FR  PHILIPS  6515 006 ジョルジュ・シフラ ショパン・ポロネーズ1-6番
通販レコード→仏レッド・ラベル白文字盤 SUPER ARTISTIQUE - STÉRÉO

FR PHILIPS 6515 006 ジョルジュ・シフラ ショパン・ポロネーズ1-6番

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商品名FR PHIL 6515 006 ジョルジュ・シフラ ショパン・ポロネーズ1-6番

リストの再来といわれた技巧の持ち主、シフラのショパンは極度につまらない。 ― フジ子・ヘミングを評価する人と、アンチの論争は彼女自身を否定するものではないはず。シフラの演奏も楽曲に負けない圧倒的な存在力がある。》リストを生んだハンガリーに生まれ、後半生をフランスで送った名ピアニスト、ジョルジュ・シフラは1956年11月、パリで開いたリサイタルの後、各紙誌の音楽批評蘭は「20世紀のリストの再来」という讃辞で埋め尽くされた。一躍脚光を浴び、楽壇の寵児となった彼は2度目のコンサートを催したが、コンサートで待っていたのは「内容空疎」という聴衆の大ブーイングであった。この現象はフジ子・ヘミングを評価する人と、アンチとの間で「芸大を卒業したフジ子さんを批判するな!芸大に入れるのか?」と繰り広げられている如何にナンセンスな応酬かと思いながらも、シフラに対する評価は両方共正しい。作家の森鴎外が東大医学部を出ながらも奢りによって多数の兵士を死に追いやったように、点数を取れる賢さと理性的な倫理観は必ずしも一致しません。シフラの人生は、その華麗な演奏とは全く異なる、苦難の連続であった。10歳にしてブダペスト音楽院に入学を許されるほどの俊才であったが、母国ハンガリーが戦後ソ連の衛星国にされ、共産党独裁政権の支配下となる不幸に見舞われる。俊英といわれた青年だが生活は困窮し、レストランでジャズ・ピアノを弾き、一方クラシック音楽の練習を続けて希望を持って時を待った。国外脱出を試みた罪で3年の禁錮刑に服したこともあったが、56年のハンガリー動乱に乗じて西側に逃れる。逃亡中、鉄条網で腕が切り裂かれて、生涯の傷痕を留めていた。以前、吉田秀和氏の「シフラの演奏で聴くと、リストの音楽の空虚さがよく判る」に共感した。リストの録音としてはホロヴィッツの「ソナタ」、シフラの「死の舞踏」は決定的&歴史的名演奏だ。その即興演奏の凄まじさには圧倒される。ただ凄まじいだけでなく、時には溌剌として、時には軽快な指捌き、時には高速連打など驚くべき演奏を聴かせる。故郷の大先輩リストを髣髴させる。肩肘を張らないで、こんなに楽しくスリリングな世界もありますよ。と ― SPレコードでパハマンを聞くにつけ ― 声とか楽器の超絶技巧そのものを楽しむのも悪く無い。サーカス芸に、あれこれ注文はつけないでしょう。ステージ・スタイルだったのではと思えてくる。シフラは圧倒的な技量だけでなく、表現力の幅の広さ、スケールの大きさにおいても圧倒的な存在であった。シフラのショパンは極度につまらない。が“あなたの得たものを自分だけのものにしていてはいけない。あなたの経験を若手のために役立てなければ”というマルグリット・ロンの願いを叶えて、フレンチ・リビエラの Juan-les Pins に1967年、芸術センターを設立。シフラの後半生はピアニストとしての活躍よりも、若手の演奏家を支援することに注がれることになる。それはおそらく、若き日のシフラがハンガリーにおいて貧しく苦しい日々を送ったことと無縁ではない。翌年、ド・ゴール将軍の命によりフランスに帰化。1シフラ・ピアノコンクールを設立した。また、この年は録音において新しいレパートリーを開拓しようとした年でもある。そうした日々を送った1973年にショパンのポロネーズ5曲はレコード録音された。
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