FR VSM 2702 831 リッカルド・ムーティ ケルビーニ・メサ

商品番号 34-17142

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新古典派の音楽の本質を顕す形式的で端麗な美しさのみならず、洗練された美しさが備わっています。 ― オペラを特集した記事、音楽業界でマリア・カラスがディーヴァと大切にされるのは、オペラをアイドルに導いたエンタテイメントの面と、幾つものオペラの蘇演というアカデミックの面での、両輪で貢献していることによるのです。ポンキエルリのオペラ「ラ・ジョコンダ」は高難度をヒロインに求めるので、忘れられていたオペラではなかったものの、上演の踏ん切りがマリア・カラスがヒロインを歌うことで実現できました。でも、マリア・カラスによるオペラ「メディア」の魅力を知るものの外、ケルビーニの音楽を聴く人はどれくらいいるのでしょうか。ロッシーニのフランス進出後にオペラ界での名声が凋落したため、今日さほど著名ではないものの、同時代の人々には高く評価され、ベートーヴェンはケルビーニを、当時の最もすぐれたオペラ作曲家と見なした。ベートーヴェンは『荘厳ミサ曲』の草稿を10歳年上の作曲家ケルビーニに捧げ、「この曲で何か気づいた点があったら言って頂きたい」と指導を求めている。一方、ベルリオーズはケルビーニを「かの高名な老いぼれ」とこき下ろした。これには国立音楽院の図書館が一般公開されていることを知ったベルリオーズは、楽譜の研究で入り浸った。だが、規則を破って音楽院の女生徒用の門から入ったことで音楽院長ケルビーニの逆鱗に触れ、図書館への出入り禁止にされた背景にある。またケルビーニが執筆した対位法の教本『対位法とフーガ講座』は、1835年の初版以降、英訳、独訳を通じて、19世紀全般における最も良く知られた対位法・フーガ教本で、パリ音楽院の公式教科書として採用され、各国の音楽専門教育の基準となったのみならず、ショパンやシューマン夫妻も用いたほどであった。結局はナポレオン戦争などの事情でシャルル10世が退位に追い込まれた後、エステルハージ侯爵に召抱えられることは無かったのですが、彼が当時のパリ音楽院院長であったことが知られるくらいで、錚々たる音楽家からの尊敬を勝ち得た人物であることを想像するのは難しいかもしれません。しかしケルビーニはベートーヴェンとそれに続く時代のあいだ ―ドビュッシーやラヴェルでさえ例外ではありません。― に生きた、音楽の覇者です。
1825年、フランス国王シャルル10世即位を記念し、オペラ・カンタータ『ランスへの旅』を国王に献呈、「フランス国王の第一作曲家」の称号と終身年金を33歳で得たロッシーニが、早世したわけでなく、1829年、中期の代表作であるオペラ『ウィリアム・テル』をパリで初演したのが、失敗したわけでないのに37歳をもってしてオペラの商売を廃業した結果、最後のオペラになってしまいます。それから40年も後半生を過ごしますが、1836年、1歳年上のマイアベーア(1791〜1864)の大規模なグランド・オペラ『ユグノー教徒』の大成功で新時代の到来を認識、不眠症に悩まされたほどで、決定打は1830年の7月革命だったと言われています。フランス国王シャルル10世が退位し、政変のあおりでロッシーニの年金契約が無効とされてしまいます。そこでロッシーニは新政府を相手に終身年金を求める裁判を起こし、オペラの筆を折ると宣言しフランス政府に圧力をかけたのです。ところが裁判が審議される間、稀代の食通として社交界の寵児であったロッシーニは、ますます料理の創作に情熱を注ぐようになり、トリュフとフォアグラを使った様々な料理を考案しました。結果は1836年、裁判に勝って終身年金を得たロッシーニでしたが、すでに料理家としての情熱の方が作曲家としてのそれに勝っていました。ケルビーニの《シャルル10世の戴冠式のためのミサ曲》は、1825年の作曲。現代の巨匠で、ケルビーニの蘇演にかけているのがナポリ生まれの熱血漢リッカルド・ムーティ。イタリア全土から集まった30歳以下の若者で構成され、3年間のみ在籍が認められるユースオーケストラを組織して、ルイージ・ケルビーニ管弦楽団と命名するほど。1760年9月フィレンツェに生まれたケルビーニ(1760〜1842)の近年ますます注目を浴びる合唱作品を、ガブリエレ・フェッロの同志と共に、その音楽史上の重要性をアピールすることに情熱を注ぐムーティの思いをしっかり汲んだ、オーケストラの鉄壁なアンサンブルにもご注目。この曲を指揮するムーティやフィルハーモニア管弦楽団・合唱団は、この曲の長所を如何なく引き出す事に成功している。ムーティは今でもそうなのかどうか、かつては女性のアイドルだった。日本にもファンクラブがあったはずだ。颯爽とした指揮ぶりだし、音楽もメリハリが強く、フレーズの終わりも威勢よく切ったりしてきっぱり感が強いところが女性受けしたのかもしれない。けれど、決してそれだけではない指揮者である。当時、ムーティを擁していたEMIは、お互いにライヴァル心むき出しだったクラウディオ・アバドのいたドイツ・グラモフォンと、これまた何かにつけはり合うことが多かった。そのためムーティはモーツァルト、ベートーヴェンはいざ知らず、けっこうマイナーなロシア音楽だの、ありとあらゆる曲を録音している。そのためニュー・フィルハーモニア管弦楽団や、フィラデルフィア管弦楽団とのクァドラフォニック盤やデジタル録音盤でのEMIらしからぬ芯のある録音もよいです。そして、当時のイタリア・オペラ界の名歌手の黄金期でもあったため、ヴェルディの歌劇「アイーダ」、「仮面舞踏会」、「マクベス」の競いあうような争奪戦。皮肉なことに、両盤のキャストを混ぜ合わせると、史上最高のキャストが出来上がります。もしムーティが得意の曲だけやっていれば、「なかなかいい指揮者じゃないか」となるだろう。だが、現代においてはそれでは許されない。レパートリーもキャリアも、何でも拡大路線でなくては生きていけない。
毎年1月1日に行なわれるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤー・コンサート。クラシック音楽の中でも最も有名で、ウィーンの誇る黄金のムジークフェラインザールからTVとラジオを通じて世界90カ国以上に放送され、4億人が視聴するというビッグ・イベント。2018年も1月1日にNHKにて生中継されたウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートでは巨匠リッカルド・ムーティが、彼の若いころからの持ち味である颯爽たる進行を見せる曲 ― 《ボッカチオ》序曲や《雷鳴と電光》 ― あり、入念かつ繊細な表情を見せる曲 ― 《南国のばら》や《美しく青きドナウ》 ― ありと、楽しくも、実に味わい深いコンサートとなりました。ムーティは専制君主的なマッチョのイメージがあるが、たとえばゲオルク・ショルティのようにウィーン・フィルの魅力を圧殺せず、楽団の美点を十分に発揮させているのが好ましい。もちろん、ムーティらしいイタリアっぽい面も強いが、その一方で、ウィーンのやわらかさや陰影や陶酔的な歌もたっぷり含まれているのである。ウィーン・フィルならではの美しさを堪能させてくれるのはあまりないことだ。ムーティについて、ウィーン・フィル前楽団長アンドレアス・グロスバウアーは、「マエストロ・ムーティの指揮する演奏の極めて高い水準は、ウィーン・フィルの演奏史の中でも特別なものです。マエストロの演奏解釈は楽譜を綿密に研究することで生み出されていますし、われわれウィーン・フィルの特別なサウンドを愛して下さっているのです」と称賛しています。そして、2016年の来日演奏会で熱狂を巻き起こした、ムーティ指揮シカゴ交響楽団が、強力なプログラムを携えて2019年1月~2月、再び日本に上陸します。2010年から音楽監督に就任したときは、楽団のメンバーから多くの手紙や署名が届けられ、決心に至った間柄で強い絆を築いている。この熱烈な関係には、断絶をほのめかされるほどの嫉妬をかった。というのも、ニューヨーク・フィルハーモニックはロリン・マゼールを音楽監督に迎えてから、首席客演待遇で定期的に客演する関係を積み重ねていた最中の、シカゴ響の音楽監督への就任を表明にはニューヨーク・フィルのライバルであるシカゴ響でもあったことによりフィルハーモニックのザリン・メータ総裁は失望の意を示すほど。実はムーティは、空虚な指揮者が多い現代にあっては、玄人筋の評価がなかなか高い音楽家なのである。録音にも積極的に取り組み、1970年代にニュー・フィルハーモニア管を指揮してEMIに録音を開始して以来、さまざまなレーベルに数多くの名盤を残しています。今日では帝王とも呼ばれるムーティの手兵だった名門、フィルハーモニア管は当時は低迷期だったと言われるが、本盤では優れたパフォーマンスを示している。時として情緒豊かにメロディを鳴らし、時として熱くオーケストラを語らせるイタリア人ムーティの自在な、しかし落ち着いたタクトがこの曲想に良くあっている。ロシア指揮者以外で、これほど終始緊張を持続させてドラマチックに描ききった指揮者がいるでしょうか。
このオーケストラの持つ弦の柔らかさと緻密なアンサンブル、マイルドな金管といった個性はヘルベルト・フォン・カラヤン以来の特徴でしたが、リッカルド・ムーティは在任期間、それらに磨きをかけ、さらに敏感なまでのリズム感と強靭なカンタービレを持ち込んで素晴らしい成果を残した。それはオットー・クレンペラー亡き後にムーティを後任として選出した、当時のニューが付いていた頃のフィルハーモニア管弦楽団が、歌心あふれる演奏を取り戻す、思えば極めて大胆な決断を行ったものです。1941年、ナポリ生まれのイタリアの名匠ムーティ。そのエネルギッシュな指揮ぶりと躍動感のある演奏で知られる名指揮者です。1967年、グイド・カンテルリ指揮者コンクールに優勝して注目され、フィレンツェ五月祭歌劇場、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団、ミラノ・スカラ座の首席指揮者・音楽監督を歴任、2010年からはシカゴ交響楽団音楽監督を務めるかたわら、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やザルツブルク音楽祭などに客演しています。ヴェルディのオペラの名演を繰り広げるあのムーティがここには存在し、ムーティの音楽とは、ヴェルディの語法から発想されたものだと思われ。その是非はともかくとして、ムーティがそうした自分の音楽をウィーン・フィルに徹底して演奏させていることは認めねばならない。ところが、面白いことにウィーン・フィルはけっこう喜んでイタリア風の演奏をやっているようなのだ。シューベルトの「ロザムンデ」序曲。冒頭の暗い和音はまるでヴェルディの序曲みたいだ。次に出てくる木管楽器の旋律は女性主人公のアリア。ヴァイオリンの歌いまわしはますます完璧にオペラの世界。もしこの曲を知らなかったら、絶対にヴェルディの中期作品だと思うだろう。よく知られているように、モーツァルトの時代もベートーヴェンの時代も、ウィーンで一番人気があったのはイタリア音楽だった。だとしたら、ウィーンの作曲家にイタリア音楽の強い影響があるのも不思議ではない。シューベルトの初期の交響曲にはモーツァルト風でもあるが、イタリアらしさの表出した明朗な開放感であるし、ロッシーニ的な表情がけっこう出ている。このウィーン風味とイタリア風味が混じり合ったシューベルトが心地よいのは、そうしたことも関係するだろう。のちのフィラデルフィア管弦楽団との演奏の数々も、オーケストラの優秀さと、音そのもののエネルギー感において、素晴らしいものもありますが、ウィーン・フィルとの機敏かつエネルギッシュな音楽を、フィルハーモニア時代のムーティの大胆さと、歌心あふれる演奏に、それを重ねあわせて聴くことも可能。録音時35歳のムーティの熱血かつ、情熱と表現意欲に富んだオーケストラが見事。イギリスのオーケストラとは思えない、強靭なカンタービレと歌をニューが付いていたころのフィルハーモニア管から引き出してます。
Coronation Mass
Cherubini
Capitol
1993-01-12

1984年7月3〜5,8日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオでの録音。
FR VSM 2702 831 リッカルド・ムーティ ケルビーニ・メサ
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