34-12929

商品番号 34-12929

通販レコード→独ブラック金文字盤 Das Alte Werk

ヤング・バッハ・フェロー ― オランダ・バッハ協会は2021年~2022年のシーズンに創立100周年を迎える。1921年、少数の音楽家が、斬新な考えのもとにこのオランダ・バッハ協会を立ち上げました。目標はヨハン・セバスティアン・バッハの時代の演奏スタイルへ立ちもどり、ヴィレム・メンゲルベルク指揮によるアムステルダムの「マタイ受難曲」の伝統に異議を唱えたいと思ったのです。新しく結成された小編成のアンサンブルは、バッハの「マタイ受難曲」を教会で演奏して本来のスタイルで鳴り響かせるという、当時としては画期的な試みを行いました。現在に至る活動の原動力となった、このオランダ・バッハ協会の「マタイ受難曲」は、今もなお、毎年ナールデンの大教会にて演奏されています。また、バッハ協会では、若き才能に舞台経験の場を提供しており、若き音楽家たちを養成、指導することで、バロック音楽に新たな息吹をもたらしたいと教育・普及活動にも大いに力を入れています。若き音楽家たちは、「ヤング・バッハ・フェロー」としてバッハ協会のもとで実習し、将来の聴衆を育む役目も果たしているのです。このバッハ協会は、さまざまな指揮者に率いられてきました。設立当初から順に挙げると、ヨハン・スホーンデルベーク、エヴェルト・コルネリス、アントン・ファン=デル=ホルスト、シャルル・デ=ヴォルフ、ヨス・ファン=フェルトホーフェンです。とりわけ、ファン=フェルトホーフェンは、35年にわたり芸術監督を務め、オランダ・バッハ協会を適切な声楽・器楽を擁する自他ともに認める本格的なバロック・アンサンブルに育て上げました。バッハは教会カンタータ(BWV1〜200)と世俗カンタータ(BWV201〜214)を作曲しました。音楽の形式は大きく変わらず旧作が融通されました。1784〜87年に次男エマヌエールと門人キルンベルガーが「四声のコラール」(BWV253〜438)をカンタータから抜粋して出版したり、バッハ自身も器楽協奏曲を転用したり、オルガン曲に編曲したり、ミサ曲ロ短調(BWV232)やマルコ受難曲(BWV247)を旧作のパロディで構成しました。降誕節オラトリオ(BWV248)は6曲のカンタータから構成され、復活節オラトリオ(BWV249)はカンタータを拡大した作品です。晩年のバッハは、あるジャンルの音楽を記念碑的、集大成的な大作に仕上げて出版する、ということに執着していたように思われます。そして未完に終わったフーガ音楽の金字塔「フーガの技法」に至る通り、彼の時代より100年以上遡る黄金時代のポリフォニーの技法に大きな関心を向けていました。《ミサ曲ロ短調》はバッハが満を持して放つ教会音楽の金字塔と考えてよいでしょうか。本盤『Symbolum Nicenum』はその第2冊です。全体の中心に置かれる《クレド》はバッハが最晩年になって取り組んだ楽章であり、この大ミサ曲の焦点というべき〝バッハの野心〟が込められた部分です。→コンディション、詳細を確認する
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礼拝堂で行われる毎回のミサのために新たに作曲したとは限らないので、ここでは敢えて書いたとしますが、バッハの大部分のミサ曲は何時、何処で演奏されたか明らかでありません。しかし他人の作ったキリエ、グローリアといったミサ用楽曲のバッハによるコピー譜もいくつか残っていますから、礼拝でそれらが必要だったのだという事がわかります。
黒人ジャズ歌手の歌を聴き、盗み取ることで歌唱を磨いていったビング・クロスビーに訪れた好機は、1931年のこと。視点を日本に向けると、昭和6年、コロムビア商標を英国コロムビアから譲り受けた日本コロムビアは、すべての国産レコードのマークを現在の音符のコロムビア・マークに統一。東洋一のコロムビア・マークのネオン塔を川崎工場屋上に完成させた頃。舞踊や教材として蓄音器は普及していったが、マイクロフォンを使って電気録音されたポピュラーソング・歌謡曲のレコードが人気を得始めていた。わが国のラジオ放送は1925(大正14)年、東京と大阪で始まりました。続いて名古屋でも始まり、放送開始以来わずか1年半で、聴取者数30万という爆発的な普及をみました。昭和3年11月10日の昭和天皇即位式のラジオ放送計画を機に、新規加入者数に応じて取扱者に仲介手数料のほかに奨励金を払うことで加入者増大を図っていますが、1931(昭和6)年の岡山・小倉放送局の開局、受信機の低価格化と品質の向上、さらに9月の満州事変の勃発で戦況や国内状況の迅速な情報取得が必要となったことから、同年から加入者が急増しました。また、戦時下にあって、政府は、国防強化の面からラジオ放送を聴取することを奨励し、一層ラジオの普及に拍車がかかりました。閑話休題。この年、28歳になったクロスビーはCBSラジオ放送で、自分の名前が冠に付いた15分番組『ビング・クロスビー・ショー』を持つチャンスを掴む。毎週放送される、その甘い歌声はたちまちラジオを通してアメリカ中に広がり、彼は一躍アイドル的存在となってゆく。クロスビーの歌唱は、テクニシャン・タイプではなく、持って生まれた好ましい声質を上手に使って、〝好ましい気分・雰囲気〟を漂わせる高等技術に、その魅力的に聴かせる本質があると考えています。加えて、それこそ〝古きよき時代のアメリカ〟を思い起こさせる声質と同時に彼は、音楽史上においていち早くマイクロフォンを用いることで、新しい時代の歌い方を確立してしまう。
  • Record Karte
  • Soprano – Annette de la Bije, Alto – Wilhelmine Matthes, Bass – David Hollestelle, Flute – Hubert Barwahser, Oboe – Haakon Stotijn, Oboe d'Amore – Leo Van Der Lek, Trumpet – Wim Groot, Organ – Albert De Klerk
  • DE TELE  SAWT9428 アントン・ヴァン・デル・ホルスト…
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