34-5169

商品番号 34-5169

通販レコード→英ブラック銀文字盤 DECCA PRESS

〝デニム地のタキシード〟 ― 天晴。晴れ男、晴れ女の天皇陛下・皇后陛下である。記憶に残る一日となりました。ビング・クロスビーは1953年に出版された自伝『Call Me Lucky』で、〝ぼくは歌い手じゃない、語り手なんだ〟と書いているが、この歌声を聴いていると、なるほどと思う。→コンディション、詳細を確認する
ビング・クロスビー ― (Bing Crosby, 1903年5月3日〜1977年10月14日)は、20世紀最大のポピュラー・シンガー。サッチモ ― ルイ・アームストロングと共にジャズ・ヴォーカル確率の功労者。ある統計によれば、生涯に2,700曲を超える録音を行い、売れたレコードは2億数千万枚に上るという。クルーニングと呼ばれる彼の唱法は、フランク・シナトラをはじめ多くの歌手に影響を与えた。1903年ワシントン州タコマ生まれ。法律家を目指したがジャズに熱中、ミルドレッド・ベイリーの兄アル・リンカー(Al Rinker, 1907年12月20日~1982年6月11日)とのデュオがポール・ホワイトマン(Paul Whiteman, 1890年3月28日~1967年12月29日)に認められ、1926年末にホワイトマンがスカウトしたピアニスト兼ヴォーカリストのハリー・バリス(Harry Barris, 1905年11月24日~1962年12月13日)が加わりリズム・ボーイズを結成、ヴォーカル・トリオとして本格的な活動に入る。1927年「Victor Records」から「ミシシッピー・マッド(Mississippi Mud, ミシシッピーの泥)」をリリース。後に世界的な大成功を収める〝ビング・クロスビー〟にとって初のレコーディングで、ホワイトマンのバンドも録音に参加。同曲は映画「キング・オブ・ジャズ(1930年、King Of Jazz)」でも挿入曲として使用され、メンバーも映画出演しています。1931年5月からはソロとして次々にヒットを飛ばし、一躍大人気スターとなった。以後、ミリオン・セラー22枚。歌手としては全米No.1ヒットが41曲。ザ・ビートルズですら20曲なので、恐らく歴代最多も記録を持っている。「ホワイト・クリスマス」(1942年)、「星にスイング」(1944年)、「黄金の雨」(1936年)、「僕は気ままに」(1944年)の4曲がグラミー賞の殿堂入りを果たしている。1962年、グラミー賞の生涯功労賞(Grammy Lifetime Achievement Award)を受賞。同賞の最初の受賞者である。TV、映画にも数多く出演し、1953年にはアカデミー賞も受賞している。オスカー受賞曲は4曲。「スイート・レイラニ」(1937年、ワイキキの結婚)、「ホワイト・クリスマス」(スイング・ホテル)、「星にスイング」(我が道を往く)、「冷たき宵に」(1951年、花婿来たる)。1977年スペイン・マドリッドにあるゴルフ場にて、プロゴルファーのマヌエル・ピエロらとコースを回った直後に心臓麻痺により倒れ、近くの病院で死去。
Bing Crosby ‎– Shillelaghs And Shamrocks
  • Side-A
    1. Bing Crosby With The Jesters And Bob Haggart Orchestra – MacNamara's Band
    2. Bing Crosby With The Jesters And Bob Haggart Orchestra – Dear Old Donegal
    3. Bing Crosby With The Jesters And Bob Haggart Orchestra – Who Threw The Overalls In Mrs. Murphy's Chowder?
    4. Bing Crosby With The Jesters And Bob Haggart Orchestra – It's The Same Old Shillelagh
    5. Bing Crosby With The King's Men And Perry Botkin's String Band – Two Shillelagh O'Sullivan
    6. Bing Crosby With Jeff Alexander Chorus And Victor Young Orchestra – The Donovans, パラマウント映画“Top O' The Morning”のナンバー
  • Side-B
    1. Bing Crosby With The King's Men And Victor Young Orchestra – Did Your Mother Come From Ireland?
    2. Bing Crosby With The King's Men And Victor Young Orchestra – Where The River Shannon Flows
    3. Bing Crosby With John Scott Trotter Orchestra – The Rose Of Tralee
    4. Bing Crosby With John Scott Trotter Orchestra – When Irish Eyes Are Smiling, パラマウント映画“Top O' The Morning”のナンバー
    5. Bing Crosby With The Mellomen And Matty Matlock Orchestra – With My Shillelagh Under My Arm
    6. Bing Crosby With The Mellomen And Matty Matlock Orchestra – St. Patrick's Day Parade
黒人ジャズ歌手の歌を聴き、盗み取ることで歌唱を磨いていったビング・クロスビーに訪れた好機は、1931年のこと。視点を日本に向けると、昭和6年、コロムビア商標を英国コロムビアから譲り受けた日本コロムビアは、すべての国産レコードのマークを現在の音符のコロムビア・マークに統一。東洋一のコロムビア・マークのネオン塔を川崎工場屋上に完成させた頃。舞踊や教材として蓄音器は普及していったが、マイクロフォンを使って電気録音されたポピュラーソング・歌謡曲のレコードが人気を得始めていた。わが国のラジオ放送は1925(大正14)年、東京と大阪で始まりました。続いて名古屋でも始まり、放送開始以来わずか1年半で、聴取者数30万という爆発的な普及をみました。昭和3年11月10日の昭和天皇即位式のラジオ放送計画を機に、新規加入者数に応じて取扱者に仲介手数料のほかに奨励金を払うことで加入者増大を図っていますが、1931(昭和6)年の岡山・小倉放送局の開局、受信機の低価格化と品質の向上、さらに9月の満州事変の勃発で戦況や国内状況の迅速な情報取得が必要となったことから、同年から加入者が急増しました。また、戦時下にあって、政府は、国防強化の面からラジオ放送を聴取することを奨励し、一層ラジオの普及に拍車がかかりました。閑話休題。この年、28歳になったクロスビーはCBSラジオ放送で、自分の名前が冠に付いた15分番組『ビング・クロスビー・ショー』を持つチャンスを掴む。毎週放送される、その甘い歌声はたちまちラジオを通してアメリカ中に広がり、彼は一躍アイドル的存在となってゆく。クロスビーの歌唱は、テクニシャン・タイプではなく、持って生まれた好ましい声質を上手に使って、〝好ましい気分・雰囲気〟を漂わせる高等技術に、その魅力的に聴かせる本質があると考えています。加えて、それこそ〝古きよき時代のアメリカ〟を思い起こさせる声質と同時に彼は、音楽史上においていち早くマイクロフォンを用いることで、新しい時代の歌い方を確立してしまう。
  • Record Karte
  • 1959年発売。
  • GB BRUNSWICK LAT8106 ビング・クロスビー SHI…