34-21258

商品番号 34-21258

通販レコード→英ラージ・ドッグ・セミサークル黒文字盤

モーツァルトの音楽を再構成しシンフォニックな《魔笛》に結実している、レコードだからこその芸術 ― 名プロデューサー、ウォルター・レッグの置き土産 ― 1964年3~4月、ロンドンのキングスウェイ・ホールでのセッション録音。ご存知の方も多いと思いますが、舞台の無いレコードでは必要無いと、この「魔笛」にはセリフがない。セリフ部分に役者を起用しているレコードも多い中、台詞を全部カットした結果、切れ目無くモーツァルトの音楽が連続することとなり、それぞれの曲が息抜きなしに聴き手に迫るのが実に魅力的。通常コミカルな《フムフム…》といった曲でさえ、実に美しい響きと複合的な構造を持つことを如実に知らしめてくれるあたり、まさに比類がありません。音楽的にこれだけ充実した「魔笛」があるだろうか?このオペラ《魔笛》は、第一幕の〝夜の女王側=善〟、〝ザラストロ側=悪〟が、第二幕で逆転することで辻褄があわないのをミステリーと、しばしば表面的なものだけで面白おかしく説明しているものに出会いますが、ユダヤ人指揮者の演奏で聴くことで、あなたが第三の視点であることを気づかせてくれます。さて、このレコードにも録音に纏わる顛末があります。それは、ウォルター・レッグの音楽プロデューサーとしての経歴に悲しい終りとなったのです。〝新しいステレオの魔笛〟をEMIでは以前から企画していた。当初よりクレンペラーの指揮で計画中であり、3月24日イースターの休日の前に最初のセッションを、ロンドンのキングスウェイ・ホールで行う予定だった。ところが、それに先立つ1963年6月レッグは自分が1年後に引退すると、会社(EMI)へ通知していた。そして、1964年3月、レッグは突然フィルハーモニア管弦楽団を解体すると、プレスへ声明を出す。〝新しいステレオの魔笛〟計画が実行される直前のことだ。クレンペラーはオーケストラの解体の件で怒り、レッグにイースター休日明けのピアノリハーサルには顔を出すなと言った。さらに怒りの電報が行き来し、ついにはレッグはクレンペラーが指揮している建物には足を踏み入れないと宣言した。同時にレッグはEMIへもはやこれ以上仕事ができないと伝えてきた。この〝新しいステレオの魔笛〟は3人の童子を児童合唱でなく、アグネス・ギーベル、アンナ・レイノルズ、ジョセフィーヌ・ヴェセイが歌っていることや、第1の侍女をエリーザベト・シュヴァルツコップが歌っていることも特筆が必要。ところが、マダム・シュワルツコップは今まで夫、つまり、レッグ以外のプロデューサーの下で録音をしたことがない。
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イースター明けの最初のセッションは、皆少々不安そうであった。エリーザベト・シュワルツコップの横には彼女の良き友で同僚のクリスタ・ルートヴィッヒがいた。EMIのレコーディング・スタジオである、アビイ・ロード・スタジオは初主演映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」の撮影直前に、ビートルズがアビイ・ロード第2スタジオで録音していた。1964年6月19日にリリースしたオリジナルEP(4曲入り)の「ロング・トール・サリー」に収録する「すてきなダンス」「ロング・トール・サリー」「アイ・コール・ユア・ネーム」で、続く、1964年4月16日には、アビイ・ロード第2スタジオにて名曲「ハード・デイズ・ナイト」を録音している。ビートルズの、このアルバムよりレコーディングは4トラックレコーダーが使用されはじめた。クラシック音楽の録音にはキングスウェイ・ホールは世界中で一番優れた録音場所だが、一つ問題があった。はるか下の地下鉄の騒音が時々入るのだ。『こんな音でオペラを録るなんて考えられないわ』とシュワルツコップ。『バランスと音質が実にひどいわ』とルートヴィッヒ。クレンペラーは眉を上げたきり、何も云わない。EMIの首脳デヴィッド・ビックネルに、レッグの後を引き受けて録音の指揮を取ってくれないかと呼び出されたのはピーター・アンドリー。ヒステリックなムードの中、アンドリーはセッションを進めるのを一旦中断する。数日前の最初のセッションから何も変更していないのだ。レッグの残したセットアップと全く同じである。アンドリー自身は素晴らしい音で録れていると確信していた。行き詰まってしまったが、幸運なことに誰かがケーキを持ってきてくれた。ケーキは魔法のように効いた。芸術家たちはケーキを食べるのに夢中になった。たぶん空腹だったのだろう、再開するとムードは変わっていた。アンドリーは1954年に英デッカの重鎮ヴィクター・オロフの助手としてデッカに入社した。いくつかの現場の仕事を経験したあと、1956年にオロフとともに英EMIに移籍した。以降、1980年代にかけてヘルベルト・フォン・カラヤン、オットー・クレンペラー、カルロ・マリア・ジュリーニ、マリア・カラスといった著名な演奏家の録音にかかわった。EMIを引退したのは1989年ながら、その後も引っ込まずいろいろ音楽関係の仕事をしていた。亡くなったのは2010年12月。デッカのステレオ録音は1954年に始まっている。一般的にはゲオルク・ショルティ盤が、「ニーベルングの指環」の初ステレオ全曲盤だが、2006年に50年間の眠りから陽の目を見る、1955年、バイロイトでの「ニーベルングの指環」の録音を担当したのは、ほかならぬアンドリーだった。
ヨーゼフ・カイルベルトのバイロイトでの「ニーベルングの指環」の録音を担当したプロディーサーはピーター・アンドリー、ステレオの技術者としてゴードン・パリー、バランス・エンジニアとしてロイ・ウォレス、ケネス・ウィルキンソンの名があり、ステレオ担当にパリー、モノラル担当にウィルキンソン、とチームは2つに別れて録音している。パリーはワーグナーに熱心で、しきりにデッカ社に〝指環〟のライブ録音を勧めていて周囲もほとほと困っていた、ヴィクター・オロフとともにアンドリーが1956年にデッカを退社しEMIに移ったのは、自分らが録音した初のステレオ録音の「ニーベルングの指環」の発売が拒否されたことが関係していると思われる。経験の浅いステレオ録音だったためにオロフは若手のアンドリーに任せたのだろうか、オロフはよく知られているように1952年にブルーノ・ワルターの「マーラー・大地の歌」の録音を担当、EMI移籍後1960年にカール・シューリヒト、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による名盤の誉れ高いブルックナーの交響曲第9番の録音もして有名だ。「レコードはまっすぐに」でジョン・カルショウはオロフは高潔な男だった。この時、デッカの演奏家を一人として奪わなかったと退社時を振り返っているが、オロフがそのままデッカにとどまっていたら、カルショウはやりたい仕事が出来ていなかったかもしれない。1955年の「ニーベルングの指環」の録音はしたものの、権利関係はクリア出来ておらず当時のデッカ社の社主、ローゼンガルテンは現場にほとんど任せていて、面倒なことが起こるのを嫌がり、何かにつけて保守的な人物だったこと。この「ニーベルングの指環」の録音の発売は、スタジオ録音で実現したかったカルショウによって拒否されたと考えられる。
オットー・クレンペラーは他の多くのドイツ系指揮者同様、オペラ指揮者として様々な歌劇場で指揮をしている。しかし、不幸な亡命生活から残念ながら本盤のモーツァルトの一連のオペラと、ワーグナー「さまよえるオランダ人」位しか全曲の演奏記録は残されていない。これらのオペラの録音は新しい同曲の演奏が出てきても決して忘れ去られることのないと思う。しかも、この《魔笛》の録音ではオーケストラの編成を減らしているので、両翼配置も相まってピリオド演奏の先駆だったとも言える。ただ、テンポは極めて遅い。でも、そのことでモーツァルトが凝らしたメロディーの魅力が際立って聞こえる。クレンペラーの創り出す音空間は柔らかな響きで、ゆったりと深遠な魔笛の世界を垣間見させてくれる。《フィガロの結婚》の録音に対して、ディートマル・ホラントという学者はクレンペラーはここで、一般にモーツァルトの音楽と結びつけて考えられているもの全てを徹底的に排除してしまっている。と論じているが、《魔笛》でモーツァルトが表現したかったこと、そのモーツァルトの音楽を再構成し、シンフォニックな《魔笛》に結実しているレコードだからこその芸術だ。そこで示される読みの深さはクレンペラーの音楽性と、それを音楽にする力量が無ければ、これだけ充実した演奏はできないのではないかと思う。また、粒揃いの歌手が揃っている。共にデビュー間もなかったルチア・ポップの美しい夜の女王にグンドゥラ・ヤノヴィッツの透明なパミーナ、こわいほどの威厳に満ちたゴットロープ・フリックのザラストロにニコライ・ゲッダによる端正なタミーノ、ヴァルター・ベリーの愉快なパパゲーノ等々。さらに侍女にまでエリーザベト・シュワルツコップ、クリスタ・ルートヴィヒ、マルガ・ヘフゲンというほとんど冗談のような豪華なキャスト。合唱指揮はウィルヘルム・ピッツ。当時の EMI だからこそ成し得た、レコードだから可能になったドリーム・オペラ。英EMIのオペラのレコードは、歌手と演奏を最上のコンディションでオペラを楽しめる。また、このような豪華メンバーを揃える事は現在では不可能。オペラが日常の中にあるから、ドラマの成り行きに気を取られない。DECCAやドイツ・グラモフォンと違ったオペラのレコードの楽しみ方がEMI録音盤の面白みだ。
英EMIの偉大なレコード・プロデューサー、ウォルター・レッグの信条は、アーティストを評価するときに基準となるようなレコードを作ること、彼の時代の最上の演奏(録音)を数多く後世に残すことであったという。指揮者オットー・クレンペラーは、それに良く応えた。本盤も、そのような基準盤の一枚で、レッグの意図する処がハッキリ聴き取れる快演だ。クレンペラーの解釈は揺るぎのないゆっくりしたテンポでスケールが大きい。ゆったりとしたテンポをとったのは、透徹した目でスコアを読み、一点一画をおろそかにしないようにとも思いたくなる。この気迫の籠った快演は聴き手に感動を与えずにはおきません。また何度聴いても飽きません。フィルハーモニア管弦楽団はまさにクレンペラーの為にレッグが作り出した楽器だと言う事、しみじみと感じました。フィルハーモニア管(PHILHARMONIA ORCHESTRA LONDON)は、英ロンドンを拠点とするオーケストラ。愛称は〝ザ・フィル〟。ドイツ・グラモフォンのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団や、DECCAのウィーン・フィルハーモニー管弦楽団同様に、フィルハーモニア管といえばEMIのレーベルが同時に思い浮かぶほどに、この楽団の演奏は随分レコードあるいはCDで聴いてきた。1945年にEMI(当時の英コロンビア)のプロデューサー、レッグが創設。レッグの主目的はやはりEMIのレコード録音のためのオーケストラを作ることにあった。設立当初から主にドイツ、イタリアから指揮者、独奏者を招いて盛んに活動した。優秀な演奏家の積極的な採用が効を奏し、例えば名ホルン奏者デニス・ブレインも創立当初から首席奏者を務めた。その後、リヒャルト・シュトラウス、ヘルベルト・フォン・カラヤン、アルトゥーロ・トスカニーニ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーなどの巨匠を指揮者に迎え、一躍ヨーロッパ楽壇で注目される。多くの録音を残したカラヤンと欧米各地に演奏旅行するほか、クレンペラー、リッカルド・ムーティ、ジュゼッペ・シノーポリが首席指揮者に就任。1997年にクリストフ・フォン・ドホナーニ、2008年にエサ=ペッカ・サロネンが首席指揮者に着き、創設以来の〝録音の多いオーケストラ〟の伝統を堅守。1996年以降、ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールを本拠地として活躍している。
戦後、活動の場に窮したヘルベルト・フォン・カラヤンを英国に呼び、レコード録音で音楽活動が出来る場を用意したことで知られる。ウィーン国立歌劇場の指揮者だったカラヤンは、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地であるムジークフェラインザールで英EMIのために、モーツァルトを録音していた。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの急逝でカラヤンは、ウィーン・フィルとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を手に入れるが、ウィーン・フィルが英DECCAと専属契約を結んでいたので、英EMIを去り、英DECCAの指揮者になる。カラヤンのレコーディング・オーケストラとしての印象は強いが、カラヤン中心になる前には英国のサー・トーマス・ビーチャムに始まり、ドイツのオットー・クレンペラー、フルトヴェングラー、カラヤンを、さらにイタリアからはアルトゥーロ・トスカニーニ、カルロ・マリア・ジュリーニ、そして夭折したグィド・カンテッリなどが指揮台に立った。カラヤンがベルリン・フィルに行き、カンテッリが急死したこともあって、オットー・クレンペラーが浮上する。彼との関係は、1959年の常任指揮者就任から始まり、亡くなる1973年まで14年間続くことになる。〝録音の多いオーケストラ〟の伝統は今も続いており、多い時は年間にセッション数250回にも及ぶこともある。これは色んな音楽、様々な指揮者の下で一定水準以上の演奏が可能になる実力を有することによってはじめて実現するものであって、ただ即応性があるだけでなくその裏には〝高い演奏技術〟と〝柔軟性〟が存する現れであるともいえる。オーケストラの呼称は2度にわたり変更される。1964年に資金不足によりウォルター・レッグが手放して英EMIの専属が切れると、イギリスの自主運営となりニュー・フィルハーモニア管弦楽団に変更、その間例の幻の来日に終わったジョン・バルビローリとの万博公演時も〝ニュー〟の呼称であった。のち、1972年からリッカルド・ムーティが常任につき、5年後にもとの〝フィルハーモニア管弦楽団〟に戻している。そのため、アナログレコードとCDでの、オーケストラ名の表記は混乱を感じる。英COLUMBIAでレコード発売していた頃は、「フィルハーモニア・オーケストラ、ロンドン」を名乗っていたことで、トーマス・ビーチャムが創設した「ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団」と間違われているケースがある。〝フィルハーモニア管弦楽団〟に戻ったムーティの後は、ジュゼッペ・シノーポリが首席指揮者となり、1990年はシノーポリ、2007年はエリアフ・インバル指揮により、「マーラー・チクルス」東京公演を行う。1997年クリストフ・フォン・ドホナーニが首席指揮者に就任。2008年からはエサ=ペッカ・サロネンが首席指揮者およびアーティスティック・アドヴァイザー。サロネンはヘルシンキ生まれの指揮者、作曲家。絶え間ない革新によって、クラシック音楽界において最も重要な芸術家の一人とみなされている。iPadのアプリを開発、Apple社のCMに楽曲が使用されるなど先進的な試みも注目される。デジタル技術を使った教育や聴衆の開拓などにも先鞭をつける。現在はサロネンの他に、終身名誉指揮者にドホナーニ、桂冠指揮者にウラディミール・アシュケナージという陣容となっている。
タミーノ:ニコライ・ゲッダ、パミーナ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ、パパゲーノ:ヴァルター・ベリー、夜の女王:ルチア・ポップ、ザラストロ:ゴットロープ・フリック、弁者:フランツ・クラス、第1の侍女:エリーザベト・シュヴァルツコップ、第2の侍女:クリスタ・ルートヴィヒ、第3の侍女:マルガ・ヘフゲン、パパゲーナ:ルート=マルグレット・ピュッツ、モノスタトス:ゲルハルト・ウンガー、第1の武者:カール・リープル、第2の武者:フランツ・クラス、第1の僧侶:ゲルハルト・ウンガー、第2の僧侶:フランツ・クラス、第1の少年:アグネス・ギーベル、第2の少年:アンナ・レイノルズ、第3の少年:ジョセフィーヌ・ヴェセイ。1964年3月、4月ロンドン、キングズウェイ・ホールでの録音。3枚組。
DE EMI 1C157 10 0031 クレンペラー モーツァルト…
DE EMI 1C157 10 0031 クレンペラー モーツァルト…
モーツァルト:歌劇「魔笛」(全曲)(SACDシングル・レイヤー)
クレンペラー(オットー)
ワーナーミュージック・ジャパン
2017-06-28