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2人の師の特徴をうまく受け継いだ表現の豊かさがある。 ― ギリシャ生まれの女流ピアニスト、ジーナ・バッカウアー(1913〜76)の貴重なラフマニノフ演奏。強奏でも割れない芯のある美しい音質は、様々なラフマニノフ演奏の中でも群を抜く。自己陶酔的ではないダイナミックなロマンティシズムは、男性的で勇壮。ユニゾンのパッセージを猛烈に弾くのではなく、実に堂々としたテンポで、実演ではさぞかし豊かな音量を響かせて聴衆を圧倒していただろう。よく女性ピアニストに対して形容される豪腕とか男勝りといわれる以上に、ずば抜けて腕が立つピアニストだということがわかる。マルタ・アルゲリッチのように攻撃的な側面も持ち合わせていた。主にアメリカで活躍したバッカウアーは、「栄光のギリシャ人」と呼ばれたり、「ギリシャの女神を思わせるような毅然さ」と言われたが、1913年5月21日、生まれはアテネで、当地で勉強したものの、両親はオーストリア人とイタリア人で、ギリシャの血は入っていない。つまり彼女はギリシャとは無縁で、母親のラテン的な素養を受け継いで、それが演奏に出ているのだろうか。その成長の過程に目を転じると、パリ音楽院でアルフレッド・コルトーに学び、1932年からはセルゲイ・ラフマニノフのもとで研鑚を積む。同時代の全く正反対の性格ながら、ともに19世紀のロマンティシズムを引き継いでいた2大ピアニストに学んだことになる。アメリカのマーキュリー・レーベルに録音したストラヴィンスキーの「ペトルーシュカからの3章」での個性的で攻撃的な演奏は、ラフマニノフのダイナミックなピアニズムの影響を強く感じさせる。だが、一方で、ラヴェルの「夜のガスパール」や、ドビュッシーの「ピアノのために」「沈める寺」「デルフォイの舞姫」での硬質な音の中から生まれた一瞬の静寂と、漂う詩情や微妙なフレージングには、コルトーの影もある。バッカウアーの演奏は、2人の師の特徴をうまく受け継いだ表現の豊かさがある。
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ショパン、ブラームスを初めとするロマン派の作品を得意とし、そのダイナミックでスケールの大きな演奏は、各国で高く評価された。アメリカ、ユタ州のソルトレイク・シティで行なわれるジーナ・バッカウアー国際ピアノ・コンクールに、今もその名を残している。ロシアから逃げるようにアメリカに渡ったラフマニノフを待っていたのは、激しい失望と望郷の念だった。ピアノ協奏曲第2番は、映画「逢びき」の音楽に使用されて以来、ラフマニノフを一躍有名にした魅惑のメロディーが詰まっているが、音楽的にみれば、第1主題と第2主題の性格付けが曖昧だったり、主題の展開が不十分で、幾度も叙情的な高揚に向かっていくだけだったりと、ドイツ音楽嗜好には物足りないところもあるが、優秀に溢れた抒情的メロディーこそが、ラフマニノフなのだ。ハリウッドの文芸大作映画の音楽風なイディオムは、テレビドラマ『砂の器』で主人公が弾く協奏曲などでの典型となった。又は、木村拓哉主演のドラマで使われた「交響曲第2番」が女性たちを虜にして、近年のクラシック女子を育てた。第1楽章冒頭のピアノの単純な和音の連打だけで、それが故郷で聴いたロシア正教会のカリヨンの響きであることをイメージさせる当たり、心憎いではないか。そんな激しい望郷の思いは、続く長い嘆息と過去への激しい憧憬や、失われた何かを必死に繋ぎとめようとする音楽に、冷え冷えとした空気に時々表れる青空の美しさや、雪深い広大な地平に佇む一人の男の人生を思い描かせる。本盤のソリスト、ジーナ・バッカウアーは1933年、ウィーン国際コンクールで優勝し、演奏活動を開始。1935年にディミトリ・ミトロプーロス指揮のアテネ交響楽団と共演し、故国で大成功を収める。しかし、ナチス・ドイツのギリシャ侵攻により、失望と足踏み。エジプトに逃れた彼女は、連合軍兵士のための慰問演奏活動に献身的に打ち込み、その数は実に600回を越した。第2次大戦後、ようやく本格的な演奏活動を再会し、1947年にロンドン、1950年にニューヨークのカーネギー・ホールで、それぞれデビューを果たした。望郷の念を抱きながら、慰問演奏会で失望する場面にも幾度と無く直面しただろう。感傷的になってばかりは居られない。叙情に流れると、それこそ映画音楽になってしまう名曲。バッカウアーの心がラフマニノフに共鳴している。お薦めの1枚。
アラン・ロンバールは1976年、手兵のストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団を率いて初来日し、またその後、単身でも来日しているが、いわゆるフランスの指揮者らしい、繊細で緻密なパステル画を思わせる、優しい音楽を聴かせるばかりの指揮者ではない。むしろロマンティックで色彩的な、感情の揺れの激しい音楽を特徴にしている。そして輝かしいバトン・テクニックと、ダイナミックな迫力を合わせ持ち、特にリズムの切れの良さにロンバールの個性が窺われる。彗星のようにあらわれたロンバールは、1971年からは、母国ストラスブール・フィルの音楽監督となり、エラートとの契約も成立し、当時、オーケストラ録音にこぎ出したエラートの看板コンビとして、大量の録音を残しました。その金属的な響きがするヴァイオリン。トロンボーンを主体にする旋律は抑え目で柔らかく。トゥッティの響きが薄い。エラートの特色がでていて、全体的には大人しい響きの録音です。メジャーに躍り出ることは、いまに至るまでなかったけれど、エラート時代に残した演奏の数々は、古豪レーベル復活をかけたエラートの熱意と、ほぼ録音などなかった指揮者とオーケストラの前向きさ。それらが融合した結果のものか。ピエール・アモイヤルをソロにした、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番、第2番は長岡鉄男の外盤A級セレクション第1巻60掲載盤として超優秀。ムソルグスキーの《展覧会の絵》の「バーバ・ヤガーの小屋」は、1978年パリ国際音響フェスティバルに出品された「エラート・オーディオ・チェック'78」に採用され、装置の基本的なチェック(周波数特性、左右チェック、位相チェック)に続いて、最初に鳴り響く音楽でした。当時も今も、フランスのエスプリと、ストラスブールという多面的な顔を持つ街のオーケストラの特色を引き出した点で大いに評価されていい。ストラスブールという町はドイツとフランスの国境付近にあり、独仏両方の文化を持つという。EUの街、そして交通の要衝となってます。ライン川を隔てて、ドイツのケールという街と一体化してます。さらに、地図で地名を見てみると、フランス内のストラスブール周辺は、ドイツ的な地名ばっかり。ストラスブールは地政学的な文化面で言うと、ドイツであり、そして、政治的な存在としてはフランスなのです。弦楽器のアンサンブルは筆致がはっきりしており、管楽器は輪郭が明瞭に感じられる。積極的な強弱の変化で音楽を聴かせる。テンポを落とすところもありますが、基本的には速いテンポで進みます。
1950〜1960年代のパリ音楽院管弦楽団(Orchestre de la Société des Concerts du Conservatoire)、シャンゼリゼ劇場管弦楽団、パリ・オペラ座管弦楽団、フランス放送(ORTF=Office de Radiodiffusion Télévision Française)交響楽団、そしてラムルー管弦楽団、コンセール・コロンヌといった当時のパリで持て囃されていたオーケストラ録音を聴くと、指揮者もオーケストラも、そして録音も個性的ではっちゃけていた。ステレオ録音の初期は、こうした嫌に元気な元気な録音でいっぱいである。アンサンブルが崩れようが、どこかのパートが落ちようが、ポンコツのまま構わず楽しそうに進む。ジュネーヴのヴィクトリアホールの美しい響きとデッカ録音の妙と、数学者でもあった指揮者の分析的な解釈として、精密さを印象づけていたエルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団も、独創的でありながらの精緻な音楽だった。それも、ステレオ録音のレコードで国際的に聴かれるようになっていくとともに独創的な録音も影を潜めはじめる。そうして1960年代後半、パリ音楽院管弦楽団の終焉とともに新録音は完全にストップする。1990年代に佐渡裕がラムルー管を牽引するまで、健在ぶりさえ気にしなくなっていた。その代わりに、1970年代に地方に新設されたオーケストラが一躍脚光を浴びる。1970年代のフランス音楽界は、アンドレ・マルローとマルセル・ランドフスキのかいあって、「地方の時代」といわれたが、その柱には、フランス近代以降の音楽の発展を受け継ぎながら、極端に走らず、無調音楽を展開しようとした。それは、調性的な発想から出ており、伝統的でわかりやすい表現を良しとした独自の音楽語法で、教条的なセリー技法には、つねに異を唱えていた。それ故に前衛音楽に距離をとったことや世俗的・社会的な成功から、ピエール・ブーレーズとその ― 識者も含む支持者から攻撃されており、なんだかんだで、良くも悪くも、紛れもない都の息吹があった。ジャン=クロード・カサドシュ(1927年7月17日〜1972年1月20日)率いる北のリール、ミシェル・プラッソン(1933年10月2日〜)率いる南のトゥールーズ、そしてアラン・ロンバール率いる東のストラスブール。それぞれ独自のカラーを出しながらも、何かしら猥雑なエネルギーを放出していた。そう、当の都では忘れ去られた息吹が1970年代には地方に移ったのである。オーケストラ文化が伝播したかのように、懐かしいエネルギーが地方で息づいていたのである。それも昨今ではマルク・アルブレヒト指揮のストラスブール・フィルがリヒャルト・シュトラウスやベルク、フランス近代物などをリリースした録音を聴いて、その演奏はロンバール時代の勢いはそのまま、クオリティはかなり上がっているのに残念だった。もはや、パリだの地方だのいう時代でなくなってしまったことを実感した。
アラン・ロンバール(Alain Lombard)はリヨン国立管弦楽団の指揮者として1961年にデビューした後、渡米してニューヨークでレナード・バーンスタインの助手を務めたフランスの指揮者。1940年10月4日、パリに生まれ、パリ音楽院でガストン・ブールに師事、その後、フェレンツ・フリッチャイの元で研鑚を積む。1966年、ミトロプーロス国際指揮者コンクールに優勝し、国際的な活躍を開始する。1999年以降はスイス・イタリアーナ管弦楽団の指揮者を務めている。1971年から1983年までストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任。主にオペラ指揮者として名高く、EMIやエラート・レーベルに数々の録音を残している。代表的な録音は、モーツァルトの歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」と「魔笛」、グノーの歌劇「ファウスト」と「ロメオとジュリエット」、ドリーブの歌劇「ラクメ」、プッチーニの歌劇「トゥーランドット」、ビゼーの歌劇「カルメン」に交響曲ハ長調、ベルリオーズの幻想交響曲のほか、シューベルトの交響曲が挙げられるが、特にストラスブール・フィルと演奏したフランスの管弦楽曲の評価が高い。アンサンブルにはラフなところがあるが、ソロもウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の奏者の力量には及ばないが、存在感があり、一直線に豪快に鳴らしている。特に打楽器奏者が素晴らしく、打ち込みは小気味よいし、ここぞという時の迫力が凄い。演奏を聴き終えた後の爽快感は、あゝ、いい音楽を聴いたという満足感は趣があり、このコンビは1970〜1980年代に持て囃されていた。
フランスのエラート・レーベルが最初に日本で紹介された時は、日本コロムビアからの発売だった。フランスに数多く残るバロック音楽ゆかりの宮殿での演奏会を再現した、空想音楽会のシリーズは忘れられない。その後、1970年代半ば、エラートの日本での発売権は RVC に移るが、移った当初は日本コロムビアのような輝きのあるエラートの音が作れず、エンジニアが苦労したと言われている。さらに、1990年代エラートはワーナー・ミュージック・グループの傘下となるが、ワーナー・ミュージック・グループでは1970年代初期音源のCD化にあたってはレコード時代の音質を復活させようとしてマスタリングを当時エラートを担当した日本コロムビアに依頼したという経緯がある。東京赤坂に当時「東洋一」と謳われた日本コロムビアの録音スタジオが完成したのは1965年。この録音スタジオとカッティング室が同一ビル内にあることから、1969年にはテープ録音機を介さず、録音スタジオとカッティング室を直結して、ミキシングされた音を直接ラッカー盤に刻み込むダイレクト・カッティングのLPを発売して音の良さで話題となった。奇しくも同時期に米国シェフィールド・ラボから発売された同じダイレクト・カッティングのLPが輸入盤として注目されていただけに、NHKの放送スタジオのレコードプレーヤーが同社製であることと日本コロムビアはレコード・ファンの好評を定めた。日本コロムビア録音部ではダイレクト・カッティングを経て、1972年のPCM録音機の導入以降、録音機の小型化、高性能化と並行して、様々なデジタル周辺機器の開発へ進む。その後、1981年にはハードディスクを用いたデジタル編集機の登場。そして、86年、日本から始まったCD化の波は世界中に波及し、CD工場を持たない国内外のレコード会社はこぞって日本にマスターテープを送り、CD生産を依頼してきた。しかし、会社経営母体が日立からリップルウッドに移り、スタジオの廃止は逃れられなかった。
エラート(Erato Disques, S.A.)は古楽録音で大きな実績をもつ最古参レーベルです。レーベル名はギリシャ神話に登場する文芸の女神・エラトーからとられている。独立系レーベルとして1953年にフランスで設立された。芸術責任者のミシェル・ガルサンの下、フランスのアーティストを起用した趣味性の高いLPを数多く制作し、クラシック音楽を中核とし、とりわけフランス系の作品や演奏家の紹介に努めてきた。その中心的なレパートリーはバッハ以前の古楽だった。日本ではバロック音楽すべてが含まれる場合もありますが「古楽」は、古典派音楽よりも古い時代の音楽=中世、ルネッサンス、ごく初期のバロック音楽の総称です。作曲された時代の楽器、演奏方法は、時代を経るにつれ変遷を遂げてきています。近年の「古楽」ジャンルの録音は、19世紀から20世紀にかけて確立されたクラシック音楽の演奏様式ではなく、現代の楽器とは異なる当時の楽器で、音楽史研究に基づいて、作曲当時の演奏様式に則った演奏によっています。但し、オリジナル楽器録音への取り組みはやや遅く、本格化するのはフランス系以外の奏者を積極的に起用するようになった1980年代以降。中心を担ったのはトン・コープマン、ジョン・エリオット・ガーディナー、スコット・ロスといった、グスタフ・レオンハルトたちよりも一世代後、かつフランス人以外の演奏家たちである。
ウィルマ・コザートの名録音
オムニバス(クラシック)
ユニバーサル ミュージック クラシック
2004-11-26

ピアノ協奏曲第2番ハ短調 op.18、前奏曲ロ短調 op.32-10、同ト短調 op.23-5、同嬰ハ短調 op.3-2。Made in France by CNAI. (P) Editions Costallat 1973, Enregistrement réalisé en Décembre 1973 au Palais des Fêtes de Strasbourg.
FR ERATO EPR15532 バッカウアー&ロンバール ラフマ…