34-17301
商品番号 34-17301

通販レコード→仏ブルー"Walking Eyes"黒文字盤
メリハリのきいた最高の名演― 伝統的な和声に支配された旧来の音楽から脱却し、近代音楽への扉を開いたドビュッシーの作品の粋を集めた一枚です。何も万人受けをするような通俗的な演奏をすることはない。ドビュッシー作品の立体的構造を透かし彫りにして見せる ― これぞブーレーズの真骨頂。朗々と華やかに感情的に歌うだけが「魅力」ではないと、はっきり示している。葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は怒濤の大波と、飲み込まれる小舟のはかなさ、遠くに小さく富士が明快に描きわけられている傑作。そのデフォルメされた世界にインスパイアされたと思われるのが、この演奏だと思います。それを現実の音にするがため当時のブーレーズは、わざとフランスのオーケストラを嫌ったということです。化粧っけがない軽めの響きの(ニュー・)フィルハーモニア管弦楽団は、明快でカッチリとしたアンサンブルが魅力、1991年になってクリーヴランド管弦楽団で再録音していることで本盤を徹底させたかったのだろうと、ブーレーズの狙いがあったと確信します。本盤におさめられた演奏は、各管弦楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くすとともに一切の主観や情感を拝した前衛的とも言える斬新な演奏であった。1966年~68年にかけて、ブーレーズがオットー・クレンペラー時代のニュー・フィルハーモニア管弦楽団、およびジョージ・セル時代のクリーヴランド管弦楽団と録音したLP3枚分のドビュッシー・アルバムは、オーケストレーションの細部を透明・精緻に再現し、伴奏音型の微妙な変化やリズム・パターンの推移をまるでレントゲンを当てたかのような明晰さで描き切ったという点で、それまでの19世紀生まれの指揮者たちのフランス音楽解釈とはまったく異なるドビュッシー演奏解釈の地平を開拓してみせた。夜明けから刻々と変わる海の一日を描いた《海》、「《牧神》のフルートから音楽の歴史は息遣いを変えた」と語るブーレーズの、エスプリに溢れたマラルメの象徴詩をもとに作曲された《牧神の午後への前奏曲》など印象主義の代表作。 ドビュッシーにしろラヴェルにしろ、フランス近代音楽というものは「印象派」などと呼ばれ、『印象派絵画』と混同され勘違いされているが、なぜかキラキラ派手でごちゃごちゃしたもののように『印象派音楽』は扱われるべきではない。ブーレーズの奏でるフランス音楽というのは派手で生々しい感情的な音楽ではなく、 余計な味付けを省いて音楽の骨の髄まで味あわせてくれる自然食品のような魅力こそが醍醐味であって、野菜一つ一つの味が一つづつを強調するのではなく、すべてを一つにまとめて、この全体の響きが出来上がる。幅広いデュナーミクと的確な拍による湧き上がる盛り上がりだ。後年のドイツ・グラモフォンへの再録音に聴かれる巨匠的風貌とは異なる、壮年期のブーレーズならではの冷徹なまでの情熱に貫かれた緻密さへの志向は、この録音以降も凌駕されたことはない。
現代フランスの偉大な作曲家、指揮者のブーレーズがフランスの黄金時代を築いたドビュッシーの作品集を録音。交響的素描「海」、牧神の午後への前奏曲、舞踏音楽「遊戯」の3曲。既成概念の再考を激しく迫る、この時代のブーレーズならではの演奏と言えるでしょう。ピエール・ブーレーズ(Pierre Boulez)は1925年3月26日、フランスのモンブリゾンに誕生。リオンで数学などを学んだ後、パリ音楽院に進んでオネゲル夫人に対位法をメシアンに和声を師事し、そのごレイボヴィッツに12音技法を学びます。1945年ブーレーズは『ノタシオン」を作曲、翌1946年には『ピアノ・ソナタ第1番』、『ソナチネ』、『婚礼の顔』も書き上げています。この年ブーレーズは、プロとしての最初の本格的な仕事となるジャン=ルイ・バロー&マドレーヌ・ルノー劇団の音楽監督に就任します。仕事の内容は舞台演劇に音楽をつけるというものでブーレーズ自身、オンド・マルトノ演奏を行ったりギリシャ悲劇『オレスティア』のための音楽を作曲・演奏するなどして、1956年までの10年間に渡って活躍します。その間、『ピアノ・ソナタ第2番』、『水の太陽』、『弦楽四重奏のための書』などの他、代表作となる『ル・マルトー・サン・メートル(主のない槌)」を作曲。この頃のブーレーズは過激な言動でも知られていた時期で、「オペラ座を爆破せよ」、「シェーンベルクは死んだ」、「ジョリヴェは蕪」、「ベリオはチェルニー」といった数々の暴言が現在のブーレーズからは信じられない刺激的なイメージを伝えてくれます。そして1954年10月、過激な時期のブーレーズによって創設されたのが室内アンサンブル「マリニー小劇場音楽会」で、この団体は翌年には「ドメーヌ・ミュージカル」と名前を変え、以後大活躍をすることとなります。
「ドメーヌ・ミュージカル」は当時のブーレーズが音楽監督を務めていた劇団の舞台でもあるパリのマリニー劇場を本拠地とし、件のジャン=ルイ・バローと、その夫人のマドレーヌ・ルノーがパトロンになって発足したもので創立者にはブーレーズと、この両名が名を連ねています。彼らは最初から現代音楽に特化したアンサンブルだったわけではなく、1954年のシーズンにはマショーやデュファイ、バッハといった古楽プログラム、ドビュッシー、シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルン、ストラヴィンスキー、バルトーク、ヴァレーズといった近代プログラム、シュトックハウゼン、ノーノ、マデルナなどの現代プログラムが3つの柱として存在しており、年を経るに従って現代プログラムの占有率が高くなっていきました。さらに、この団体の活動は演奏会の開催だけにとどまらず機関紙や研究書の発行にまで至り、ヨーロッパのみならず世界の現代音楽シーンに多大な影響を与えることとなります。作曲も順調で、『プリ・スロン・プリ』、『ストローフ』、『ピアノ・ソナタ第3番』、『エクラ』、『ストリクチュールⅡ』なども手がけています。その間、注目されることになったブーレーズは1960年から1963年にかけてバーゼル音楽アカデミーの教授を務めたりしましたが1967年には、フランス政府の音楽政策に抗議してフランス国内での演奏活動の中止を宣言、「ドメーヌ・ミュージカル」をジルベール・アミに託し(1973年に解散)、自らは指揮者としての活動に本腰を入れBBC交響楽団やニューヨーク・フィル、クリーヴランド管弦楽団を指揮して国際的に活動するようになります。ちなみに「ドメーヌ・ミュージカル」。ブーレーズ時代13年間の公演数は約80、登場する作曲家は約50名、作品数は約150曲といいますから、当時からブーレーズのレパートリーの広さにはかなりのものがあったことが窺われます。1967年以降のブーレーズは英米の他、バイロイトにも登場して指揮者としての名声を高めていますが、その間にも作曲は行っており、『ドメーヌ』や『即興曲 ― カルマス博士のための』、『カミングス、詩人』、『典礼 ― ブルーノ・マデルナの追憶』といった作品が書かれています。そうした声望を受け1976年にはフランスに設立されたIRCAMの所長に就任、同時に創設された現代音楽専門のアンサンブル「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」の音楽監督も兼任し、1990年代まで現代音楽に集中的に取り組むようになり、『レポン』、『デリーヴ』、『ノタシオン管弦楽版』、『固定/爆発』といった自身の作品の発表を行います。1990年代初頭、国際的な指揮の舞台に復帰したブーレーズは1995年からはシカゴ交響楽団の首席客演指揮者となり、以後、欧米各国のオーケストラを指揮して数々のコンサートやレコーディングも実施。そのため作曲の方は少なくなりましたが、それでも『アンシーズ』、『シュル・アンシーズ』、『アンテーム1』、『アンテーム2』の他、80歳となった2005年には『天体暦の1ページ」を書くなど、継続的に作品発表を行っているのは流石です。
交響的素描「海」、牧神の午後への前奏曲、舞踏音楽「遊戯」の3曲。1966年12月19日~21日、ロンドン、バーキング・タウン・ホールでのステレオ録音。
FR CBS S72533 ピエール・ブーレーズ ドビュッシー・海
FR CBS S72533 ピエール・ブーレーズ ドビュッシー・海