34-20999

商品番号 34-20999

通販レコード→仏セミサークル盤[オリジナル]

マリア・カラスの死は毒殺だったか。 ― 疑惑の矛先が向いたのが本盤の主役、ヴァッソ・デヴェッツィ。1927年ギリシャ生まれで、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチと共演していたりするデヴェッツィは、カラスがらみでも名前が出てくる。カラスは41歳で実質上引退。1977年9月16日、ひっそりと暮らしていたパリの自宅にて、53歳の若さで短い生涯を閉じる。死因は心臓発作といわれるが、カラスと個人的な親交もあり、オペラ演出家としても名高いフランコ・ゼフィレッリは、晩年のカラスに深く関わり、カラスの死後、彼女の遺産を横領したデヴェッツィによる毒殺説を唱えており、謎の部分も多い。遺体は火葬され、毒殺だったか調べることはできるのか。遺灰はフランスのペール・ラシェーズ墓地に、一旦は埋葬されたが、盗まれてまた戻ってくるあたりの真偽はわからない。カラス生前の希望により、1979年に出身地のギリシャ沖のエーゲ海に散骨された。カラスの最初の夫は、30歳年上のイタリアの実業家ジョバンニ・バティスタ・メネギーニであったが、後にカラスがギリシャの大富豪で、20世紀最大の海運王と呼ばれたアリストテレス・ソクラテス・オナシスの元に出奔し、離婚。オナシスとの愛人関係は、オナシスがジャクリーン・ケネディと再婚しても続けられたという。メネギーニといい、オナシスといい、彼らは〝考えられないような考えと行動を起こす〟男を愛し、愛され。ヴィスコンティに熱を上げていたカラスが嫉妬するくらい仲のよかったバーンスタインとヴィスコンティ。そして、カラスとヴィスコンティとバーンスタインとで仕事。彼女はルキーノ・ヴィスコンティに恋していた。彼は彼女のキャリアと容姿に影響を与えた。同性愛者であった彼はマリアの感情に報いることはできなかった。それで彼女はレナード・バーンスタインに嫉妬心を燃やす。バーンスタインとヴィスコンティは、スカラ座でマリアを主役としたベルリーニのオペラ<夢遊病の女>の公演中に、恋仲になった ― 「マリア・カラスという生き方」音楽之友社刊 アン・エドワーズ著 岸純信訳 原題:Maria Callas-An Intimate Biographyカラスが同性愛をどう考えていたかは想像もでませんが、これはちょっと嫌なシチュエーションなのでは。友人が減っていたカラスにとって、彼女がいた事は幸せだったかもしれない。デヴェッツィはフランスでかのマルグリット・ロンに師事し、パリを中心に活躍しました。バッハ、ハイドン、モーツァルトあたりの古典をルドルフ・バルシャイの指揮で録音していますが、そのことごとくが清潔感が支配する透明で生き生きとした世界でありながらどこかフランス風に洒落たところがあります。力の抜けた落ち着きある語り口、垣間見られる諦観、全体を覆う寂しげな感情、それらが節々から滲み出る印象は筆舌に尽くしがたいものがあります。エッヂの効いたバルシャイ=モスクワ室内管弦楽団の伴奏との相性は〝互いを活かし合う存在〟といってよく、このコンビの録音を世界中のファンが楽しみにしている中、彼女はカラスの死を契機に演奏活動を止めてカラス協会の会長として活躍することになります。本盤のピアノ協奏曲第12番は1782年に亡くなったヨハン・クリスチャン・バッハを悼んで第2楽章にその主題を借用した曲です。ケッヘル番号で12番(K.414)を挟んで連番となる11番(K.413)、13番(K.415)を含めた3曲をまとめて、モーツァルトは優しすぎもせず難しすぎもせず、ほどよい中間で、とても華麗に耳に快く響き、空虚に陥ることなく自然さを保っています。 ― と語っています。小規模ながら3曲の中では最も完成度の高い第12番は、有名演奏家による録音に恵まれていませんが、モーツァルトの創作意図によるところが大きいのかもしれません。〝弾いてこそ楽しい〟この12番は、このデヴェッツィ盤さえあればわたしは満足。カラスの伴奏もしたことのあるデヴェッツィがとった行動は、同郷(ただしカラスはニューヨーク生まれの移民の子でしたが)の偉大な音楽家への深いリスペクトゆえのものと思っています。
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