FR 	Ades 	19003/4 2X	ドヴィ・エルリー 	パガニーニ・24奇想曲
通販レコード→仏ライト・ベージュ・アンド・ホワイト黒文字盤

FR Ades 19003/4 2X ドヴィ・エルリー パガニーニ・24奇想曲

商品名FR Ades 19003/4 2X ドヴィ・エルリー パガニーニ・24奇想曲

天晴痛快な名盤。 ― 第2次大戦後のフランスを代表するヴァイオリニストとして世界的な名手、ドゥヴィ・エルリの優れた技巧と洗練された表現力が味わえる。エルリの最も輝いていた頃を知ることができる貴重な録音の一つとして、長く記憶しておきたい名演である。いまでこそ知名度は高くないが、1984年から約6年間、桐朋学園などで指導者としても活動し、日本の音楽界へ与えた影響は小さくない。バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタではエネスコに次ぐ高価盤の誉れ高い、愛好家垂涎の名盤とされていた。世界中のコレクターが血眼でさがしているために、LPは途方もない値段で取り引きされており一般のファンにはまず聴けない。その循環が一般からの記憶を遠のかせたが、現代のメディアよりの演奏流行りの中に於いては、忘れ去るには惜しい演奏だ。価値を知っているひとはそうそう手放すまいから本盤も入手は困難。仏 Disques Adès 盤。
諏訪内晶子さんが、1990年のチャイコフスキー国際コンクールで史上最年少、18歳で優勝したことは世界的センセーションとなった。彼女がデビュー時に選んだのがパガニーニの1番のコンチェルトだった。渦中の諏訪内が出ていた新日鉄のCMで使っていたが、曲想が違いすぎて最初はパガニーニとは認識できなかったくらいだった。諏訪内はその後、ジュリアードに留学したが、演奏家としてテクニックは満点だが、 ― 髪の長い女の子が髪を振り乱して難パッセージをこなくていく様はヴィジュアル的にも満点だ。成長した少女はモデルにも見える演奏姿は美しいが。と ― 「歌を忘れたカナリヤ」とも見られがちである。時間的には逆だが、エルリの演奏に同じ印象を持つ。卓越した技巧と表現力を備えたエルリは、レコード時代から名前は知られたフランスの名ヴァイオリニスト。1950年代から60年代にかけてバッハから現代までのさまざまな作品を録音してディスク大賞を4度受賞しているヴァイオリニスト。存命のころは多くのライブをこなし、何度も来日をして後進を指導し弟子たちにフランス流のヴァイオリン演奏をつないだ。伝説とはいえ1990年代になお現役として活躍していて、その名はときおりマニアの間でささやかれていた。広いレパートリーで活躍を続けるが、しかし、幻の名ヴァイオリニストというのがしっくり来る演奏をする。録音数が絶対的に多くもないのだけれども録音メディアよりの演奏家ではなかったようだ。エルリ ― の演奏を聴くと ― は音楽センスの塊のような人なんだと思います。エルリの演奏は殆ど何も書かれていない楽譜から目の覚めるような生命の息吹を引き出してくる。感性が鋭く、情熱的でありながら曲の構成を理解し、溢れんばかりに輝くような音を鳴らしている。速弾きもあれば、大胆に崩した歌の浪漫もあり、曲想の描き分けが尋常ではなく、単調さの微塵もない。パガニーニの霊感とシンクロしたかのように音楽の流れに身を任せて朗々と歌い上げ、自在な感情表現を注入している。当時主流であったハイフェッツやミルシテインのような難曲を制覇し、ヴァイオリン1本による多声構造の試みを聴かせようとした演奏ではない。フレーズの起伏 ― 感情面 ― を果敢に肥大させ、土と海の香りが漂ってくるようです。
昭和初頭のパリに優れたヴァイオリンミシェール・ブーシノー(1929-)はパリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリ(1878〜1962)に師事し、1953年のロン=ティボー国際コンクールのヴァイオリン部門で入賞した。この年のコンクールの創設者のジャック・ティボー(1880〜1953)が審査員を務めた最後の年になった。同年の9月に東南アジアから日本に向かう飛行機の事故でティボーは73歳の命を落としたからだ。コンクールの審査員の一人だったダヴィッド・オイストラフ(1908〜1974)はブーシノーをソ連政府を説得し助手にした。ジュール・ブーシュリ(1878〜1962)はフランスのヴァイオリニスト。ジャック・ ティボー(1880〜1953)の2歳年上で、1892年に15歳でパリ音楽院の一等賞を得た。ちなみにティボーは1897年に17歳で一等賞を得た。モーツァルトの演奏を得意 としたブーシュリだったが、病弱のため早い時期にコンサート活動を停止しパ リ音楽院のヴァイオリン科の教授として後進を育成にあたった。録音は1906年、 28歳の時に13面を残したのみである。ブーシュリの弟子 には、後にブーシュリ夫人となったドゥニーズ・ソリアーノ(1916〜2006)、ジャ ニーヌ・アンドラード(1918-)、ジネット・ヌヴー(1919〜1949)、ローラ・ボベ スコ(1919〜2003)、イヴリー・ギトリス(1922-)、ミシェール・オークレール (1924〜2005)、ドゥヴィ・エルリ(1928-)ほかがいる。ヴァイオリニストとしてのブーシュリは電気時代になってからは録音をしなかったが、 愛弟子ソリアーノのために指揮棒を取ったモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番が残されている。1928年生まれのフランスの名匠ドヴィ・エルリ。パリ音楽院を1等で卒業し、パスキエ、カザルス、エネスコに師事、1955年のロン・ティボー・コンクールで優勝した伝説のヴァイオリニスト。惜しくもパリ10区で交通事故に遭って亡くなったが、それも授業でエコール・ノルマルに向かう途中だったという。何しろレコードが少なく入手も難しく市場価格は高根の花であることから、幻のヴァイオリニストの名を欲しい儘にしたエルリー。戦後のスター・システムに組み込まれず、キャリアについての情報はファンにはほとんど知られていない。そんな乏しい経験からでも本盤試聴終えた後に確信をもって云えることは、エルリーこそはヴァイオリンのフランス楽派、もっといえばパリ音楽院の伝統、その最も純良な部分を受け継ぎ、体現したヴァイオリニストである。きちんと書けそうでしたが、この項未整理です。追記修正することはありません。
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