34-346
通販レコード→仏 ライト・イエロー黒文字盤

FR SWF SWF8501 フルトヴェングラー ハイドン・88番他

商品名FR SWF SWF8501 フルトヴェングラー ハイドン・88番他

フルトヴェングラーの音楽を讃えて、「音楽の二元論についての非常に明確な観念が彼にはあった。感情的な関与を抑制しなくても、構造をあきらかにしてみせることができた。彼の演奏は、明晰とはなにか硬直したことであるはずだと思っている人がきくと、はじめは明晰に造形されていないように感じる。推移の達人であるフルトヴェングラーは逆に、弦の主題をそれとわからぬぐらい遅らせて強調するとか、すべてが展開を経験したのだから、再現部は提示部とまったく変えて形造るというような、だれもしないことをする。彼の演奏には全体の関連から断ち切られた部分はなく、すべてが有機的に感じられる。」とバレンボイムの言葉を前置きに、そこで次の、ドイツの古典とフランスの ― まだざん新な印象が残っていただろう ― ラヴェルの2曲。ハイドンは交響曲の父と説明されて、「ロンドン・セット」から聴き始めるのが一般的だろうが、その12曲のセットのうちメロディーを口ずさめるのは「驚愕」ぐらいなものではないだろうか。それは「驚愕」は録音していても「時計」はない、とか、「軍隊」はあっても「ロンドン」は無し、とかハイドンの「ロンドン・セット」を全部録音した指揮者が少ないのも反映していると思える。しかし、不思議と「V字」はかなり多くの指揮者が録音している。特にモノラル時代の巨匠がほとんどもれなく録音している。レコード時代の指揮者は悉くフルトヴェングラーの録音を意識していると想像しやすい。フルトヴェングラーの名盤でハイドンの《V字》交響曲を聴いて以来、これこそハイドンの交響曲を代表する1曲と思うようになる。そして、フルトヴェングラーというとベートーヴェンやブラームスを演奏する堅物指揮者というイメージがあって、こういうフランス物などはいかにも向いてなさそうな先入観がありましたが、フルトヴェングラーはラヴェルを愛していた。大好きな「優雅で感傷的なワルツ」を演奏会のプログラムでもないのにしょっちゅう自分のためだけに演奏させた。「スペイン狂詩曲」も好きだった。とにかくフルトヴェングラーのラヴェルは素晴らしかった。 ― フルトヴェングラーの指揮で演奏していた当時のベルリン・フィル楽団員だったチェロ奏者フィンケ氏は語っている。先入観だけで二の足を踏んでしまうかもしれませんが、聴けば目の覚めるような思いをするでしょう。カール・ベームは忘れられた感が有る。カラヤンも20年持たないだろうとも言われるが、音に不備があろうと ― 音が悪いのを認知した上で ― フルトヴェングラーが聴かれ続けるのは変わらない。それは推移の巧みな音楽運びに有る。両曲とも、1951年10月22日、シュトゥットガルトでのライヴ録音。本盤は、仏ウィルヘルム・フルトヴェングラー協会(SWF)からリリースされたシリーズで録音は想定外に良い。先輩格のニキッシュから習得したという指揮棒の動きによっていかにオーケストラの響きや音色が変わるかという明確な確信の元、自分の理想の響きをオーケストラから引き出すことに成功していったフルトヴェングラーは、次第にそのデモーニッシュな表現が聴衆を圧倒する。当然、彼の指揮するオペラや協奏曲もあたかも一大交響曲の様であることや、テンポが大きく変動することを疑問に思う聴衆もいたが、所詮こうした指揮法はフルトヴェングラーの長所、特徴の裏返しみたいなもので一般的な凡庸指揮者とカテゴリーを異にするフルトヴェングラーのキャラクターとして不動のものとなっいる。このウィーン・フィルとの晩年の「グレート」も、こうしたキャラクター丸出し。全く機械的ではない指揮振りからも推測されるように、楽曲のテンポの緩急が他の指揮者に比べて非常に多い。が、しかし移り変わりがスムーズなため我々聴き手は否応なくその音楽の波に揺さぶられてしまうのです。これが没後半世紀を経て今尚、エンスーなファンが存在する所以でしょう。インタビューも収録されており、鑑賞用だけではなく、資料としての価値もある。
FR SWF SWF8501 フルトヴェングラー ハイドン・88番他
FR SWF SWF8501 フルトヴェングラー ハイドン・88番他