商品名DE HELIODOR 2703 001 オイゲン・ヨッフム ワーグナー・ローエングリン

《「ローエングリーン」の初のLP全曲録音 ― 1953年にLPで発売されたっきり全く復活しなかった幻の録音。》 巨匠オイゲン・ヨッフムの数少ないワーグナーの全曲録音の一つでありながら幻だった。バイエルン放送交響楽団との組み合わせで、ブルックナー同様の名演を聴かれるので大注目。
ブルックナーの交響曲を録音したいという、カラヤンの要望にオイゲン・ヨッフムの録音があるからと断ったレコード会社の判断に思うのは、禁欲的なブルックナー演奏が時代の要求にあっていた証だったのでしょう。ルートヴィッヒ2世とヒトラーが好んだワーグナーのオペラで、グランドオペラタイプの絢爛豪華な『タンホイザー』と、“無調”音楽の世界へ扉を開いた「トリスタンとイゾルデ」に挟まれた抑制の効いた奥の深い《ローエングリン》には、こうでなくちゃと思わされる。チャプリンの映画『独裁者』ではヒトラーを皮肉った地球儀と戯れる場面で、ローエングリンの前奏曲が使われている。名選曲といえる、その前奏曲に描きこまれた聖杯の清純な世界を、こうも丹念に歌い回されると早く法悦を迎えたいと思えてたまらない。
オイゲン・ヨッフムの演奏スタイルに派手さはなく地味ではあるが、堅固な構成力と真摯な態度、良い意味でのドイツ正統派の指揮をする。やはり本領はバッハ及びロマン派音楽と思われる。彼は音楽を自己の内心の表白と考える伝統的ドイツ人で、したがってバッハ、ブルックナー、ブラームスに於いては敬虔な詩情を迸っている感動的な名盤を生むが、モーツァルトの本質を探ろうとするほどに湧き溢れて来るがごとき心理的多彩さや、ベートーヴェンの英雄的激情、それにリヒャルト・シュトラウスの豊麗なオーケストラの饒舌を表現するには乏しい結果となっている。ヨッフムがはたして、すでに成長すべき極言まで達してしまった人なのか、それともさらに可能性が期待できるのか、いつまでも巨匠の風貌に至らないのが、好感とともに焦燥を禁じえないが、おそらく同世代のベーム、ベイヌム、カラヤンたちにくらべれば、個性と想像力において弱く、名指揮者にとどまるのではないかと思われた。ところが、後年のヨッフムの録音活動の活発さは目を引いた。戦前のSPでは、わずかにテレフンケンのベートーヴェンの「第7」「第9」ほどだったのと比べて、彼が晩年型の指揮者と称されることを簡易に理解できる面だろう。ベルリン放送交響楽団(1932~34年)、ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団(1934~49年)、バイエルン放送交響楽団(1949~60年)、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1961~64年)、バンベルク交響楽団(1971~73年)とオーケストラ首席指揮者を務めた変遷を見ると、バイエルン以外は短いのに気づくが、同時に2つのオーケストラを兼務することをしていないことも見て取れる。そうした、一つ一つの歴任を経て来たことは彼の律儀な性格のあらわれかも知れない。でも彼の真価が本当に発揮されるのは1970年代に入ってからで、幾つかの楽団を渡り歩いたのちの70歳代になってからである。シュターツカペレ・ドレスデンとのブルックナー交響曲全集やロンドン・フィルとのブラームス交響曲全集、そしてロンドン交響楽団とのベートーヴェン交響曲全集をのこしたのもすべてこの時代である。早熟な天才指揮者ではなかったが、長く生き、途切れること無くオーケストラを相手したことで、職人指揮者で終わることもなかった。
ロレンツ・フェーエンベルガー のローエングリン役、アンネリース・クッパーのエルザ役、ヘレナ・ブラウンのオルトルート役、フェルディナント・フランツのテルラムント役、オットー・フォン・ローアの国王役とハンス・ブラウンの軍令役。今となってはあまり知られていない歌手たちとはいえ、脇役に至るまで、大戦中から戦後にかけて第一線で活躍した堂々とした歌唱の面々です。
ワーグナーは1813年、ドイツのライプツィヒに生まれた。彼の父親は警官だったが、ワーグナーが生まれて半年後に死んでしまい、翌年母親が、俳優であったルートヴィヒ・ガイヤーと再婚した。ワーグナーは、特別楽器演奏に秀でていたわけではなかったが、少年時代は音楽理論を、トーマス教会のカントル(合唱長)から学んでいた。これが後の彼の作曲に大きな役割を果たすことになる。23歳の時には、マグデブルクで楽長となり、ミンナ・プラーナーという女優と結婚した。1839年ワーグナー夫妻はパリに移り、貧困生活を味わった後、彼のオペラ「リエンティ」の成功で、ザクセン宮廷の楽長となった。しかし幸せは長く続かず、ドレスデンで起こった革命に参加した罪で、彼は亡命を余儀なくされる。スイスに逃れた彼は、友人の助けで作曲を続け、1864年、やっとドイツに帰国することが出来た。とはいえ、仕事もなく、彼は借金まみれになってしまった。そのときバイエルンの国王で彼の熱烈な崇拝者だったルートヴィヒ2世が救いの手を差し伸べてくれた。彼らの友情は長続きしなかったが、その後ワーグナーはスイスに居を構え、1870年リストの娘であるコジマと再婚し(ミンナは少し前に死去)、バイロイト音楽祭を開くなど世界的な名声を得た。彼のオペラはそれまで付録のようについていた台詞を音楽と一体化させるという革命的なもので、多くの作曲家に影響を与えた。しかし、第2次大戦中ナチスによって彼の作品が使用されたため、戦中戦後は正当な評価を受けることが出来なかった。
解説書付属、「ローエングリーン」の初のLP全曲録音、1952年12月15〜22日、モノラル後期のセッション録音。
DE HELIODOR 2703 001 オイゲン・ヨッフム ワーグ…
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