34-21030

商品番号 34-21030

通販レコード→独ピンク黒文字盤 Victrola

この演奏は典雅なウィーン情緒を感じさせるものではありません。 ― しかし、ここで聞かれるルービンシュタインのピアニズムの純粋な美しさは素晴らしいものです!少年時代に、シューマンの友人であったヴァイオリニストのヨアヒムの薫陶を受けたアルトゥール・ルービンシュタインは7歳でモーツァルト、シューベルトの作品を公で演奏し、1899年、12歳の時には、ベルリン音楽大学で、ヨアヒムの指揮の下、モーツァルトのK.488のピアノ協奏曲を弾いて華々しいデビューを飾っています。ルービンシュタインほど巨匠という言葉が似合う芸術家も少ないのではないかと思います。ルービンシュタインが行くところはどこでも演奏会場は超満員の聴衆で埋め尽くされ、演奏が終わると熱狂的な多くのファンたちが 楽屋裏に殺到して一言話したりサインを求めました。 ルービンシュタインは非常に社交的で誰とでも親しく話せる各方面の幅広い知識とユーモアと話術を持っていたようで、そして何より彼自身、人と話すのが何よりも好きな人でした。そしてリサイタルの時には演奏を始める前に舞台に出て聴衆の中の特定の人の顔を目に焼き付けて、その人に語るような意識をもって演奏したそうです。レパートリーは比較的広く、バッハ等のバロックから、ラヴェル、ドビュッシーのフランス近代までの時代の作品を網羅していますが、ルービンシュタインはモーツァルトの室内楽曲は「百万ドルトリオ」と言われた、ヤッシャ・ハイフェッツ、エマニュエル・フォイアマン(後にグレゴール・ピアティ ゴルスキー)とトリオを組んだため、折ある毎に演奏していますが、ピアノ協奏曲は僅かに6曲しか採り上げてはいません。その内の、第27番K.595はごく稀にしか演奏しておらず、RCAの本盤(第17番K.453、第21番K.467、第23番K.488、第24番K.491)の4曲の他、第20番K.466があるにとどまる。しかも、ルービンシュタインといえばショパンの演奏での評価が高く、時折ショパンのタッチを髣髴とさせるところもあり、典雅なウィーン情緒を感じさせるものではありません。然ありとうなずきて、フランスの山小屋での厳しい自己練磨で目指した「楽譜に忠実な演奏」はここでもその成果を見せ、全体的な作品の構造力の把握は堅固なものになり、古典派の音楽の造形はしっかりと保たれています。しかもルービンシュタインはこの演奏でピアノの音のみを聞かせているだけでなし。ルービンシュタインの演奏には「人生の喜び」があると言われますが、音楽本来の純粋なあり方 ― スコアに忠実に演奏すること ― を細心に示しながら、ルービンシュタインのピアノの醸し出す「生きる喜び」とも言える自然体で粋な生への肯定的な音色が、このモーツァルトの演奏でも一体となった、類希な名演奏になっています。ルービンシュタインの純粋なピアノの音の底流には、それまでの苦難を克服した「人生の歩み」が流れており、あなたは演奏を聴き進む内に、その「人生の喜びの歩み」を次第に自身のこころで聴きとって共有してゆくことになります。
私にはベートーヴェンがソナタの1楽章全部を費やして語るよりも多くのことを、ほんの数小節でモーツァルトが表現してしまうように思えます。私はモーツァルトを本当に、本当に心から尊敬しています。簡単にいえば彼は、自分のこころと魂と音楽性のすべてを、そしてまた天才を既製の型に流し込むことができたのです。ルービンシュタイン
アルトゥール・ルービンシュタインはポーランドのユダヤ人家庭に生まれ、1898年にベルリンでデビューした。ヨーロッパで長く活動した後、第二次大戦前にアメリカへ渡り世界的な名声を得た。祖国愛、政治的亡命、アメリカでの成功と、いかにもアメリカ人が喜びそうなサクセス・ストーリーが見え隠れしている。彼の祖国への愛に嘘偽りがあるとは思わないが、どうもプロモーション上、そういうイメージが作られていたような気がする。1940年代に結成した「百万ドルトリオ」も然り。ルービンシュタインは、この呼び名を嫌ったらしい。ヤッシャ・ハイフェッツとグレゴール・ピアティゴルスキーのコンビとは袂を分かちている。ルービンシュタインほど数多くのリサイタルを開いたピアニストはいないとも言われ、超過密スケジュールのリサイタルをこなすその体力に皆が一様に驚嘆していたそうで、 ルービンシュタインは聴衆の前でピアノを弾くことを心の底から楽しんでいました。「演奏会を開くのがどんなにつらい仕事か」と誰かが口にしたとき、「演奏会を開くことは仕事ではありませんね。それは喜びですよ。ピアノに向かって座り、美しい音楽を弾く。これほど楽しいことが他にありますか?」とルービンシュタインはきっぱりと言ったそうです。ルービンシュタインは怠惰を勤勉に置き換えることによって、現存のもっとも賞賛される芸術家となった。「怠惰」から「勤勉」に切り替わるきっかけとなったのがアニエラ・ムリナルスカとの素晴らしい出会い、結婚、 そして幸福な家庭に恵まれたことでした。そして多くの聴衆の心をつかみ、世界中の多くの人たちとの交流を大切にし、彼らを愛しました。そして聴衆は皆、ルービンシュタインを愛していました。当時73歳のルービンシュタインが、ロンドンで〈モーツァルトのピアノ協奏曲第17、20、23番〉を録音した時のこと。ルービンシュタインは、彼の弾く全ての音が自分の聴衆に聴こえなくてはならない、と録音プロデューサーだったジョン・カルショーに何度も言っていた。カルショーにはその意味がよくわからなかったが、セッションが始まるとすぐに理解した。初めから終わりまで、情け容赦もないほど強大にピアノを響かせたい、ということだと。ルービンシュタインが指名した指揮者のクリップスは、ルービンシュタインの要望どおり、オーケストラの音をできるだけ小さくして演奏し、ルービンシュタインは逆に雷鳴のごとくピアノが響くように大きな音量で弾いた。バランスエンジニアは対応不可能。その頃はピアノとオーケストラを2つのトラックに直接録音していたので、バランス調整ができなかったのだ。この録音セッションを委託したRCAも、このルービンシュタインのフォルティシモへの情熱に耐えてきたらしく、この録音を聴いた結果、モーツァルトの協奏曲を発売するより費用を無駄にすることを選ぶ、とカルショーに伝えてきた。実際に、その録音は公開されていない。
1956年12月に集中的に行われたアルトゥール・ルービンシュタインにとって、はじめてとなったベートーヴェンの協奏曲全曲録音は、かけがえない出会いとなります。とても60歳代後半とは思えないルービンシュタインの煌びやかで溌剌とした演奏はヨーゼフ・クリップスの好サポートを得て、喜びに満ちた演奏でした。このベートーヴェンの成功からルービンシュタイン、クリップスの親交が深まり、その後のブラームス、モーツァルト、シューマンへと録音が実現しました。ルービンシュタイン、クリップス又はアルフレッド・ウォーレンスタイン、そしてRCAビクター交響楽団の三者によって演奏されるモーツァルトのピアノ協奏曲から4曲を選んだ本盤は、まずベートーヴェンの録音から2年後、1958年に録音された第24番だけはクリップスが指揮を受け持っています。70歳も目前にしながらもブラームスの難曲をいとも簡単に弾きこなし、そして音楽的成熟していったモーツァルトやシューマンでのルービンシュタインの演奏にはただただ脱帽ですが、それはクリップスとの阿吽の呼吸からうまれるものだと再認識される録音です。そして、ウォーレンスタインの「シュトルム・ウント・ドランク」を思わせる指揮ぶりも申し分ありません。そのオーケストラの劇的な表現力は特筆されるべきものです。このRCAビクター響の正体は、由緒有るフリッツ・ライナーのシカゴ交響楽団で、その力量が十分なものであることも教えてくれます。
怪人プロデューサーの自宅アパートで深夜、部下の事業部長が打ち合わせをやっていたら、ガサゴソと音がして食堂の大型冷蔵庫の扉が開いた。手に何か食べ物と飲み物を抱えてベッドルームへ去ろうとしている小柄な男がいた。斯くも、世紀の巨匠は人懐っこい人柄であった。アルトゥール・ルービンシュタイン(Arthur Rubinstein, 1887〜1982)は若いころから華があるピアニストであり、大変に人気もあるピアニストだった。優れた音感と驚異的な暗譜力を持ち備えており、初めて見る楽譜も練習もせずに見ているだけで難なく弾くことができた天才肌のタイプであった。ルービンシュタインは早くから異常なピアノの才能を示し、姉の弾くピアノの曲を聴いただけで、そっくりそのままピアノで再現することができ、姉が間違えたところはそっくりそのまま間違えて弾いたそうです。ルービンシュタインは厳格なメソッドが嫌いで、それよりも音楽の情熱、躍動を重視するタイプのピアノ弾きでした。演奏旅行中に次の演奏会のプログラムとなっていた「フランクの〈交響的変奏曲〉を汽車の中で楽譜を読んだだけで覚え、マドリッドで初めて弾いたことがある」と回想されても居るように、ユーディ・メニューイン、ヴィルヘルム・バックハウスと並ぶ練習嫌いの上に、練習に時間も取れなかったのだろう。ショパンの「木枯らしのエチュード」は左手が旋律を担うのだから右手を適当に弾いてもそれらしく聴こえる、と言って実践したこともあったようです。彼は第1次世界大戦前はパリ、ロンドンに拠点を置いて、ヨーロッパ、南米各地で超過密スケジュールで演奏活動を展開し、その華やかで情熱的な演奏で聴衆に熱狂的に迎え入れられていましたが、その一方でアメリカ合衆国では聴衆・批評家ともに比較的冷淡な反応だった。
実際、当時はミスが多いがため、アルトゥール・ルービンシュタインが演奏しているピアノからこぼれ落ちる音符を掃除担当者が片付ける風刺画さえ描かれていた。そんなある時、17歳年下のホロヴィッツがパリデビューを果たした際、ルービンシュタインはその素晴らしいテクニックに驚嘆し、静かな絶望に陥ったようです。ウラディミール・ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz, 1903〜1989)は研ぎ澄まされた独特の感性と、正確無比な演奏をする完璧主義者でもあった。わずかなミスにも妥協を許さず苦悩の様子を見せていた、そんな彼の姿はきっとルービンシュタインから見ると理解できる範囲を超えていたのかもしれない。ルービンシュタインはそれを自覚して自己の演奏の欠点を顧みることはありましたが、その一方で彼の情熱的で華やかな演奏を好んでくれる聴衆もいるのだから、あえてその欠点を修正する必要もないのではないかという思いもあり、そのはざまで揺れ動いていました。しかし、ホロヴィッツに限らず彼よりも若いピアニストは皆、彼よりも正確なテクニックでピアノを弾くという現実に直面し、「今は聴衆に受け入れられていても、努力しなければやがて忘れ去られてしまうのではないか」と自信が揺らぎ始めていました。1928年、41歳になったルービンシュタインに変化の兆しが見え始めます。彼は以前、ピアノ演奏の録音を経験したことがありましたが、そのロールピアノの録音は音質が非常にこもっている上にノイズも多く、すっかり失望してしまい録音には懲りていました。この年、イギリスのH.M.V.レコードの代表者から録音の話を持ち掛けられた時も、以前の録音で懲りていたルービンシュタインは気乗りしませんでした。しかし、「気に入らなければレコードを発売しない」という条件で彼はその誘いを受け入れ、非公開でショパンの「舟歌 Op.60」を録音したところ、その音質の良いことには驚きましたが、改めてプレイバックを聴くと自分の演奏の音抜けやミスタッチがあまりに多いのに閉口しました。「こんなことではダメだ。もっと正確な演奏をしなければ」という危機感がさらに強くなってきました。ルービンシュタインのピアノ演奏の技術的な精度は録音技術の発達と大いに関係があるようです。またそれと同時に、彼は「そろそろ結婚して家庭を持ちたい、大切な伴侶と家庭に恵まれれば、彼らが自慢できるようなピアニストを目指そうと頑張れるのではないか」という思いも芽生えます。この年、久しぶりに彼の祖国ポーランドに帰り、エミール・ムリナルスキ指揮ワルシャワフィルと共演し成功を収めます。その時、最前列で彼の演奏にうっとりと聞き惚れていた女性がいたことにルービンシュタインは気づいていました。演奏会後、指揮者ムリナルスキが楽屋裏でこの女性を彼に紹介しました。それは指揮者の娘、まだ10代の金髪の美少女アニエラ・ムリナルスカでした。ルービンシュタインはこの人に惚れ込みました。
それまで遊んできた数々の女性よりもはるかに魅力的で、そこには知性と良き妻の資質を垣間見て、アルトゥール・ルービンシュタインは寝ても覚めてもこの人のことを考えるようになりました。しかし彼はアニエラとの24歳という年齢差を考えると積極的になれず、そうしているうちにアニエラは何と他のピアニストと結婚してしまいました。ルービンシュタインは奈落の底に突き落とされたように落胆し茫然自失となり、その心の慰めをピアノと友人に求めました。そんなある時、アニエラが離婚したという話を友人が彼にこっそりと教えてくれました。表向きにはアニエラの年齢が若すぎるからというのがその理由だったそうですが、本当はアニエラがルービンシュタインのことをどうしても忘れられなかったというのがその理由だということでした。「父の指揮するあのコンチェルトの演奏会の時、私はあなたのことが好きになりました。でもあなたは私に少しも関心を示してくれなかったものですから ... 」とアニエラは告白しました。「歳の違いを気にしていましたし、それにその時はまだ心の準備もできていませんでした」とルービンシュタインは言いました。しかし、アニエラは歳の差を全く気にしていなかったようです。プレイボーイの返上。2人は1932年に結婚します。この時、ルービンシュタイン45歳、アニエラ21歳、歳の差24歳の結婚でした。アニエラはピアノを聴く優れた耳を持っていたようで、ルービンシュタインの良い聴き手だったようです。そして彼は演奏スタイルを根本から見直し、新たなスタイルを構築・確立していった。ミスタッチや音抜けを克服するため、ルービンシュタインは楽譜を入念に読み、パッセージ毎に細かく区切って楽譜に忠実に正確に音を再現していきました。その鍛錬期間は3か月間だったようですが、この3か月間でルービンシュタインの演奏は見違えるように変わったようでした。練習の合間にアニエラと一緒に村を散策するのを楽しみました。ルービンシュタインは小柄なピアニストですが、ピアノ演奏に自信をつけた彼はアニエラからは 「まるで巨人が歩いている」ように見えたそうです。この1934年の鍛錬の前後の録音はEMIに残されています。1932年録音のショパン・スケルツォ全曲、1934年録音のショパン・ポロネーズ1番~7番は、非常に情熱的で躍動感溢れる天才肌の演奏ですが、ミスタッチは多く感じられますが、しかし1938年から39年に録音されたショパンの51曲のマズルカ集では、ミスタッチ、音抜けが格段に少なくなり、持ち味の溌溂としたリズムと情熱、変幻自在で豊かな音楽性をそのままに、そこに抑制とコントロールが加わることで技術的な完成度は格段に増し、「大家の芸」と呼ぶに相応しい見事な演奏となっています。この1934年の前後で、ルービンシュタインが遊び人タイプの練習不足のピアノ弾きから、押しも押されもせぬ一流ピアニストに大きく前進したことが録音記録からもはっきりと聴きとれます。
そして彼はウラディーミル・ホロヴィッツと共にピアノ音楽の巨木的存在としての地位をゆるぎないものにした、安心して聴くことのできる温か味を感じさせるピアニストになっていった。しかも、ホロヴィッツに見られるような目の覚めるような派手なテクニックを追い求めるのでなく、明るくキラキラと輝くダイヤのような芯を持ち自然に朗々と歌い上げられるフレーズに卓越したリズム感にあると彼自身の魅力を見出した。その音はアルトゥール・ルービンシュタインとホロヴィッツの音楽の方向性、人柄、音色、性格、レパートリーに多々対極にあるように見えるが、音楽への想い、観客へのサービス精神は何ら変わるところがない。ルービンシュタインは過去、数回に渡ってショパンのあらゆる曲を録音していますが、 演奏技術の完成度、音質を考えると、1958年~1966年というステレオ最初期にRCAビクター・レッドシールに録音したもので、録音当時、ルービンシュタインは70歳代でしたが、演奏技術は若い頃よりもむしろ正確で、強靭な打鍵でスタインウェイのフルコンサートを鳴らし切る美しく輝かしい響きで弾き進めていくゴージャスで堂々としたショパン演奏です。ショパン演奏はセンチメンタルで感傷的な演奏が主流だった一時期もあったようですが、ルービンシュタインは安っぽい感傷に陥る瞬間は一瞬たりともなく、板についた自然なテンポ・ルバートで朗々と格調高くピアノを歌わせます。ルービンシュタインの演奏が今の時代にもあまり古さを感じさせないのは、彼の演奏のこのような特徴によるところが大きく、ショパン演奏の規範として今でも多くの愛好家に愛聴されているのは皆さんもご存知の通りです。
僕がルービンシュタインを何故嫌いかというと姿勢が良いわけ。ということは上半身の力が全部鍵盤にかかるわけ。すると、もう割れんばかりの強い音が出るけれども、汚い音になる ― 坂本龍一がグレン・グールドの演奏から聴こえ出るピアノの音と姿勢の関係を語るところで、引き合いに出されている。20世紀のアメリカが求めたショーマンシップもシンボリックすぎるほど見事だった世紀の巨匠、アルトゥール・ルービンシュタイン。1935年の初来日の後、2度目に彼がやって来たのは1966年6月、すでに79歳の高齢であったが、その舞台のなんという素晴らしさだったことだろう。演奏も舞台姿も円熟の極み、風格豊かで一切の無駄と虚飾を取り去った音楽の本質がそこにあった。しかも、どんなに枯れていても若い頃の道楽者には艶福の名残りがあった。「私は40歳までは女ばっかりだった」とルービンシュタインは指揮者の岩城宏之に語ったそうだが、まあ話半分としても求道者よりはプレイボーイ的な演奏であることは確かだ。しかし、そうした遊びを芸の肥やしにして壮年から老年にかけてのルービンシュタインの深まり方は只事でなく、ほとんど奇蹟のような出来事であった。レコード録音はSP時代はもちろんだがモノーラル時代、そしてステレオ時代に入ってからも、その初期の頃のルービンシュタインには大味なイメージが強い。そんなアメリカの外面的なヴィルトゥオーゾが、70歳代も半ばを超えてから急速に円熟への道を歩み始めた。若い頃は放蕩と道楽の限りを尽くし、60歳代に至るまで効果を狙うだけのピアノを弾いていた最も人間臭い人間ルービンシュタインが、やっとその脂ぎった演奏に抑制を効かせ過度に華やかだったタッチを是正した結果が、ピアノを弾くのが楽しくてたまらない。という風情で、まさに人生の達人の姿がそこにあった。いかなる激しい演奏場面においても背骨がピンと伸びきって、身体のあらゆる部分に無駄な動きが全くないのには驚かされる。そんなルービンシュタインの演奏にはいやらしさが寸毫も感じられない。それは歌舞伎の名優が舞台上で大見得を切っても、演技が少しも下品にならないのと似ている。華のあるステージであり、華麗な音楽創りをしているのに思わせ振りがない。1世紀に一人か二人しか出現しない、この人はまことに「大名人」としか表現しようのない音楽家であった。
モーツァルト : ピアノ協奏曲第17番・第20番・第21番・第23番&第24番
ルービンシュタイン(アルトゥール)
BMGインターナショナル
2000-10-25

1958年4月12日(24番、ヨーゼフ・クリップス指揮)、1961年3月30〜31日(17番、23番、アルフレッド・ウォーレンスタイン指揮)、4月1日(21番、アルフレッド・ウォーレンスタイン指揮)ニューヨーク、マンハッタン・センターでのセッション録音。
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