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完全に、美しい姉妹 ― とレコードから実感させる。実力派ばかりの歌手で揃えられた演奏。女性歌手陣の良さで名作オペラのベストにチョイスしたい。キリ・テ・カナワ、フレデリカ・フォン・シュターデ、テレサ・ストラータス。これはカール・ベーム指揮フィルハーモニア管弦楽団盤のエリザベート・シュワルツコップ、クリスタ・ルードヴィッヒ、或いは同じベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるリーザ・デラ・カーザ、ルードヴィヒ盤に匹敵するだろう。モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」第1幕第7番 ― スザンナ、バジリオ、アルマヴィーヴァ伯爵の三重唱で、テーブルかけを持ち上げると隠れていたケルビーノが出てきて、伯爵が「こりゃ何たることじゃ!」とびっくり、はたしてスザンナは「ああ、どうしましょう。神のおぼしめしに任せましょう」と腹をくくると、すかさずバジリオが「女はみんなこうしたもの(Così fan tutte)。とりたてて珍しいことではござらぬ」と言い捨てる。「コシ・ファン・トゥッテ」は、このバジリオの言葉を題名にした喜劇です。このような一見ナンセンスとも言える題名と喜劇のせいで、19世紀には大分低俗な歌劇と見られていたそうです。でも、モーツァルトのオペラ作品全てが素晴らしい古典作品となっていますが、これはダ・ポンテの台本にモーツァルトが作曲した三部作だけに、前作からの引用も容易であったと推測しています。その「コシ・ファン・トゥッテ」の中に「ドン・ ジョヴァンニ」を見出し、更に「ドン・ジョヴァンニ」の中に「フィガロの結婚」を見出した訳ですから、モーツァルトのオペラの原点は「コシ・ファン・トゥッテ」にあるというのが私の持論で、「コシ・ファン・トゥッテ」こそモーツァルトのオペラ作品の最高峰であると確信しています。登場人物の数が少なく、しかもそれが一対ずつの組に分けられているために、それぞれが特徴あるアンサンブルとなっており、このオペラ独特の美しさは、このアンサンブルによるものだと思います。このオペラでは、女声陣の良さでチョイスしたい。テ・カナワとフォン・シュターデは声質が似ていて差が出てこないという批判があるが、それがフィオルディリージとドラベッラ姉妹の似ているところと、女の二面性も感じられ易い。耳に頼るレコードとして聴く時に、これは良いと、私はとても気に入った。特に若いころのフォン・シュターデはメゾ・ソプラノなのに透明かつノーブルな声で素晴らしい。おまけにストラータスもいい。あの美しいストラータスがお茶目なデスピーナをどんな表情で歌っているのか、想像するだけでも楽しい。録音のせいもあろうが、弱音部の繊細さはロココ時代のガラス細工を見るようだ。アラン・ロンバール指揮のストラスブールのオーケストラも、遅めのテンポを取っているが、決して弛緩することはない。声高に伴奏が主張することもなく、歌手陣にぴったり寄り添い、その凡庸に思えるほどのバランスが抜群にいい。テ・カナワとフォン・シュターデのような色んな大指揮者と組んで演奏している手練れた歌手だけに、清新なロンバールの音造りと相まみえて、聴き手を退屈させないものとなっています。1970年代にしては表情が濃厚で、ぞくぞくとさせてくれる瞬間を多くもっている。
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1950〜60年代のパリ音楽院管弦楽団(Orchestre de la Société des Concerts du Conservatoire)、シャンゼリゼ劇場管弦楽団、パリ・オペラ座管弦楽団、フランス放送(ORTF=Office de Radiodiffusion Télévision Française)交響楽団、そしてラムルー管弦楽団、コンセール・コロンヌといった当時のパリで持て囃されていたオーケストラ録音を聴くと、指揮者もオーケストラも、そして録音も個性的ではっちゃけていた。ステレオ録音の初期は、こうした嫌に元気な元気な録音でいっぱいである。アンサンブルが崩れようが、どこかのパートが落ちようが、ポンコツのまま構わず楽しそうに進む。ジュネーヴのヴィクトリアホールの美しい響きとデッカ録音の妙と、数学者でもあった指揮者の分析的な解釈として、精密さを印象づけていたエルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団も、独創的でありながらの精緻な音楽だった。それも、ステレオ録音のレコードで国際的に聴かれるようになっていくとともに独創的な録音も影を潜めはじめる。そうして1960年代後半、パリ音楽院管弦楽団の終焉とともに新録音は完全にストップする。1990年代に佐渡裕がラムルー管を牽引するまで、健在ぶりさえ気にしなくなっていた。その代わりに、1970年代に地方に新設されたオーケストラが一躍脚光を浴びる。1970年代のフランス音楽界は、アンドレ・マルローとマルセル・ランドフスキのかいあって、「地方の時代」といわれたが、その柱には、フランス近代以降の音楽の発展を受け継ぎながら、極端に走らず、無調音楽を展開しようとした。それは、調性的な発想から出ており、伝統的でわかりやすい表現を良しとした独自の音楽語法で、教条的なセリー技法には、つねに異を唱えていた。それ故に前衛音楽に距離をとったことや世俗的・社会的な成功から、ピエール・ブーレーズとその ― 識者も含む支持者から攻撃されており、なんだかんだで、良くも悪くも、紛れもない都の息吹があった。ジャン=クロード・カサドシュ(1927年7月17日〜1972年1月20日)率いる北のリール、ミシェル・プラッソン(1933年10月2日〜)率いる南のトゥールーズ、そしてアラン・ロンバール率いる東のストラスブール。それぞれ独自のカラーを出しながらも、何かしら猥雑なエネルギーを放出していた。そう、当の都では忘れ去られた息吹が1970年代には地方に移ったのである。オーケストラ文化が伝播したかのように、懐かしいエネルギーが地方で息づいていたのである。それも昨今ではマルク・アルブレヒト指揮のストラスブール・フィルがリヒャルト・シュトラウスやベルク、フランス近代物などをリリースした録音を聴いて、その演奏はロンバール時代の勢いはそのまま、クオリティはかなり上がっているのに残念だった。もはや、パリだの地方だのいう時代でなくなってしまったことを実感した。
アラン・ロンバール(Alain Lombard)はリヨン国立管弦楽団の指揮者として1961年にデビューした後、渡米してニューヨークでレナード・バーンスタインの助手を務めたフランスの指揮者。1940年10月4日、パリに生まれ、パリ音楽院でガストン・ブールに師事、その後、フェレンツ・フリッチャイの元で研鑚を積む。1966年、ミトロプーロス国際指揮者コンクールに優勝し、国際的な活躍を開始する。1999年以降はスイス・イタリアーナ管弦楽団の指揮者を務めている。1971年から1983年までストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任。主にオペラ指揮者として名高く、EMIやエラート・レーベルに数々の録音を残している。代表的な録音は、モーツァルトの歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」と「魔笛」、グノーの歌劇「ファウスト」と「ロメオとジュリエット」、ドリーブの歌劇「ラクメ」、プッチーニの歌劇「トゥーランドット」、ビゼーの歌劇「カルメン」に交響曲ハ長調、ベルリオーズの「幻想交響曲」のほか、シューベルトの交響曲が挙げられるが、特にストラスブール・フィルと演奏したフランスの管弦楽曲の評価が高い。アンサンブルにはラフなところがあるが、ソロもウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の奏者の力量には及ばないが、存在感があり、一直線に豪快に鳴らしている。特に打楽器奏者が素晴らしく、打ち込みは小気味よいし、ここぞというときの迫力が凄い。演奏を聴き終えた後の爽快感は、ああ、いい音楽を聴いたという満足感は趣があり、このコンビは1970〜80年代に持て囃されていた。
キリ・テ・カナワ(フィオルディリージ)、フレデリカ・フォン・シュターデ(ドラベッラ)、テレサ・ストラータス(デスピーナ)、デイヴィッド・レンダール(フェルランド)、フィリッペ・フッテンロッハー(グリエルモ)、ジュール・バスタン(ドン・アルフォンソ)、アラン・ロンバール(指揮)、ストラスブール・フィルハーモニック管弦楽団、ライン・オペラ合唱団。1977年録音。
FR ERATO STU71110 テ・カナワ&シュターデ&…
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