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商品名FR VOCE VOCE98 フラグスタート Kirsten Flagstad in concert 1949-1950

未発表私家録音盤 ― このレコードにはキルステン・フラグスタートがサンフランシスコで1949年に行った幾つかの演奏会から選曲されている。「ヨホホヘ!ヨホホヘ!ヨホホヘ!ヨホヘ!大海原で、おまえたち、出会うたことがおありかね、 黒いマストに、血のような、赤い帆架けたあの船に?」と幻想的で狂気を含んで歌いだされる「さまよえるオランダ人」のゼンタのバラード( Johohoe! Traft ihr das Schiff im Meere an )で始まり、つづく楽劇「トリスタンとイゾルデ」のセット・スヴァンホルムとの愛の二重唱と、愛の死。楽劇「神々の黄昏」から終幕のブリュンヒルデの自己犠牲はフルトヴェングラーと1952年に録音した楽劇「神々の黄昏」より出来が良い。最後は1950年のリヒャルト・シュトラウスの歌曲リサイタルから選ばれた3曲。つまみ食いのような選曲ながらファンだからこそベストを選んでいることに私家盤の意味がある。フラグスタートは1895年生まれ。1949年は54歳ということになる。DECCA 録音のフラグスタートの声はひ弱な印象がぬぐえないが、本盤で聴く歌声は非常に強靭で力があり、ひ弱な印象はまったく無い。フラグスタートの声を質感も十分に捉えた録音の価値には非常に高いものがあると思われます。さしずめ将来は、YouTubeにアップされたファンの映像が公式認定される時代だろう。
セット・スヴァンホルム( Set Svanholm, 1904.9.2〜1964.10.4 スウェーデン )といえば、ワーグナー愛好家で知らない人は多分いない、ヴォルフガング・ヴィントガッセンよりちょっと前の世代の代表的なスウェーデン出身のヘルデン・テノールである。彼はスウェーデン、ヴェステルオース生まれ。小学校の教師や教会のオルガン奏者をした時期もあり、その後オペラ音楽院等で学ぶ。1930年ストックホルム王立歌劇場でデビューする。36年「アイーダ」のラダメスを歌い、テノールとしての再デビューを果たす。38年ザルツブルク音楽祭、42年バイロイト音楽祭に参加。56年から7年間ストックホルム王立歌劇場の音楽監督として活躍する。第2次大戦直後における優れたジークフリートやトリスタンを歌うワーグナー歌手として君臨する。ジョン・カルショウのプロジェクトではクナッパーツブッシュのワルキューレ第1幕でジークムント、ショルティのリングでは飄々とローゲを歌っているにとどまるのは報われないが、フルトヴェングラー・スカラ座盤では堂々主役のジークフリートである。別の次元から響いてくるようだ。格がちがう、と雄大なスケールと侵し難い風格、細やかで暖かい表現を合わせ持った、輝かしい声は「神のごとき」と形容され、一世を風靡したこのワグネリアン・ソプラノのフラグスタートとの競演も多い。
キルステン・フラグスタート( Kirsten Flagstad, 1895.7.12〜1962.12.7, ノルウェー)といえば、歴代ワーグナー歌手の中でも最高の名声をほしいままにしたことでも知られる伝説的な存在。現在の100ノルウェー・クローネ紙幣に彼女の肖像を見ることができる。フラグスタートの声を聴いて本当にいい歌手だと感じた。「不世出」という言い方があるがまさにその言葉がふさわしい。1930年代なかばにはすでに世界的な大歌手として活躍していたフラグタートは、1953年にはオペラのステージから引退してしまいます。しかし幸いなことにデッカは、引退していた彼女を粘り強く説得し、優れた録音技術によって、その偉大な声を良い音質で残すことに成功したのです。最後の録音は62歳だったとは思えない、圧倒的な完成度を持って描かれています。ノルウェーのハーマル出身で18歳の時にオスロ国立劇場でオペラ歌手としてデビューした。当初は北欧での活動が主で、国際的に注目を集めるようになったのは1933年にバイロイト音楽祭に出演して以降のことである。ただし、ワグネリアンでもあったアドルフ・ヒトラーの影響力が強かった当時のバイロイトではノルウェー人のフラグスタートはさほど重用されなかった。1935年にはメトロポリタン歌劇場に登場し1941年にノルウェーに帰国するまでワーグナー歌手として活躍する。ノルウェー帰国は夫がナチス・ドイツに協力していたのを説得してやめさせるためとされ、1947年までの間ほとんど演奏活動は行っていない。全盛期はSPレコード時代に属するが、2つの世界大戦の間で評判は伝説を伝え聞くことが出来るだけで、良い録音に恵まれていない。1950年にはヴィルヘルム・フルトヴェングラーとの共演でリヒャルト・シュトラウスの「4つの最後の歌」を初演している。しかし、それに続くフルトヴェングラーと録音したレコードにしてもシュワルツコップの声で一部置き換えられてしまった。この演奏会のあとで6月10~22日にスタジオ・セッションでフルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で《トリスタンとイゾルデ》の全曲録音を行っている。この録音セッションでシュワルツコップフがフラグスタートの歌う部分の一部を代役で歌ったことがスキャンダルになり、精神的なダメージを負いフラグスタートは引退同様になってしまい引っ込んでしまった。フラグスタートが本来歌うべき第2幕の冒頭のハイCが、実はシュワルツコップの代役によるものと判明して大きな物議をかもした。1953年にパーセルの「ディドーとエネアス」に出演したのを最後に舞台からは引退したが、その後もリサイタルや録音で活動を続けた。引っ込んでしまったフラグスタートを引っ張り出したのが英 DECCA のプロデューサー、ジョン・カルショウだ。カルショウによってクナッパーツブッシュの指揮でヴェーゼンドンクの5つの歌、ローエングリン、パルシファルから4曲、それとスヴァンホルム、ヴァン・ミルを加えてワルキューレ第1幕の録音が残された。その時期にデッカ・レコードで実現したゲオルク・ショルティ指揮「ニーベルングの指環」のスタジオ録音にも出演している。元来フラグスタート中心で予定されたが、当初指揮者として開始したクナッパーツブッシュが放棄。順風満帆と行かずに、8年間を要しフラグスタートは「ニーベルングの指環」の第一作「ラインの黄金」でフリッカ役を歌うにとどまり降板してしまう。1962年、オスロで死去。
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