FR  DGG  2530 966 アバド マーラー・交響曲4番

商品番号 34-12174

通販レコード→仏ブルーライン盤

LPレコードより、CDで購入したファンが多いかもしれません。 ― 自家用車は珍しく、オート三輪を群れをなして子供らが追いかけていた。脚元は舗装が敷設され始めたぐらいで、馬が労働力でもあった頃。激しい雨が降った朝、自動車の通った後には土の路上は凸凹になり、馬が足を取られるので瓦やSP盤が投げ込んである光景を覚えている。CDが一般家庭に普及した頃には、松任谷由実や松田聖子のLPレコード十数枚も束にして不燃ごみに出してあった。ご多分に漏れず、わたしもCDに熱心になりバーンスタイン、アバドのマーラーは格好だった。それが縁あって、その頃のLPレコードも毎日聴ける事情になったのが2005年。ドイツからの直輸入盤は在庫だったLPレコードだ。マーラーの交響曲の中でも明るい曲で、クラウディオ・アバドの美しいカンタービレとフレデリカ・フォン・シュターデの清楚な声が映える演奏だ。録音当時、フォン・シュターデをわたしはアイドル的存在で聴いていたこともあり、フォン・シュターデの歌唱が一番この曲に合っていると思う。マーラーの4番として長年の愛聴盤である。この曲を聴く大きなポイントは第4楽章の歌唱にある。後はレナード・バーンスタイン指揮のエディト・マチスの歌唱も大好きだった。1977年5月にウィーン、ムジークフェラインザールで録音。分かり難いかもしれませんが、1970年代のシャープな音調の中に1960年代のドイツ・グラモフォンの音色を少し加えた感じの音質と言えるでしょう。アナログ録音は円熟の域にあり、デジタル録音の到来を準備するようにマイク・セッティングの工夫がいろいろと伝わってきた頃で、日本でのオーディオ熱も高騰していた。心底音楽を、指揮を楽しむ表情に生命の根源の活力として生涯一貫していたことをアバドの録音からは感じられる。アバドがシカゴ響とウィーン・フィルの両方を使ってマーラーの交響曲全曲録音に乗り出したのは1976年、交響曲第2番の発売からでした。第2番に続き、満を持してウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と録音された第4番。ウィーンフィルとシカゴ交響楽団を振り分けた最初のマーラーチクルスは今でも燦然と光を放っている。アバドは継続的にマーラー録音を手がけていますが、内容もだが録音史上の価値から言っても、バーンスタインの全集に次ぐ偉大なものであることに異論を挟む余地はない。実際、アバドはマーラーの交響曲を第8番を除いて、ほぼ3回づつ録音している。その数は、やはり3回の全集を残したバーンスタインと双璧だろう。いずれ劣らぬヴィルトゥオーゾ・オーケストラ3団体を起用したゴージャスな全集です。ところが、《巨人》はシリーズの終わりの方で、1981年2月にようやく登場。アバドは1986年からはウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めている。そして、この時点で第8番を除く9曲が録音済みであった。しかし、1990年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のシェフに正式に就任、翌1991年にウィーン国立歌劇場・音楽監督を辞任したことで新たなシリーズが始まる。このプロジェクトに続くようにベルリン・フィルとの1989年12月ライヴ録音もリリースされたので、録音の近い、このシカゴ響との《巨人》は宙ぶらりんの印象が残りました。ベルリン・フィルとの方がアバドの解釈は明らかに深まり、確信に満ちている。しかし、アバドがベルリン・フィルと再録音し始めたチクルスは表現しようとする世界が旧盤とは全く別物なので、シカゴ響との爽快感はレコードで聞きたい。ベルリン・フィルとの録音はとても美しい演奏だが、どこかよそよそしい。ベルリン・フィルとの録音は音楽監督就任間もない1991年の録音だからそう違うはずはないのだが、シカゴ響の方がゆったりとしているのだ。
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クラウディオ・アバド(Claudio Abbado)は1933年6月26日、イタリア・ミラノ生まれの指揮者。ヴェルディ音楽院の校長を務めた父のもとで育ち、1954年からウィーン音楽アカデミーで学ぶ。父のミケランジェロ・アバドはイタリア有数のヴァイオリンの名教育者であり、19歳の時には父と親交のあったトスカニーニの前でJ.S.バッハの協奏曲を弾いている。オペラ監督のダニエル・アバドは息子、指揮者のロベルト・アバドは甥である。1959年に指揮者デビューを果たした後、ヘルベルト・フォン・カラヤンに注目されてザルツブルク音楽祭にデビューする。ベルリン・フィルやウィーン・フィル、シカゴ、ドレスデンなどの桧舞台に早くから客演を重ね、確実にキャリアを積み重ねて、1968年にミラノ・スカラ座の指揮者となり、1972年には音楽監督、1977年には芸術監督に就任する。イタリア・オペラに限らず広大なレパートリーを高い質で提供しつつ、レコーディングにも取り組んだ。1990年、マゼールなど他に様々な有力指揮者らの名前が挙がった中、カラヤンの後任として選出されベルリン・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督に就任し、名実共に現代最高の指揮者としての地位を確立した。アバド時代のベルリン・フィルについて、アバドの音楽的功績や指導力については評価はかなり様々であるが、在任年間の後期の成熟期におけるベルリン・フィルとの録音として、ベートーヴェン交響曲全集(2回目・3回目)や、ヴェルディのレクイエム、マーラーの交響曲第7番・第9番、ワーグナー管弦楽曲集、等々がある。現代音楽もいくつか録音されており、世界最高の名器たる実力を余す所なく披露している。楽曲解釈は知的なアプローチをとるが、実際のリハーサルではほとんど言葉を発さず、あくまでタクトと身体表現によって奏者らの意見を募る音楽を作っていくスタイルだという。その点がアルゲリッチの芸風と相性が良いのだろうか、マルタ・アルゲリッチとも多くの録音がある。比較的長めの指揮棒でもって描かれる曲線は力強くかつ繊細であり、自然なアゴーギクとともに、色彩豊かな音楽を表現するのが特徴である。
1977年5月ウィーン、ムジークフェラインザールでのセッション・ステレオ録音。
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