画出演しています。1931年5月からはソロとして次々にヒットを飛ばし、一躍大人気スターとなった。以後、ミリオン・セラー22枚。歌手としては全米No.1ヒットが41曲。ザ・ビートルズですら20曲なので、恐らく歴代最多も記録を持っている。「ホワイト・クリスマス」(1942年)、「星にスイング」(1944年)、「黄金の雨」(1936年)、「僕は気ままに」(1944年)の4曲がグラミー賞の殿堂入りを果たしている。1962年、グラミー賞の生涯功労賞(Grammy Lifetime Achievement Award)を受賞。同賞の最初の受賞者である。TV、映画にも数多く出演し、1953年にはアカデミー賞も受賞している。オスカー受賞曲は4曲。「スイート・レイラニ」(1937年、ワイキキの結婚)、「ホワイト・クリスマス」(スイング・ホテル)、「星にスイング」(我が道を往く)、「冷たき宵に」(1951年、花婿来たる)。1977年スペイン・マドリッドにあるゴルフ場にて、プロゴルファーのマヌエル・ピエロらとコースを回った直後に心臓麻痺により倒れ、近くの病院で死去。
Bing Crosby ‎– Songs I Wish I Had Sung (The First Time Around)
  • Side-A
    1. Bing Crosby With Jud Conlon's Rhythmaires – April Showers, 四月の雨 – Written-By – B. G. DeSylva, Louis Silvers
    2. Bing Crosby – When My Baby Smiles At Me, ホェン・マイ・ベイビー・スマイルス・アット・ミー – Written-By – A. B. Sterling, B. Munro, H. Von Tilzer, T. Lewis
    3. Bing Crosby With Jud Conlon's Rhythmaires – My Blue Heaven, 私の青空 – Written-By – George Whiting, Walter Donaldson
    4. Bing Crosby – A Little Kiss Each Morning (A Litttle Kiss Each Night), ア・リトル・キッス・イーチ・モーニング – Written-By – Harry Woods
    5. Bing Crosby – Prisoner Of Love, 恋の虜 – Written-By – Clarence Gaskill, Leo Robin, Russ Columbo
    6. Bing Crosby – Ain't Misbehaving, 浮気はやめた – Written-By – Andy Razaf, Thomas Waller, Harry Brooks
  • Side-B
    1. Bing Crosby With Jud Conlon's Rhythmaires – Paper Doll, ペイパー・ドール – Written-By – Johnny S. Black
    2. Bing Crosby With Jud Conlon's Rhythmaires – This Love Of Mine, ジス・ラヴ・オヴ・マイン – Written-By – Frank Sinatra, Henry Sanicola, Sol Parker
    3. Bing Crosby – Thanks For The Memory, 想い出にありがとう – Written-By – Leo Robin, Ralph Rainger
    4. Bing Crosby – Blues In The Night, 夜のブルース – Written-By – Harold Arlen, Johnny Mercer
    5. Bing Crosby – Mona Lisa, モナリザ – Written-By – Jay Livingston, Ray Evans
    6. Bing Crosby – Memories Are Made Of This, 想い出はかくの如く – Written-By – Frank Miller, Richard Dehr, Terry Gilkyson
黒人ジャズ歌手の歌を聴き、盗み取ることで歌唱を磨いていったビング・クロスビーに訪れた好機は、1931年のこと。視点を日本に向けると、昭和6年、コロムビア商標を英国コロムビアから譲り受けた日本コロムビアは、すべての国産レコードのマークを現在の音符のコロムビア・マークに統一。東洋一のコロムビア・マークのネオン塔を川崎工場屋上に完成させた頃。舞踊や教材として蓄音器は普及していったが、マイクロフォンを使って電気録音されたポピュラーソング・歌謡曲のレコードが人気を得始めていた。わが国のラジオ放送は1925(大正14)年、東京と大阪で始まりました。続いて名古屋でも始まり、放送開始以来わずか1年半で、聴取者数30万という爆発的な普及をみました。昭和3年11月10日の昭和天皇即位式のラジオ放送計画を機に、新規加入者数に応じて取扱者に仲介手数料のほかに奨励金を払うことで加入者増大を図っていますが、1931(昭和6)年の岡山・小倉放送局の開局、受信機の低価格化と品質の向上、さらに9月の満州事変の勃発で戦況や国内状況の迅速な情報取得が必要となったことから、同年から加入者が急増しました。また、戦時下にあって、政府は、国防強化の面からラジオ放送を聴取することを奨励し、一層ラジオの普及に拍車がかかりました。閑話休題。この年、28歳になったクロスビーはCBSラジオ放送で、自分の名前が冠に付いた15分番組『ビング・クロスビー・ショー』を持つチャンスを掴む。毎週放送される、その甘い歌声はたちまちラジオを通してアメリカ中に広がり、彼は一躍アイドル的存在となってゆく。クロスビーの歌唱は、テクニシャン・タイプではなく、持って生まれた好ましい声質を上手に使って、〝好ましい気分・雰囲気〟を漂わせる高等技術に、その魅力的に聴かせる本質があると考えています。加えて、それこそ〝古きよき時代のアメリカ〟を思い起こさせる声質と同時に彼は、音楽史上においていち早くマイクロフォンを用いることで、新しい時代の歌い方を確立してしまう。
  • Record Karte
  • Date of sleeve printing 9.56. Release date between this and March 1957. EPs of this album were released between April and December 1957). Source: The Gramophone Catalogue, Jan 1958.
  • GB BRUNSWICK LAT8138 クロスビー SONGS I…
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