34-21313

商品番号 34-21313

通販レコード→仏ダーク・ブルー銀文字盤

まさにレコード芸術史上の忘れえぬべっぴん。 ― シューマンのピアノ協奏曲は、〈じっくりと〉〈丁寧に〉〈繊細に〉と指示のある、言葉に書くと微妙に少しずつ違う味わいを、ゆっくりしたテンポの中で複雑に描き分けてゆくところにピアニズムを楽しむ勘所がある。ブルーノ・ワルターは、これを自由なテンポで演奏して、抒情的なものに変形してしまうと、シューマンの精神とスコアの指示に背き、3つの部分の対象が全く崩れ去ってしまう。とスコア通りに演奏に従うようにと主張している。33歳で夭折した天才、ディヌ・リパッティが遺した歴史的録音で、自身の行く末を知っていたのか、時に疾走し、時にたゆたう緩急絶妙のテンポ変化、その結果として生まれる瑞々しい歌と躍動感が作品と一体となった稀代の名演。リパッティが、20世紀のピアノ演奏史に燦然と輝いているのは、単に残された数少ない録音の素晴らしさからだけではと思います。リパッティは録音に対しては何時も真剣で一枚のレコードが完成するまでは何度もテイクを重ね、それがより完成度を高めて、結果として強い説得力を生んだと云われている。彼のピアニズムを一言で言い表すとすれば、繊細、清潔、透明、端整といった表現が相応しいと思います。例えばブザンソンのライヴを聴いて居て感じることですが、既に迫り来る死を避けがたい運命と悟ってたと思われながら、そのような苦悩を微塵も演奏からは感じさせずに、常に聴衆の方を向いていたのではと思いたくなります。これがモノ録音しか聴くすべが無い現代でも高い支持を得ている要因では無いかと結論づけては早計でしょうか。33歳で逝ってしまったことが、何故か、英国のジャクリーヌ・デュ・プレやイシュトヴァーン・ケルテス ― それぞれに病死ではありませんが、突然の最期として ― に重なりあう。リパッティの33歳の早すぎた死は、何枚も名盤量産するという輝かしい未来を奪い、歳月を重ねて到達する円熟の境地を与えなかったですが、このルーマニアの才能を惜しむ声は高まりこそすれ、一向に衰えずリパッティ初期盤収集に苦労します。
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ディヌ・リパッティ(1917〜1950)は、ルーマニアのピアニスト、作曲家。ブカレスト生まれ。アルフレッド・コルトーに魅入られて教えを受けるが、33歳でジュネーヴ郊外でこの世を去った。彼のピアノの特徴は、透明な音色でピアノを最大限に歌わせていることである。純粋に徹した、孤高なまでに洗練されたピアニズムは古今でも随一とされる。死因は白血病といわれることが多いが、実際はホジキンリンパ腫である。演奏会の直前まで40度の高熱を出して病床に伏していたリパッティであったが、医師の制止を振り切り、強力な解熱剤の注射により、ようやく立ち上がることができるような状態で、蹌踉めくようにステージに姿を現し、やっとのことでピアノの処まで辿りつくことができたという。しかし、この録音を聴く限り、そんな身体の状況などは微塵も感じさせず、集中力の高いピアノ演奏には驚かされるばかりである。リパッティの音楽性が俗化されたヴィルティオーゾとは種類を異にし、寧ろ17世紀に用いられた〝コニサー〟(玄人、目利き、通)という呼び名こそ相応しいと、名プロデューサー、ウォルター・レッグは述べている。指奏法の完璧な修錬と、抑制されたペダリングからなる演奏スタイルは、格調が高く、貴族的で、厳しく孤高な趣がある。古い録音の為、最新の録音に比較すれば特にピアノ等は音質云々あるかも知れない…ただ、音楽としての芸術性は、陳腐化するどころか、より輝きを増しているように思える。そんな音楽性が、リパッティ没後70年経た現在でも、名演として聴き継がれているのだろう。このレコードで聴ける、シューマンとグリーグのピアノ協奏曲で、シューマンはヘルベルト・フォン・カラヤン、グリーグはアルチェオ・ガリエラの指揮でどちらも上手い。特にシューマンのピアノ協奏曲はレコード芸術の歴史上でも貴重な遺産である。これほど、ロマンの香りが高いシューマンの《ピアノ協奏曲》は滅多に聴けるものではない。何か、リパッティがシューマンに乗り移って、幻想的な森の奥深く分け入って、平穏な一時に身を委ねているかのようでもある。夢幻的な名演とでも言ったらよいのであろう。テレビ特撮「ウルトラセブン」最終話で、モロボシ・ダンがアンヌに素性を告白、アンヌが「ダン!行かないで!」と叫んだ瞬間にかかるのが、まさにこの録音。音楽担当の冬木透氏がそれまでの常識を打ち破り、クラシック作品を子供向けの特撮ドラマで延々とかけました。それがあまりにも映像とマッチしていたため、ここからクラシック・ファンも多く生まれ、音源を突きとめた少年までいたことが『ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた』(青山通著・アルテスパブリッシング)に詳しく述べられています。冬木透氏は、不治の病のリパッティのあとのない切迫感が、素性を明かしM78星雲へ帰らねければならないダンの心境を表すのに、これ以上のものはないと選んだそうですが、まさに慧眼。シューマンの音楽がオリジナルの劇伴音楽以上に全国の子どもたちの心をつかんだと申せましょう。曲は卓越したピアニストだった、シューマンの妻、クララ・シューマンが演奏することを念頭に作曲した、ピアニストとしては断念した作曲家の覇気に燃える音楽家としての息吹を感じさせます。そのドラマティックなインパクトが、ウルトラセブンに使われた理由でしょうか。そこから離れても、類のない名演で、涙なしには聴けません。
  • Record Karte
  • 1948年4月9〜10日ロンドン、EMI アビーロードスタジオ・セッション。リパッティ、カラヤンという夢の組み合わせ実現は、勿論大御所レッグがいなかったら考えられなかった。1947年は純粋にSP録音。モノラル録音。
  • FR COL FCX322 ディヌ・リパッティ シューマン/グリーグ…
  • FR COL FCX322 ディヌ・リパッティ シューマン/グリーグ…
シューマン&グリーグ:ピアノ協奏曲
リパッティ(ディヌ)
ワーナーミュージック・ジャパン
2012-02-15