34-19226

商品番号 34-19226

通販レコード→独〝STAMP ELECTROLA〟黒文字盤

不朽のベートーヴェン・レコード史屈指の名演 ― フランス音楽のスペシャリストと見なされがちなアンドレ・クリュイタンスがなぜベルリン・フィルハーモニー管弦楽団初のベートーヴェン全集を任されるという栄誉を担ったのか、フランスのオーケストラとベートーヴェンの関わりが本盤で聴ける。オーケストラと指揮者の相性は恋愛に似ている。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの匂いが染みていると避けたヘルベルト・フォン・カラヤンから好機を奪った。永遠に受け継がれるレジェンダリー・パフォーマンス。クリュイタンスは、戦後フランスEMI(パテ)にオペラ全曲盤を中心に録音を開始した。何といっても手兵のパリ音楽院管弦楽団と録音した一連のステレオ録音は、1828年に創設されたこの伝統のオーケストラの美しく古雅な響きを記録した貴重なものです。クリュイタンスは、出身こそベルギーのアントワープですが、フランスでの広範な演奏活動と録音を通じて、20世紀を代表するフランス音楽の解釈者として知られる名指揮者です。フランス国立放送管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、フィルハーモニア管弦楽団とも広範なレパートリーで録音を残しましたが、当時のフランス音楽界はクリュイタンス一人が背負っていたといってもよいかもしれない。1955年のウィーン・フィルとのアメリカ旅行の成功で国際的に大きく注目され、1958年からはバイロイト音楽祭にも招かれるなど世界的な指揮者として活躍しました。モーツァルト、シューマン、ブラームス、ブルックナー、マーラーなどの作品には殆ど縁が無かったものの、ベルリン・フィル初のベートーヴェン全集を録音を担う訳ですが、1957〜60年、ベルリン、グリューネヴァルト教会におけるステレオ録音です。ベルリン・フィル初のベートーヴェン全集としても知られるこの録音、2、4、6、8番の偶数番号作品は昔から人気が高く、とりわけ6番「田園」はブルーノ・ワルター、カール・ベームと並んで同曲屈指の名演として変わらぬ支持を受け続けています。一方、クリュイタンスがベルリン・フィルから紡ぎ出す響きは、フランスあるいはラテン的な意識を超えて、スケールの大きい名演を生み出している。重厚さではなく、ベルリン・フィルから輝く音色の響きと流麗さを引き出した演奏。微動だにせぬイン・テンポが形成する画然たる造型のなかで、ベートーヴェンの音楽が立体的に構築されていく様が、如実に見て取れます。ドイツ系指揮者では味わえぬ大人の雰囲気も醸し出す、彼の棒によってカラヤン色に染まる以前のベルリン・フィルならではの豪気な音色を生かしきった3、5番など奇数作品の充実振りも見逃せない演奏です。第4番などは、カルロス・クライバーとはまた趣の違う眩いばかりに流麗な名演奏をしている。まさに「カラヤンがあるときから追い求めたものではないのか?」という気がしてならない。本盤はその全集録音中の5番「運命」となります。なぜクリュイタンスが、ベルリン・フィル初のベートーヴェン全集を任されるという栄誉を担ったのか、それはこの素晴らしい演奏自体が何より雄弁に物語っています。カラヤンの帝国になる間際の、ベルリン・フィルにフルトヴェングラーの残影濃き瞬間。カラヤンはそれを嫌いフルトヴェングラーの染みが奥深いベートーヴェンを回避しようとしたわけですが、ウィーン・フィルのステレオ録音初のベートーヴェンの交響曲全集録音もハンス・シュミット=イッセルシュテットに先を越される、という栄誉をさらわれた。
アンドレ・クリュイタンス(André Cluytens)は、1905年3月26日、ベルギーのアントワープ生まれ。父、祖父共に指揮者という家系であった。17歳の時、同地の王立歌劇場で補佐指揮者などをつとめ、22歳の時にビゼーの歌劇「真珠採り」で同劇場の指揮者としてデビュー。1949年にシャルル・ミュンシュの後任としてパリ音楽院管弦楽団の常任指揮者に就任し、1964年には同管弦楽団を率いて来日。その名演は今も語り草になっている程である。1967年6月3日にガンのためパリで死去。指揮者として最も脂ののった62歳という若さであった。クリュイタンスが1967年に僅か62歳で世を去ってから、既に50年の月日が経つ。彼の死は音楽から、ある掛け替えのない宝を奪い去った ― という時、私たちが郷愁にも似た気持ちをもって想い起こすのは、彼がフランス音楽の演奏において聴かせてくれた、文字通りにフランス的としか言いようのない洗練と瀟洒な美感だが、クリュイタンスの音楽は単にそうした感覚的な喜びや快感だけで受け取るには、あまりにも情け深いものだった。そこには、最上の感覚的な戯れと背中合わせに、透徹した知性と、一切の過剰や誇張を厳しく拒否する節度があった。それだけではない。伸びやかで自由な愉楽と同時に、磨きぬかれたメティエと職人芸の確かさがあった。オペラやバレエを指揮して生き生きとした劇場的な効果とムードを生み出すかと思えば、宗教劇や教会音楽の演奏には限りなく敬虔な祈りがあった。更に、彼はフランス音楽だけのスペシャリストではなく、ベートーヴェンの交響曲の指揮はドイツでも高い評価を受けていたし、バイロイトでワーグナーを指揮した初のフランス系指揮者でもあった。つまり、クリュイタンスの音楽は、ある一つの概念で規定しようとすれば確実にそれと正反対の概念が浮かんでくるような多元性があったのだが、しかも彼はそうした多元的な要素を生々しい抗争として提出することは決してなかった。すべては自然で自由な美として呼吸していた ― クリュイタンスは常に微笑んでいるというベルナール・ガヴォティの言葉のように、彼の遺したレコードは、その清らかな微笑みがいかに意味深いものであったかを、様々な形で啓示している。それらを改めて聴き返すたびごとに、私たちは、クリュイタンスの死によって失ったものの大きさを、そしてこの50年の間二度と再び見出すことの出来なかった美を、思い知らされるのである。
オーケストラと指揮者の相性は恋愛に似ている。スター指揮者に成ったからってオーケストラに受け入れられないと続かない。アンドレ・クリュイタンスのパートナー、パリ音楽院管弦楽団は今から200年前に「前衛音楽」であったベートーヴェンをフランスの聴衆に受け入れられる働きをした。作曲されたばかりのベートーヴェンの作品を創立から20年間の間に取り上げた演奏会は191回中183回に及ぶ。このコンビのあまりの素晴らしさに「日本のオーケストラがこのレベルになる日は永遠に来ないのではないか」とまでいわれたという。両者の相性は抜群で、このレコードを録音するために人生を成長してきたのではないかと思いたいほどです。両者の幸福な結婚は1967年のクリュイタンスの死去で、パリ音楽院管弦楽団が140年間の楽団の歴史を解散という形で幕を引いたことでも、よほど相性の良い恋愛関係だったのだなぁと素敵で羨ましく思えるのです。クリュイタンスはフランス人ではない。お隣のベルギーはアントワープに生まれ公用語のフランス語以外にドイツ語も学んだ事からドイツ的な素養も身に付けていた。その為か彼がそもそも名声を得たのは1955年にフランス系として初めてバイロイトに登場したという経緯からしてベートーヴェンやワーグナーだった。そのせいかアンサンブルに雑なフランス人の指揮者に比べこの人の演奏は合奏が実にしっかりしているし、非常に計算し尽くされた響きのバランスに驚かされてしまう。まずはこの辺が仏パテ社を唸らせ、数々の名盤を算出し、それらを普遍的なものにしている要因だと思う。もちろんフランス的な色彩感覚も抜群に素晴らしい。これほど色彩的な精緻さでクリュイタンスを越える演奏はちょっと他では見当たらない。なんでこんなに優雅で精緻で色彩感があるのだろう。陶酔感があるのだけど、つねに制御を失わず、熱狂的になっても理性を失わず、エレガント。しかも巧妙にドイツ系の曲目は、本場ドイツの名門ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を起用するケースが多かった。ベルリン・フィル初のベートーヴェン全集を録音を担う訳ですが、1957〜1960年、ベルリン、グリューネヴァルト教会におけるステレオ録音です。これなどはクリュイタンスが言いたいことを良くおしゃべりしているように聴こえます。夫婦仲に会話が大切と言われます。指揮者の中にはオーケストラの上に君臨する亭主関白がいて、それはそれなりに強く訴えかけてくるものがあるのですがクリュイタンスの演奏からは、そうした人為的なカリスマ性は見えてきません。どうにも言葉にするのが難しい個性と雰囲気を持っていて、独特の質感としかいいようがない何かを表現している。どれひとつとっても見落とすことの出来ない貴重盤輩出したクリュイタンスは凄い。この人のもつ深い教養と音楽への真摯な想いが、そのままオーケストラに伝わり何のケレン味もなく響きとして紡ぎだされる様を思えば、オーケストラと指揮者の間の、深い信頼関係がどれほど重要なものかを改めて感じさせてくれるような気もします。
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」、第6番「田園」他(SACDシングルレイヤー)
アンドレ・クリュイタンス
ワーナーミュージック・ジャパン
2017-08-23

1958年3月10,11,13日(5番)、1958年3月(レオノーレ)ベルリン、グリューネヴァルト教会でのルネ・シャラン(パテ)&ホルスト・リントナー(エレクトローラ)によるステレオ・セッション録音。
DE EMI E80 429 アンドレ・クリュイタンス べートーヴェ…
DE EMI E80 429 アンドレ・クリュイタンス べートーヴェ…