FR VSM 2C069-03950 リッカルド・ムーティ ケルビーニ・レクイエム

商品番号 34-17143

通販レコード→仏カラー・スタンプ・ドッグ盤[オリジナル]

救済というものがいつになるのかわからないけれども祈り続けるその心の大切さだけは伝わってくる ― モーツァルト、フォーレ、ヴェルディの作品を3大レクイエム、そこにケルビーニとベルリオーズを加えて5大レクイエムと呼んでいます。でも、マリア・カラスによるオペラ「メディア」の魅力を知るものの外、ケルビーニの音楽を聴く人はどれくらいいるのでしょうか。ロッシーニのフランス進出後にオペラ界での名声が凋落したため、今日さほど著名ではないものの、同時代の人々には高く評価され、ベートーヴェンはケルビーニを、当時の最もすぐれたオペラ作曲家と見なした。またケルビーニが執筆した対位法の教本は、ショパンやシューマン夫妻も用いたほどであった。彼が、錚々たる音楽家からの尊敬を勝ち得た人物であることを想像するのは難しいかもしれません。しかしケルビーニはベートーヴェンとそれに続く時代のあいだ ―ドビュッシーやラヴェルでさえ例外ではありません。― に生きた、音楽の覇者です。現代の巨匠で、ケルビーニの蘇演にかけているリッカルド・ムーティは、イタリア全土から集まった30歳以下の若者で構成され、3年間のみ在籍が認められるユースオーケストラを組織して、ルイージ・ケルビーニ管弦楽団と命名するほど。1760年9月フィレンツェに生まれたケルビーニの近年ますます注目を浴びる合唱作品を、その音楽史上の重要性をアピールすることに情熱をそそぐムーティの、合唱のハーモニーを重要視した演奏で、実に聴きごたえがあります。そしてムーティの思いをしっかり汲んだ、オーケストラの鉄壁なアンサンブルにもご注目。ルイ16世の死を悼み書かれたケルビーニの《ハ短調レクイエム》は、ベルリオーズが激賞したといわれ、また、ベートーヴェンもこの曲を高く評価し、「自分がもしレクイエムを作るとしたらケルビーニのような曲を作りたい」と言ったというのは有名な話。その遺を汲んでのことか、ベートーヴェンの葬儀に際して、この《ハ短調レクイエム》が演奏されたようです。ソロはなく混声合唱とオーケストラのための美しいハーモニーが多く聴ける、職人的な熟練の技による玄人向けの作品と言えるでしょう。派手さはありませんが、「Dies irae」 などでは、恐怖の表現としての銅鑼の使用には、かなり劇的な表現もみられ、オッフェルトリウムでの静謐な楽想など、部分的には近代性すら感じさせます。かのハンス・フォン・ビューローは「モーツァルトのレクイエムよりも優れている」と評したとか。ムーティは今でもそうなのかどうか、かつては女性のアイドルだった。日本にもファンクラブがあったはずだ。颯爽とした指揮ぶりだし、音楽もメリハリが強く、フレーズの終わりも威勢よく切ったりしてきっぱり感が強いところが女性受けしたのかもしれない。けれど、決してそれだけではない指揮者である。当時、ムーティを擁していたEMIは、お互いにライヴァル心むき出しだったクラウディオ・アバドのいたドイツ・グラモフォンと、これまた何かにつけはり合うことが多かった。そのためムーティはモーツァルト、ベートーヴェンはいざ知らず、けっこうマイナーなロシア音楽だの、ありとあらゆる曲を録音している。そのためニュー・フィルハーモニア管弦楽団や、フィラデルフィア管弦楽団とのクァドラフォニック盤やデジタル録音盤でのEMIらしからぬ芯のある録音もよいです。そして、当時のイタリア・オペラ界の名歌手の黄金期でもあったため、ヴェルディの歌劇「アイーダ」、「仮面舞踏会」、「マクベス」の競いあうような争奪戦。皮肉なことに、両盤のキャストを混ぜ合わせると、史上最高のキャストが出来上がります。もしムーティが得意の曲だけやっていれば、「なかなかいい指揮者じゃないか」となるだろう。だが、現代においてはそれでは許されない。レパートリーもキャリアも、何でも拡大路線でなくては生きていけない。
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毎年1月1日に行なわれるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤー・コンサート。クラシック音楽の中でも最も有名で、ウィーンの誇る黄金のムジークフェラインザールからTVとラジオを通じて世界90カ国以上に放送され、4億人が視聴するというビッグ・イベント。2018年も1月1日にNHKにて生中継されたウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートでは巨匠リッカルド・ムーティが、彼の若いころからの持ち味である颯爽たる進行を見せる曲 ― 《ボッカチオ》序曲や《雷鳴と電光》 ― あり、入念かつ繊細な表情を見せる曲 ― 《南国のばら》や《美しく青きドナウ》 ― ありと、楽しくも、実に味わい深いコンサートとなりました。ムーティは専制君主的なマッチョのイメージがあるが、たとえばゲオルク・ショルティのようにウィーン・フィルの魅力を圧殺せず、楽団の美点を十分に発揮させているのが好ましい。もちろん、ムーティらしいイタリアっぽい面も強いが、その一方で、ウィーンのやわらかさや陰影や陶酔的な歌もたっぷり含まれているのである。ウィーン・フィルならではの美しさを堪能させてくれるのはあまりないことだ。ムーティについて、ウィーン・フィル前楽団長アンドレアス・グロスバウアーは、「マエストロ・ムーティの指揮する演奏の極めて高い水準は、ウィーン・フィルの演奏史の中でも特別なものです。マエストロの演奏解釈は楽譜を綿密に研究することで生み出されていますし、われわれウィーン・フィルの特別なサウンドを愛して下さっているのです」と称賛しています。そして、2016年の来日演奏会で熱狂を巻き起こした、ムーティ指揮シカゴ交響楽団が、強力なプログラムを携えて2019年1月~2月、再び日本に上陸します。2010年から音楽監督に就任したときは、楽団のメンバーから多くの手紙や署名が届けられ、決心に至った間柄で強い絆を築いている。この熱烈な関係には、断絶をほのめかされるほどの嫉妬をかった。というのも、ニューヨーク・フィルハーモニックはロリン・マゼールを音楽監督に迎えてから、首席客演待遇で定期的に客演する関係を積み重ねていた最中の、シカゴ響の音楽監督への就任を表明にはニューヨーク・フィルのライバルであるシカゴ響でもあったことによりフィルハーモニックのザリン・メータ総裁は失望の意を示すほど。実はムーティは、空虚な指揮者が多い現代にあっては、玄人筋の評価がなかなか高い音楽家なのである。録音にも積極的に取り組み、1970年代にニュー・フィルハーモニア管を指揮してEMIに録音を開始して以来、さまざまなレーベルに数多くの名盤を残しています。今日では帝王とも呼ばれるムーティの手兵だった名門、フィルハーモニア管は当時は低迷期だったと言われるが、本盤では優れたパフォーマンスを示している。時として情緒豊かにメロディを鳴らし、時として熱くオーケストラを語らせるイタリア人ムーティの自在な、しかし落ち着いたタクトがこの曲想に良くあっている。ロシア指揮者以外で、これほど終始緊張を持続させてドラマチックに描ききった指揮者がいるでしょうか。
このオーケストラの持つ弦の柔らかさと緻密なアンサンブル、マイルドな金管といった個性はヘルベルト・フォン・カラヤン以来の特徴でしたが、リッカルド・ムーティは在任期間、それらに磨きをかけ、さらに敏感なまでのリズム感と強靭なカンタービレを持ち込んで素晴らしい成果を残した。それはオットー・クレンペラー亡き後にムーティを後任として選出した、当時のニューが付いていた頃のフィルハーモニア管弦楽団が、歌心あふれる演奏を取り戻す、思えば極めて大胆な決断を行ったものです。1941年、ナポリ生まれのイタリアの名匠ムーティ。そのエネルギッシュな指揮ぶりと躍動感のある演奏で知られる名指揮者です。1967年、グイド・カンテルリ指揮者コンクールに優勝して注目され、フィレンツェ五月祭歌劇場、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団、ミラノ・スカラ座の首席指揮者・音楽監督を歴任、2010年からはシカゴ交響楽団音楽監督を務めるかたわら、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やザルツブルク音楽祭などに客演しています。ヴェルディのオペラの名演を繰り広げるあのムーティがここには存在し、ムーティの音楽とは、ヴェルディの語法から発想されたものだと思われ。その是非はともかくとして、ムーティがそうした自分の音楽をウィーン・フィルに徹底して演奏させていることは認めねばならない。ところが、面白いことにウィーン・フィルはけっこう喜んでイタリア風の演奏をやっているようなのだ。シューベルトの「ロザムンデ」序曲。冒頭の暗い和音はまるでヴェルディの序曲みたいだ。次に出てくる木管楽器の旋律は女性主人公のアリア。ヴァイオリンの歌いまわしはますます完璧にオペラの世界。もしこの曲を知らなかったら、絶対にヴェルディの中期作品だと思うだろう。よく知られているように、モーツァルトの時代もベートーヴェンの時代も、ウィーンで一番人気があったのはイタリア音楽だった。だとしたら、ウィーンの作曲家にイタリア音楽の強い影響があるのも不思議ではない。シューベルトの初期の交響曲にはモーツァルト風でもあるが、イタリアらしさの表出した明朗な開放感であるし、ロッシーニ的な表情がけっこう出ている。このウィーン風味とイタリア風味が混じり合ったシューベルトが心地よいのは、そうしたことも関係するだろう。のちのフィラデルフィア管弦楽団との演奏の数々も、オーケストラの優秀さと、音そのもののエネルギー感において、素晴らしいものもありますが、ウィーン・フィルとの機敏かつエネルギッシュな音楽を、フィルハーモニア時代のムーティの大胆さと、歌心あふれる演奏に、それを重ねあわせて聴くことも可能。録音時35歳のムーティの熱血かつ、情熱と表現意欲に富んだオーケストラが見事。イギリスのオーケストラとは思えない、強靭なカンタービレと歌をニューが付いていたころのフィルハーモニア管から引き出してます。
Cherubini;Requiem in C Mino
Cherubini
Angel Records
1993-05-11

1980年7月17,18日ロンドン、キングズウェイ・ホールでの録音。Chorus – Ambrosian Singers, Chorus Master – John McCarthy, Orchestra – New Philharmonia Orchestra, Conductor – Riccardo Muti. Engineer – Neville Boyling, Producer – John Mordler
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