34-12570
商品番号 34-12570

通販レコード→仏シルヴァー青文字盤
ゴッホの音楽 ― 音楽に色彩を感じる人がいるが、音自体は色として脳は記憶するらしい。音楽を言葉で説明するのは難しいものですが、ヴォルフの音楽はゴッホの絵画を説明代わりにできる。ヴォルフはいわば、音楽界におけるゴッホのような存在です。二人とも時代のずっと先を行く芸術家でした。ヴォルフは脳を蝕まれて早世した人ですが、あり得ないような奇妙な和声でも実際に聴いてみると納得させられます。ワーグナーのオペラの影響を強く受けた人ですが、ワーグナーが4時間以上かかるオペラで表現した内容を、フーゴ・ヴォルフは2、3分で示す。芸術性が非常に高い一方でエンタテインメント性に富むものばかりです。完璧なまでにクレージーに思える純粋性には、モーツァルトを重ねることが出来そうです。バンベルク交響楽団の来日公演の指揮者として、また1970年代、NHK交響楽団を定期的に指揮し日本国内でも絶大な人気を誇っていたホルスト・シュタイン。ワーグナーをはじめとするドイツ作品に関して並ぶもののない指揮者として、音楽性のみならず独特な風貌も含め広く愛されていました。NHK交響楽団とのワーグナーを始めとした数々の名演で知られる指揮者ホルスト・シュタインは1980年から85年までスイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督も務めていました。ドイツ・ロマン派の音楽やオペラで他の追随を許さないエネルギッシュな指揮芸術は、ドイツの正統的なカペル・マイスターの伝統に根ざしており、滋味溢れる深い味わいは感動と充足を誘う。もともとバイロイト音楽祭でクナッパーツブッシュやカイルベルトの助手を務めてワーグナー指揮者としての腕を磨き、ウィーン国立歌劇場やハンブルク国立歌劇場も制覇。バイロイト音楽祭で「パルシファル」や「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を振っていることからも実力は ― 剥げ頭に大きな御凸は頭が二つあるくらいインパクトの強いキャラクターだけに ― 双頭なもの。1980年からはスイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督に就任し、その頃の録音がこのアルバムのヴォルフです。デッカにグルダと入れたベートーヴェン・ピアノ協奏曲全集が印象深く、それも名門ウィーン・フィルとやっている。しかし、レコード点数はフィリップスから発売された〈バイロイト・ライヴ〉を除くと目ぼしい物はなく、本盤は追悼盤として初めてCD化されたほど熱心なファンの間で幻盤とされるもの。エルネスト・アンセルメに鍛え上げられたスイス・ロマンド管弦楽団の録音はいつもどおりに素晴らしい。
ホルスト・シュタイン(Horst Stein)は1928年5月2日、大指揮者ハンス・クナッパーツブッシュの故郷として知られるラインラント地方の都市エルバーフェルト(現在はヴッパータール市の一部)に生まれました。フランクフルト・アム・マインの音楽ギムナジウムとケルン高等音楽院で音楽教育を受けますが、ケルン高等音楽院ではこちらも同郷の名指揮者ギュンター・ヴァントに師事しています。1949年にヴッパタール市立劇場の合唱指揮者に就任してキャリアをスタート、1951年にハンブルク国立歌劇場指揮者となって活動を本格化させる一方、1952年から1955年にかけてはバイロイト音楽祭で、ハンス・クナッパーツブッシュ、ヨーゼフ・カイルベルト、ヘルベルト・フォン・カラヤンなどのアシスタントを務めて経験を深め、自身も1962年に『パルジファル』を指揮してバイロイト・デビューを果たします。ベルリン国立歌劇場の楽長を経て1963年にマンハイム国立劇場音楽監督に就任(1970年まで)。1970年から3年間はウィーン国立歌劇場第1指揮者を務めるなど、叩き上げのオペラ指揮者として重厚な実績を残します。ウィーン国立歌劇場にポストを得た1970年には、バイロイト音楽祭でワーグナーの『ニーベルングの指環』全曲を指揮して絶賛され、ワーグナー・オペラのスペシャリストとしての名声を確立しています。1972~77年にはハンブルク国立歌劇場音楽総監督を務めますが、以降はコンサート指揮者としての活躍に重心を移し、1980年からスイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督を5年間務めた後、1985年にバンベルク交響楽団の首席指揮者に就任、その名コンビぶりは来日公演やレコーディングを通じて日本でもよく知られるところとなりました。1985~89年にはザルツブルク音楽祭に出演、ベルリン・フィル、ウィーン・フィルなどヨーロッパの主要オーケストラに客演、バンベルク交響楽団とは世界各地へコンサート・ツアーをおこなっています。ワーグナー、ブルックナーをはじめとした、ドイツ音楽の伝統を受け継ぐ指揮者として確固とした地位を築いている。日本へは1973年にNHK交響楽団への客演で初来日、2年後の再登場時には名誉指揮者の称号を贈られるなどNHK交響楽団との結びつきはきわめて深く、以後1999年まで定期的に客演を重ねました。1996年、病気のためバンベルク交響楽団の首席指揮者を辞任、終身名誉指揮者の称号を贈られて活動を続けますが、1999年の「プラハの春」音楽祭出演中に倒れ、以降は活動休止状態となったまま、2008年7月27日、スイスの自宅で亡くなられました。享年80歳でした。
交響詩『ペンテジレア』、『お代官様』組曲(ハンス・ガル編)。1980年ジュネーヴでのステレオ・セッション録音。
FR  DEC  591 192 シュタイン ヴォルフ・ペンテシレイア
FR  DEC  591 192 シュタイン ヴォルフ・ペンテシレイア