34-19276
商品番号 34-19276

通販レコード→仏マルーン銀文字盤 DYNAGROOVE
ルービンシュタインにとっては、複数あるスタジオ録音のうちの最後にあたるもので、独特のグランドマナーとのびやかな詩情に彩られた名演。 ― ピアノ協奏曲とノヴェレッテは、いずれもシューマンの名曲として知られるものです。これらルービンシュタインにとっては複数あるスタジオ録音のうちの最後にあたるもので、独特のグランドマナーとのびやかな詩情に彩られた名演。ピアノ協奏曲は、名匠ジュリーニによる歌心に満ちたサポートも聴き応えに富んでいます。シカゴ交響楽団の充実した磨き抜かれたアンサンブルとジュリーニの重厚な指揮が見事にマッチして、この曲の理想的な伴奏を展開しています。ルービンシュタインはこの両曲を遅めのテンポで実に淡々と、ルービンシュタインの大きな手を想像させる、確実な打鍵で実に豪快な完成度の高い、しかし自然な息遣いで再現していきます。「枯山水」と一言で評されるぐらいに一切の力みや無駄な表情付けがなく、この曲をこれほど靭やかにまとめあげたピアニストはいないのではないかと思える。どこをとっても安定していて安心して最後まで聴ける素晴らしい演奏です。リヴィング・ステレオ、ダイナグルーヴ盤。
少年時代に、シューマンの友人であったヴァイオリニストのヨアヒムから薫陶を受けたルービンシュタインは生涯を通じてシューマンの作品に強い共感を抱き、自家薬籠中のものとしていた。ここに収録されているのは、1960年代の心技とも最も充実していたルービンシュタインによる演奏で、シューマンの作品に内包されたファンタジーとロマンティシズムが豊かな音色で紡ぎ出されてゆく。ルービンシュタインはショパンと同じポーランド生まれの巨匠、 20世紀最大のピアニストの1人で彼ほど巨匠という言葉が似合う芸術家も少ないのではないかと思います。レパートリーは比較的広くバッハ等のバロックから、ラヴェル、ドビュッシーのフランス近代までの時代の作品を網羅していますが、その中で最も得意としていた作曲家が他ならぬお国モノのショパンでした。幼少期から民族舞曲、マズルカやポロネーズが自然に耳に入ってくる環境で育った彼は、その土着のリズムを体で覚えており、それが彼の演奏の大きな特徴となっています。彼の演奏は録音でしか聴くことができませんが、ショパン演奏に関しては、1958年から1966年というステレオ初期に録音された。70歳過ぎてからの録音だけにワルツ、マズルカの一部では枯れすぎて面白くない演奏があることは否定できませんが、ポーランドの民族精神を高らかに歌い上げた雄渾なポロネーズ集、ショパンの語法を知り尽くしルバートの粋を堪能させてくれるノクターン集、ゴージャスでブリリアントな音色でスケールの大きいバラード・スケルツォなど、スタンダードな秀演が揃っており、このショパンの偉業だけでも今後名前が忘れ去られることはなかろうと思います。本盤は、そうしたショパンでの余勢をかって収録したシューマン、素晴らしく充実したタッチからは、スタインウェイが完全に鳴りきった時にのみ聴ける本物のピアノの音色が堪能できます。シューマンのピアノの小曲集は一曲一曲が非常に個性的で、非常に惹かれる。
アルトゥール・ルービンシュタイン(Arthur Rubinstein, 1887〜1982)はポーランドのユダヤ人家庭に生まれ、1898年にベルリンでデビューした。ヨーロッパで長く活動した後、第二次大戦前にアメリカへ渡り世界的な名声を得た。祖国愛、政治的亡命、アメリカでの成功と、いかにもアメリカ人が喜びそうなサクセス・ストーリーが見え隠れしている。彼の祖国への愛に嘘偽りがあるとは思わないが、どうもプロモーション上、そういうイメージが作られていたような気がする。1940年代に結成した「百万ドルトリオ」も然り。ルービンシュタインは、この呼び名を嫌ったらしい。ハイフェッツとピアティゴルスキーのコンビとは袂を分かちている。ルービンシュタインほど数多くのリサイタルを開いたピアニストはいないとも言われ、超過密スケジュールのリサイタルをこなすその体力に皆が一様に驚嘆していたそうで、 ルービンシュタインは聴衆の前でピアノを弾くことを心の底から楽しんでいました。「演奏会を開くのがどんなにつらい仕事か」と誰かが口にしたとき、「演奏会を開くことは仕事ではありませんね。それは喜びですよ。ピアノに向かって座り、美しい音楽を弾く。これほど楽しいことが他にありますか?」とルービンシュタインはきっぱりと言ったそうです。ルービンシュタインは怠惰を勤勉に置き換えることによって、現存のもっとも賞賛される芸術家となった。「怠惰」から「勤勉」に切り替わるきっかけとなったのがアニエラ・ムリナルスカとの素晴らしい出会い、結婚、 そして幸福な家庭に恵まれたことでした。そして多くの聴衆の心をつかみ、世界中の多くの人たちとの交流を大切にし、彼らを愛しました。そして聴衆は皆、ルービンシュタインを愛していました。当時73歳のルービンシュタインが、ロンドンで〈モーツァルトのピアノ協奏曲第17、20、23番〉を録音した時のこと。ルービンシュタインは、彼の弾く全ての音が自分の聴衆に聴こえなくてはならない、とカルショーに何度も言っていた。カルショーにはその意味がよくわからなかったが、セッションが始まるとすぐに理解した。初めから終わりまで、情け容赦もないほど強大にピアノを響かせたい、ということだと。ルービンシュタインが指名した指揮者のクリップスは、ルービンシュタインの要望どおり、オーケストラの音をできるだけ小さくして演奏し、ルービンシュタインは逆に雷鳴のごとくピアノが響くように大きな音量で弾いた。バランスエンジニアは対応不可能。その頃はピアノとオーケストラを2つのトラックに直接録音していたので、バランス調整ができなかったのだ。この録音セッションを委託したRCAも、このルービンシュタインのフォルティシモへの情熱に耐えてきたらしく、この録音を聴いた結果、モーツァルトの協奏曲を発売するより費用を無駄にすることを選ぶ、とカルショーに伝えてきた。実際に、その録音は公開されていない。
「僕がルービンシュタインを何故嫌いかというと姿勢が良いわけ。」ということは上半身の力が全部鍵盤にかかるわけ。すると、もう割れんばかりの強い音が出るけれども、汚い音になる ― 坂本龍一がグレン・グールドの演奏から聴こえ出るピアノの音と姿勢の関係を語るところで、引き合いに出されている。20世紀のアメリカが求めたショーマンシップもシンボリックすぎるほど見事だった世紀の巨匠、アルトゥール・ルービンシュタイン。1935年の初来日の後、 2度目に彼がやって来たのは1966年6月、すでに79歳の高齢であったが、その舞台のなんという素晴らしさだったことだろう。演奏も舞台姿も円熟の極み、風格豊かで一切の無駄と虚飾を取り去った音楽の本質がそこにあった。しかも、どんなに枯れていても若い頃の道楽者には艶福の名残りがあった。「私は40歳までは女ばっかりだった」とルービンシュタインは指揮者の岩城宏之に語ったそうだが、まあ話半分としても求道者よりはプレイボーイ的な演奏であることは確かだ。しかし、そうした遊びを芸の肥やしにして壮年から老年にかけてのルービンシュタインの深まり方は只事でなく、ほとんど奇蹟のような出来事であった。SP時代はもちろんだがモノーラル時代、そしてステレオ時代に入ってからも、その初期の頃のルービンシュタインには大味なイメージが強い。そんなアメリカの外面的なヴィルトゥオーゾが、70歳代も半ばを超えてから急速に円熟への道を歩み始めた。若い頃は放蕩と道楽の限りを尽くし、60歳代に至るまで効果を狙うだけのピアノを弾いていた最も人間臭い人間ルービンシュタインが、やっとその脂ぎった演奏に抑制を効かせ過度に華やかだったタッチを是正した結果が、ピアノを弾くのが楽しくてたまらない。という風情で、まさに人生の達人の姿がそこにあった。いかなる激しい演奏場面においても背骨がピンと伸びきって、身体のあらゆる部分に無駄な動きが全くないのには驚かされる。そんなルービンシュタインの演奏にはいやらしさが寸毫も感じられない。それは歌舞伎の名優が舞台上で大見得を切っても、演技が少しも下品にならないのと似ている。華のあるステージであり、華麗な音楽創りをしているのに思わせ振りがない。1世紀に一人か二人しか出現しない、この人はまことに「大名人」としか表現しようのない音楽家であった。しかも、世紀の巨匠は人懐っこい人柄であった。怪人プロデューサーの自宅アパートで深夜、部下の事業部長が打ち合わせをやっていたら、ガサゴソと音がして食堂の大型冷蔵庫の扉が開いた。手に何か食べ物と飲み物を抱えてベッドルームへ去ろうとしている小柄な男がいた。斯くも「大名人」は気兼ねない人物だった。
1967年3月8日シカゴ、オーケストラ・ホールでの録音。
FR RCA 645.091 ルービンシュタイン&ジュリーニ…
FR RCA 645.091 ルービンシュタイン&ジュリーニ…