カラヤンの置き土産 ― NHK交響楽団の実力の基礎を作った指揮者で、少しの飾り気もハッタリもない純ドイツ風の安心して聴ける音楽づくりで日本人には耳馴染みある《アイーダ》の原風景。『凱旋行進曲』と『清きアイーダ』が中学校音楽家教科書の教材に選ばれている。カラヤンを間近にしていた副指揮者。カラヤンの来日ツアーに随行した縁でNHK交響楽団の常任指揮者になるが、近衛秀麿がプロの交響楽団として組織したのがNHK交響楽団となるわけで因縁は面白い。犬猿とは互角の間で言うべきもので、カラヤンはナチへの従順な奉仕であり、フルトヴェングラーはそうではない。そこからカラヤンとフルトヴェングラーは犬猿の仲とはいえるものではない。カラヤンにはドイツの貴族の称号たる“von”が名前の上についているが、カラヤン家はオーストリアの名門には違いない。故にわたしはフォン・カラヤンと書くことはない。カラヤンの父はオーストリアの医学界の重鎮だったが、祖父はギリシャ人で母はセルビア人、ギリシャから移住してきた彼の祖父が織物業者でドイツに住みつき大いに財を成した。その倅も父に劣らず財をなしてホーヘンツォルレン家から男爵号を授与された。その後、一家はオーストリアに移りカラヤンの祖父と父がともにハプスブルク家の侍医となって、これまた財を蓄えたのでハプスブルク家から男爵号を貰ったという。カラヤンの指揮ぶりは、その伸ばした腕の位置が、普通の指揮者より少し高い。演奏が満足すべき状態にあると両目を半眼にして、音楽を自分の方へ抱き寄せるふうにして、タクトの動きよりは両腕全体が掌(たなごころ)を内に向けてゆるく上下に波打って動いている。そしてフォルテでは虚空を鷲掴みにして感動を奪い取るように、肘をふるわせては素早く垂直に棒をおろす。髪振り乱す情熱な様子では無いが、その熱狂的な指揮ぶりは、いくらかはバルカンの血のせいだろうという。カラヤンにはドイツ人の血は一滴も流れていないそうである。それ故、ナチの誘いがあったとき生粋のドイツ人フルトヴェングラーは頑固に「ナイン」と言いえたことでも、血をドイツに持たないカラヤンは拒む道理を見出しきれなかった。長年カラヤンのアシスタントをつとめたシュヒターは「極めて脆弱な神経の持ち主であり、インフェリオリティ・コンプレックスの塊みたいな男だった。」と言ったそうだ。カラヤンは19歳になったとき、ドイツのウルムという小さな町の市立オペラの指揮者になったが、三流どころと言っていいこのオーケストラを率いてデビューした『フィガロの結婚』は大成功だった。また35歳の頃に、みずから第2ハープシコードを弾きながら『ブランデンブルク協奏曲』を指揮したことがあるが、これを見た或るハープシコード奏者は、「カラヤンは本物のバッハのスペシャリストになることもできたろう」と感嘆し「カラヤンはあらゆるヴィルティオーゾ的魅力をこめた素晴らしい音楽を聴かせてくれた。彼はまるで18世紀のカペルマイスターのようにオーケストラの一員だった。しかも、カラヤンが控え目にコンティヌオ(通奏低音)を演奏していたときすら、オーケストラは稀な完璧度にまで訓練されているのが分った」と言っている。
ヴィルヘルム・シュヒター(1911.12.15〜1974.5.27)はボンに生まれ、ケルン音楽院で指揮をヘルマン・アーベントロートに学んだ後、ドイツ国内で活躍。第2次世界大戦後にハンブルクの北西ドイツ放送交響楽団、続いてケルンの北西ドイツ・フィルの常任指揮者となり、同時にベルリン・フィルなどへも客演した。カラヤン率いるベルリン・フィルの日本公演に副指揮者として初来日したのが1957年だった。11月3日のNHKホールを初日に、日比谷公会堂で4日から6日まで、7日、8日に名古屋市公会堂、移動日を挟んで福岡電気ホールが10日、八幡製鉄体育館で11日。13日に広島市公会堂、15日と16日に宝塚大劇場、17日に神戸国際会館とまわり19日に日比谷公会堂に戻ってくるが、20日に産経ホールと22日の東京体育館の間に11月21日の仙台市公会堂での公演のみカラヤンは体調不良を理由に東京にとどまった。この日、カラヤンの代わりを務めてドヴォルザーク「交響曲第9番」、スメタナ「モルダウ」やストラヴィンスキー「組曲・火の鳥」の熱い演奏を聴かせたのが副指揮者として随行してきたシュヒター。シュヒターは当日の午前中にはNHK交響楽団との仕事がはいっていましたが、午後、仙台に急遽とんで無事指揮をこなした。それがきっかけとなってNHK交響楽団に招かれ、オーケストラ・トレーナーとしての秀抜な手腕を発揮した。もし、シュヒターが1959年から62年まで、NHK交響楽団の常任指揮者を努めなかったならば、彼の名が我が国の聴衆に記憶されたであろうか。シュヒターの誠実で風格に溢れた指揮のもとで懸命に演奏したNHK交響楽団は、この4年間で、世界に通用するNHK交響楽団の実力の基礎が築かれた。帰国後の62年からドルトムント歌劇場の音楽総監督となり、没するまでそのポストにあった。全く録音に恵まれず、残っているのはNHK交響楽団を指揮した黛敏郎の「涅槃交響曲」(59年)程度だが、ドイツ魂が香り立った静謐な風貌と指揮ぶりは、「GB EMI ALP1095-8 シュヒター ワーグナーローエングリン(全曲)」、「FR TRIANON 2C045-10088 シュヒター バッハ・ブランデンブルク協奏曲」で存分に味わえる。このバッハはハンブルク室内管弦楽団との珠玉の名演である。ここでのハンブルク室内管弦楽団は北ドイツ放送交響楽団のメンバーから成っているらしいが、ソロの巧さはドイツ屈指のオーケストラの名手たちで見事だ。ブランデンブルク協奏曲の重要な要素となる管楽器のソリストにはリコーダーにカール・リヒターやコレギウム・アウレウムなどとの共演で名高いハンス=マルティン・リンデ、トランペットにカラヤンやミュンヒンガーの「ブランデンブルク協奏曲」の録音にも参加しているアドルフ・シェルバウムを擁しているのも魅力。どっしりとしたテンポ設定の的確さは師匠のアーベントロート譲りである事を思わせ、厳しい音楽創りから生まれる重厚さはバッハの音楽の神髄を痛いほど感じさせる。鬼より怖いとされるシュヒターの厳格なリハーサルを積み重ねたであろうこの録音には紛れもなく古き佳き時代の響きが息づいている。
1955年、ハンブルク録音。ハンブルク室内管弦楽団(ハンブルク北ドイツ放送交響楽団員):ベルンハルト・ハーマン(ヴァイオリン)、アドルフ・シェルバウム(トランペット)、ゲルハルト・オットー(フルート)、ヘルムート・エッゲルス(オーボエ)、フェルディナンド・コンラッド(リコーダー)、ハンス=マルティン・リンデ(リコーダー)、ハインツ・ベルンスタイン(チェンバロ)。独 Odeon 80525/6 原盤。
FR  TRIANON  2C045-10088 シュヒター バッハ…
FR  TRIANON  2C045-10088 シュヒター バッハ…