34-19948

商品番号 34-19948

通販レコード→仏ブルー・アンド・ホワイト黒文字盤 GRAVURE UNIVERSELLE

主人公の見た世界を見事に代弁する、小説を映画化した様な音の運びが好い。 ― 彼の作品では歌曲集『夏の夜』がわたしは一番好きだが、《幻想交響曲》以外の作品が然程知られていないものの、ベルリオーズがフランスの偉大な作曲家であることに異論のある人は少ないだろう。シューマンはベルリオーズをドイツの音楽界に紹介し、この《幻想交響曲》を自らの指揮で演奏したが、後になって「どこがいいのだか、よく分からなかった」と言ったそうである。1830年、ベルリオーズ27歳のときに作曲された《幻想交響曲》は、ハイドン→モーツァルト→ベートーヴェン→シューベルトと継承されてきた古典派交響曲の流れを、一気にロマン派の時代に引き寄せた作品です。〝モーツァルトの闇〟が、ショパン、リスト、シューマンが起こしたロマン派の音楽として息づいて、化現した一曲だろう。ロマン派の音楽には文学と切り離せない作品が少なからずあるが、ベルリオーズの音楽は、その中でも殊に文学的な指向が強い。文学的な背景をきっぱりと切り捨てて、聴くことは抗えず。物語の中に没頭せざるるして、ベルリオーズの音楽は心に響かない。聴き手の胸中に深く働きかける事を音楽の方から欲して来る。《幻想交響曲》では、失恋して阿片を服用した感性豊かな芸術家が幻覚に苛まれるさまが、シンフォニーという枠の中で描かれている。これは失恋を題材とした半自伝的な作品でもあり、ベルリオーズという人自身、とても感性の鋭い作曲家ではあったのだけれども、実際に阿片の服用者であったかは不確かながら、女装したとか、楽器ができないとか、ベルリオーズを奇才に仕立て上げようとするエピソードも、どうも事実を大袈裟にしている様で、ベルリオーズという人を見誤らせる類いの話である。ベルリオーズの音楽は、楽器の斬新な使い方と巨大なオーケストラ編成、不気味なハーモニーの多用、ロマンティックな旋律、各楽章に標題をつけ『恋人の主題』で一貫した物語の流れを作る等、それまでの交響曲の形式からはみ出ようとしているように見えながら、本質的にはとても全うで常識的だと私は思う。その点が、〝モーツァルトのジレンマ〟の燻りも臭う。《幻想交響曲》は5つの楽章に別れている。後半の二つの楽章が何やらグロテスクであり、圧倒的に面白いのだけれども、前半の二つの楽章のロマンティックな情景も色彩鮮やかだ。《幻想交響曲》のお薦めを問われたら、真っ先に思い浮かぶのは、やはり名盤中からシャルル・ミュンシュとのパリ管弦楽団、アンドレ・クリュイタンスとのパリ音楽院管弦楽団を筆頭に、1960年代から1980年代へ時代を追った歴史的な録音としてピエール・モントゥーとサンフランシスコ交響楽団、ジャン・マルティノンとフランス国立放送管弦楽団、シャルル・デュトワとモントリオール交響楽団から、まずは話題に上りましょうか。ロマン派音楽には違いないが、ドイツ的な感性からはほど遠いこの作品。ヘルベルト・フォン・カラヤンの解釈は、ミュンシュ以前の演奏様式の面影をとどめていて、序奏はあくまで序奏という感じであるが、ミュンシュ以降の指揮者は、多かれ少なかれ、彼の遺したレコードの影響を受けているようだ。序奏の恋人のテーマは、かつてはいかにも清楚でリリカルなテーマとして演奏されていたのだが、ミュンシュはそこに噴き上がるような熱い感情を込めていた。レナード・バーンスタインが《幻想交響曲》を録音したのは、唯一だが、もちろんミュンシュ的な解釈であり、バーンスタインらしく熱い音楽が繰り広げられる。この曲の代表盤の一つだ。さてロンバール盤はというと、色彩感よりも渋めの音色で勝負する重厚な演奏。明らかにミュンシュ路線を踏襲した演奏だが、独自の表情もあり、単なる真似ではない。第4楽章は『断頭台への行進』、非常に迫力ある響きが聞けるマーチの一つであり、オーケストラ音楽を聴く醍醐味。ロンバールはその期待を裏切ることなく、オーケストラの響きを最大限に引き出している。この演奏よりも激しく華麗な〝爆演〟は沢山ありますが、名高いストラスブール打楽器合奏団のグループが渾身の力を込めて叩き込んでくる。チューバを中心とした重厚さをベースとしながらも、弦楽器のグリッサンドが壮麗さを付与していてその対比バランスが絶妙な上に成り立っている。実に渋い演奏ですが、他ではなかなか聴くことの出来ない名演です。フィナーレは魑魅魍魎が次から次へと出てくる宴を表現する『ワルプルギスの夜の夢』、冒頭の骨太の低弦と繊細な高弦との対比からして不気味さの極みで、そこに更に重たい金管やティンパニのパートが乗ってくる。チューバの重たい響きは単に重たいだけではなくて、聞き手のハートを抉ってくるような凄みとパワーを感じさせる。『魔女のロンド』からラストにかけても大団円軽々しく煽ることなく、その重量感をキープして感動的。こういう音楽を重厚に振らせたら、現代の指揮者ではロンバールの右に出る者はいないのではないか?と思えるほど。弾むようなテンポ感は何と言ってもロンバールの魅力だ。いたずらに勢いに逃げるのではなく、物語の描写にも優れており、主人公の見た世界を見事に代弁する。小説を映画化した様な音の運びが好い。
それにオーケストラの鳴りっぷりは素晴らしい。実に儚い。イデー・フィクスを解釈したオーケストラが見事に再現され、牧歌的でありながらサイケデリックが見事に表現される。たたみ込むようなリズムに乗って高揚して行く様はエネルギッシュなロンバールの指揮姿が目の前に浮かぶようです。手兵であるストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団も必死に指揮者に食らいついている様が伺え好感が持てます。地方のオーケストラを侮るなかれと言ったところでしょうか。地方のオーケストラとはいえ、ロンバールが求める音楽にはローカル色はない。これにはロンバールのオペラで培われた独特の視野による表現と解釈も去ることながら、やはりオーケストラのもつ音色や雰囲気に拠るところが大きいでしょう。指揮者のニコラウス・アルノンクールが、かつて『音楽はその土地の言葉で、何かを語っています。』とレクチャーしていますが、実はこの町の位置付けが非常に重要で、その特徴が少なからずこのオーケストラの音色やアンサンブルに影響を与えている。ストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団が本拠を置く風光明媚なストラスブールはフランス北東部アルザス地方の中心都市である。現在の人口は約27万人、周辺地域を含めると50万人を超える、ブリュッセルとともにヨーロッパ全体の重要な施設(欧州評議会や人権裁判所)、EUの議会を擁する等、『EUの顔』としての重要な役割を担っている。交通の要所にあり、フランスとドイツが領有権を争ったことで有名。街を流れる「ライン河」の対岸はドイツのケール、現在はパスポートチェックも必要なく自由に行き来が可能である。指揮者のシャルル・ミュンシュや、作曲家のエミール・ワルトトイフェルの生まれ故郷。大きくはフランスのオーケストラというカテゴリに入りながらも、実はドイツの都市の方が近かいこともあり、フランスのオーケストラが持つ色彩感豊かなイメージと、ドイツのオーケストラが持つ腰の低い重厚な響きとを併せ持っている点にある。すなわち、《幻想交響曲》はそういった二面性を内包する名作であり、曲の要求に充分応え得る絶妙なバランスを持ったオーケストラでしょう。1972年からストラスブール・フィル、ライン歌劇場に就任した、アラン・ロンバールの録音でフランスの管弦楽曲の評価が高く、数々の名演を録音しています。ロンバールは1940年生まれだからこの録音のときは33歳。この指揮者とオーケストラのコンビは、颯爽とした活力を聴かせる。どこにも無理な強調はないが気持ちの良い演奏。1966年にミトプーロス国際指揮者コンクールで優勝してレナード・バーンスタインのもとで修業したりしていたが、1972年からこのオーケストラの首席指揮者となりエラートに多数の録音がある。ベートーヴェンの交響曲全集ともども、実に侮れないマエストロです。ややミュンシュ寄りの豪快な音楽づくりで聴きごたえがある。ベルリオーズの《幻想交響曲》は特に、力強くパワフルでありながら、やはりエラート的な、明るめというか、パステルカラーの音質のかいあって、あっさりとした印象が心地よいものとなっている、ベルリオーズの歪んだ妄想世界と不釣り合いな感じもある演奏です。コマーシャルベースに乗る様な派手な指揮者ではなく、老練な味とか仕掛けとかはないが、この曲の性格には合っている。
楽団の歴史を辿ると古く1855年に「ストラスブール市立歌劇場」専属のオーケストラとして活動、通常のオーケストラ・コンサート活動は「ストラスブール市立管弦楽団」の名称を用いていた。現在の名称に改称されたのはアラン・ロンバール音楽監督時代の1972年からである。ストラスブール歌劇場は同演目を1か月に5回~10回程まとめて公演するシステム(スタジオーネ)で、 取り組むのは月に2演目程度。そのころミュンヘンのバイエルン州立歌劇場でも「カルメン」はドイツ語で上演されていました。それを、当時の総監督のジャン=ピエール・ブロスマンと音楽監督のロンバールの意向ですべて言語上演で行った。パリ市の音楽政策に私企業は積極的に参加しており、都市ガバナンスの創出という観点からも重要なアクターと見なされている。パリについていえば、その政治史によって示されているように、近年に至るまで国の絶対的な支配の下にあった。その上、確かに1977年まで、パリに市長は存在しなかった。また、パリ市の文化資源は文化都市パリというイメージを前面に打ち出すことに貢献し、より多くの市民にパリ市の文化を普及するという効果をもたらしているが、フランスでは何世紀も前から、クラシック音楽の領域に国が介入していた。王立音楽アカデミーの振興のため、ルイ14世がジャン=バティスト・リュリに特権を与えたのは1672年に遡る。パリ・オペラ座の今日までの存続は、音楽と政治権力との明白な結びつきを示唆する例の一つである。その上、1795年に国民公会の議決によって設立されて以来、フランス国立高等音楽院は国策と密接に結びついているといわれる。エラート・レーベルは、楽譜専門出版社エディション・コスタラ社の録音部門として、フィリップ・ルーリーによって1952年に創設、名プロデューサーとして知られるミシェル・ガルサンを迎え、当時未開拓だった中世からバロック時代にかけての音楽の録音を積極的に行って成功。その理由は、19世紀から20世紀にかけて確立されたクラシック音楽の演奏様式ではなく、現代の楽器とは異なる当時の楽器で、音楽史研究に基づいて、作曲当時の演奏様式に則った演奏によるところ。フランス音楽の貴重なカタログ、フランス楽壇黄金時代のアーティストたちによる演奏、暖かみのある録音などで人気を博し、1960年代には同分野でフランスを代表するレーベルに成長しています。当時、オーケストラ録音にこぎ出したエラートの看板コンビとして、フランスのオーケストラによるお国物ということで、普段聴き慣れている演奏と違う肌合いの魅力も相俟って、発売当時は話題の一役を買いました。本盤は1973年の録音で、バロック録音で見せる線の細さは感じさせず馬力のある音で充分楽しませてくれます。
当時も今も、フランスのエスプリと、ストラスブールという多面的な顔を持つ街のオーケストラの特色を引き出した点で指揮者とオーケストラと、本盤録音チームは大いに評価されていい。ストラスブールという町はドイツとフランスの国境付近にあり、独仏両方の文化を持つという。EUの街、そして交通の要衝となってます。ライン川を隔てて、ドイツのケールという街と一体化してます。さらに、地図で地名を見てみると、フランス内のストラスブール周辺は、ドイツ的な地名ばっかり。ストラスブールは地政学的な文化面で言うと、ドイツであり、そして、政治的な存在としてはフランスなのです。弦楽器のアンサンブルは筆致がはっきりしており、管楽器は輪郭が明瞭に感じられる。積極的な強弱の変化で音楽を聴かせる。テンポを落とすところもありますが、基本的には速いテンポで進みます。1950〜1960年代のパリ音楽院管弦楽団(Orchestre de la Société des Concerts du Conservatoire)、シャンゼリゼ劇場管弦楽団、パリ・オペラ座管弦楽団、フランス放送(ORTF=Office de Radiodiffusion Télévision Française)交響楽団、そしてラムルー管弦楽団、コンセール・コロンヌといった当時のパリで持て囃されていたオーケストラ録音を聴くと、指揮者もオーケストラも、そして録音も個性的ではっちゃけていた。ステレオ録音の初期は、こうした嫌に元気な元気な録音でいっぱいである。アンサンブルが崩れようが、どこかのパートが落ちようが、ポンコツのまま構わず楽しそうに進む。ジュネーヴのヴィクトリアホールの美しい響きと英DECCA録音の妙と、数学者でもあった指揮者の分析的な解釈として、精密さを印象づけていたエルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団も、独創的でありながらの精緻な音楽だった。それも、ステレオ録音のレコードで国際的に聴かれるようになっていくとともに独創的な録音も影を潜めはじめる。そうして1960年代後半、パリ音楽院管弦楽団の終焉とともに新録音は完全にストップする。1990年代に佐渡裕がラムルー管を牽引するまで、健在ぶりさえ気にしなくなっていた。その代わりに、1970年代に地方に新設されたオーケストラが一躍脚光を浴びる。1970年代のフランス音楽界は、アンドレ・マルローとマルセル・ランドフスキのかいあって、「地方の時代」といわれたが、その柱には、フランス近代以降の音楽の発展を受け継ぎながら、極端に走らず、無調音楽を展開しようとした。それは、調性的な発想から出ており、伝統的でわかりやすい表現を良しとした独自の音楽語法で、教条的なセリー技法には、つねに異を唱えていた。それ故に前衛音楽に距離をとったことや世俗的・社会的な成功から、ピエール・ブーレーズとその ― 識者も含む支持者から攻撃されており、なんだかんだで、良くも悪くも、紛れもない都の息吹があった。ジャン=クロード・カサドシュ(1927年7月17日〜1972年1月20日)率いる北のリール、ミシェル・プラッソン(1933年10月2日〜)率いる南のトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団、そしてアラン・ロンバール率いる東のストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団。それぞれ独自のカラーを出しながらも、何かしら猥雑なエネルギーを放出していた。そう、当の都では忘れ去られた息吹が1970年代には地方に移ったのである。オーケストラ文化が伝播したかのように、懐かしいエネルギーが地方で息づいていたのである。それも昨今ではマルク・アルブレヒト指揮のストラスブール・フィルがリヒャルト・シュトラウスやベルク、フランス近代物などをリリースした録音を聴いて、その演奏はロンバール時代の勢いはそのまま、クオリティはかなり上がっているのに残念だった。もはや、パリだの地方だのいう時代でなくなってしまったことを実感した。
アラン・ロンバール(Alain Lombard)はリヨン国立管弦楽団の指揮者として1961年にデビューした後、渡米してニューヨークでレナード・バーンスタインの助手を務めたフランスの指揮者。1940年10月4日、パリに生まれ、パリ音楽院でガストン・ブールに師事、その後、フェレンツ・フリッチャイの元で研鑚を積む。1966年、ミトロプーロス国際指揮者コンクールに優勝し、国際的な活躍を開始する。1999年以降はスイス・イタリアーナ管弦楽団の指揮者を務めている。彗星のようにあらわれたロンバールは、1971年から1983年まで母国ストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任。ロンバールは1976年、手兵のストラスブール・フィルを率いて初来日し、またその後、単身でも来日しているが、いわゆるフランスの指揮者らしい、繊細で緻密なパステル画を思わせる、優しい音楽を聴かせるばかりの指揮者ではない。むしろロマンティックで色彩的な、感情の揺れの激しい音楽を特徴にしている。そして輝かしいバトン・テクニックと、ダイナミックな迫力を合わせ持ち、特にリズムの切れの良さにロンバールの個性が窺われる。主にオペラ指揮者として名高く、EMIやエラート・レーベルに数々の録音を残している。代表的な録音は、モーツァルトの歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」と「魔笛」、グノーの歌劇「ファウスト」と「ロメオとジュリエット」、ドリーブの歌劇「ラクメ」、プッチーニの歌劇「トゥーランドット」、ビゼーの歌劇「カルメン」に交響曲ハ長調、ベルリオーズの幻想交響曲のほか、シューベルトの交響曲が挙げられるが、特にストラスブール・フィルと演奏したフランスの管弦楽曲の評価が高い。アンサンブルにはラフなところがあるが、ソロもウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の奏者の力量には及ばないが、存在感があり、一直線に豪快に鳴らしている。特に打楽器奏者が素晴らしく、打ち込みは小気味よいし、ここぞという時の迫力が凄い。演奏を聴き終えた後の爽快感は、あゝ、いい音楽を聴いたという満足感は趣があり、このコンビは1970〜1980年代に持て囃されていた。エラートとの契約も成立し、当時、オーケストラ録音にこぎ出したエラートの看板コンビとして、大量の録音を残しました。その金属的な響きがするヴァイオリン。トロンボーンを主体にする旋律は抑え目で柔らかく。トゥッティの響きが薄いストラスブール・フィル。エラートの特色がでていて、全体的には大人しい響きの録音です。ロンバールがメジャーに躍り出ることは、いまに至るまでなかったけれど、エラート時代に残した演奏の数々は、古豪レーベル復活をかけたエラートの熱意と、ほぼ録音などなかった指揮者とオーケストラの前向きさ。それらが融合した結果のものか。ピエール・アモイヤルをソロにした、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番、第2番は長岡鉄男の外盤A級セレクション第1巻60掲載盤として超優秀。ムソルグスキーの《展覧会の絵》の「バーバ・ヤガーの小屋」は、1978年パリ国際音響フェスティバルに出品された「エラート・オーディオ・チェック'78」に採用され、装置の基本的なチェック(周波数特性、左右チェック、位相チェック)に続いて、最初に鳴り響く音楽でした。
エラート(Erato Disques, S.A.)は古楽録音で大きな実績をもつ最古参レーベルです。レーベル名はギリシャ神話に登場する文芸の女神・エラトーからとられている。独立系レーベルとして1953年にフランスで設立された。芸術責任者のミシェル・ガルサンの下、フランスのアーティストを起用した趣味性の高いLPを数多く制作し、クラシック音楽を中核とし、とりわけフランス系の作品や演奏家の紹介に努めてきた。その中心的なレパートリーはバッハ以前の古楽だった。日本ではバロック音楽すべてが含まれる場合もありますが「古楽」は、古典派音楽よりも古い時代の音楽=中世、ルネッサンス、ごく初期のバロック音楽の総称です。作曲された時代の楽器、演奏方法は、時代を経るにつれ変遷を遂げてきています。近年の「古楽」ジャンルの録音は、19世紀から20世紀にかけて確立されたクラシック音楽の演奏様式ではなく、現代の楽器とは異なる当時の楽器で、音楽史研究に基づいて、作曲当時の演奏様式に則った演奏によっています。但し、オリジナル楽器録音への取り組みはやや遅く、本格化するのはフランス系以外の奏者を積極的に起用するようになった1980年代以降。中心を担ったのはトン・コープマン、ジョン・エリオット・ガーディナー、スコット・ロスといった、グスタフ・レオンハルトたちよりも一世代後、かつフランス人以外の演奏家たちである。フランスのエラート・レーベルが最初に日本で紹介された時は、日本コロムビアからの発売だった。フランスに数多く残るバロック音楽ゆかりの宮殿での演奏会を再現した、空想音楽会のシリーズは忘れられない。その後、1970年代半ば、エラートの日本での発売権はRVCに移るが、移った当初は日本コロムビアのような輝きのあるエラートの音が作れず、エンジニアが苦労したと言われている。さらに、1990年代エラートはワーナー・ミュージック・グループの傘下となるが、ワーナー・ミュージック・グループでは1970年代初期音源のCD化にあたってはレコード時代の音質を復活させようとしてマスタリングを当時エラートを担当した日本コロムビアに依頼したという経緯がある。東京赤坂に当時「東洋一」と謳われた日本コロムビアの録音スタジオが完成したのは1965年。この録音スタジオとカッティング室が同一ビル内にあることから、1969年にはテープ録音機を介さず、録音スタジオとカッティング室を直結して、ミキシングされた音を直接ラッカー盤に刻み込むダイレクト・カッティングのLPを発売して音の良さで話題となった。奇しくも同時期に米国シェフィールド・ラボから発売された同じダイレクト・カッティングのLPが輸入盤として注目されていただけに、NHKの放送スタジオのレコードプレーヤーが同社製であることと日本コロムビアはレコード・ファンの好評を定めた。日本コロムビア録音部ではダイレクト・カッティングを経て、1972年のPCM録音機の導入以降、録音機の小型化、高性能化と並行して、様々なデジタル周辺機器の開発へ進む。その後、1981年にはハードディスクを用いたデジタル編集機の登場。そして、1986年、日本から始まったCD化の波は世界中に波及し、CD工場を持たない国内外のレコード会社はこぞって日本にマスターテープを送り、CD生産を依頼してきた。しかし、会社経営母体が日立からリップルウッドに移り、スタジオの廃止は逃れられなかった。
  • Record Karte
  • 1973年録音。
  • FR ERATO STU70800 アラン・ロンバール ベルリオーズ…
  • FR ERATO STU70800 アラン・ロンバール ベルリオーズ…
  • FR ERATO STU70800 アラン・ロンバール ベルリオーズ…
ベルリオーズ:幻想交響曲
ストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団
ダブリューイーエー・ジャパン
1995-05-10