DE DGG SLPM139 195 ヤーノシュ ハイドン・ミサ曲
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DE DGG SLPM139 195 ヤーノシュ ハイドン・ミサ曲

商品名DE DGG SLPM139 195 ヤーノシュ ハイドン・ミサ曲

フェレンチークの真の実力が発揮 ― ハンガリー国立交響楽団の首席指揮者を長年務め、戦後のハンガリーの音楽発展に寄与したフェレンチーク。活動の中心が国内に留まっていたため、華やかな知名度を得るに至りませんでしたが、このネルソン・ミサを聴けば、その真の実力を再確認できるでしょう。
熊本地震から立ち直ることを目指す今、この未来への希望へ向けた明るいミサ曲は相応しい。多作家ハイドン故か、交響曲と弦楽四重奏曲を聴くだけ出ていっぱいお腹いっぱいだが、ハイドンの音楽の極めつけはミサ曲だ。ネルソン・ミサは、多作家ハイドンの中でも最高峰の位置にある作品と言えるのではないだろうか。困窮時のミサとも言われるが、困窮時をひたすら耐え忍ぶのではなく、未来の希望へ向けた明るさも表現しているのが良い。ハイドンの地元でもあるハンガリーの指揮者のハイドンの演奏の魅力は如何なるものか、フェレンチクの演奏は派手さは無いが着実で落ち着いて聴ける。
ハンガリーは同じヨーロッパにあっても西ヨーロッパ諸国とは歴史も風土も違う。しかし、地図上で見ると音楽の都ウィーンのあるオーストリアの東隣に位置する。だから音楽とは常に身近な恵まれた立地環境にあった。もう一人のワーグナー(ヨゼフ・フランツ・ワーグナー)にマーチの名曲「双頭の鷲の旗の下に」というのがあるが、これはハプスブルク王朝のオーストリア・ハンガリー帝国を歌ったもので「双頭の鷲」はハプスブルク家の紋章である。ハンガリーは16世紀初頭にオスマン・トルコに敗北してから、不遇の道をたどる。一世紀半後には奪還するも国土は荒廃し、人口は激減、ブダとペストの両町も没落して、ハンガリーはヨーロッパでも一番の後進国へと没落してしまう。やがてハンガリーはハプスブルグ家の支配下に属することとなり、この時オーストリアとハンガリーはそれぞれの首都を持つといった特殊な国となる。こんな環境下にあって、ハンガリーはウィーンと違った自分たちの音楽である民族音楽や大衆音楽が栄え、独自の音楽文化を形成して行く。そのような風土に生れたハンガリーの音楽家たちは多かれ少なかれ、このような影響を子供のころから受けて成長し、そして母国最大の音楽家であるリスト・フランツの音楽院で学び世界に巣立っていった。
ハンガリーは第1次大戦後、オーストリアとの二重帝国体制から引き離され、領土をルーマニアとチェコ=スロヴァキアに侵食された。両国の支配に反対して王制が成立するが、第2次大戦では枢軸国側に属して、ナチスの助力を得ながら領土を回復していくことになる。1944年に民族主義革命により王制は倒れ、ソ連から容赦なくブダ=ペストを占領されてしまい民族主義勢力は除かれ、ハンガリーは共和国として歩み出す。そして、国家という強固なバックボーンをもち、国費で育てられた優秀な人材が安定的に供給される。ショルティは、ハンガリーは「日々の暮らしの中で音楽が重要な部分を占めている。」という。民謡、ジプシー音楽、自国・他国の名曲、いろいろな要素を取り込んで独自の味付けをした軽音楽などがあって、そのおかげで人口1千万人の国ながら、多くの音楽家を輩出している。ハンガリー人のピアニストなら、ゾルタン・コチシュ、アンドラーシュ・シフ、デジュ・ラーンキの三羽烏がハンガリーの演奏家をわたしが初めて意識し、それまでに気になる存在だった、ジョルジュ・シフラがそうであることに驚いたことが、すぐ浮かんでくる。それ以前に、アニー・フィッシャー、ゲザ・アンダ、ヤーノシュ・フェレンチク、アンタル・ドラティ、エルンスト・フォン・ドホナーニ、フリッツ・ライナーなどなど、優秀なピアニストや指揮者が数多い。ヴァイオリンに関してはコダーイ以前から有名で、19世紀にフバイ、ヨアヒムという不世出の名人がいるほか、その弟子筋のシゲティへと受け継がれていく。歌手ではソプラノのシルヴィア・シャシュが最も有名でしょうか。母国で基礎を学び、ウィーンの学校で更に腕を磨いた音楽家が数多い。
ヤーノシュ・フェレンチク( János Ferencsik, 1907-1984 )は1907年、ブダ=ペストに生まれる。幼くしてヴァイオリンやオルガン、作曲に幅広い才能を示し、20歳代で、バイロイトでトスカニーニのアシスタントを務めたことから指揮者のキャリアが始まる。ただし、その後は国内の劇場を中心に叩き上げでステータスを高めていき、国外でも評価されていった。1948年から3年間はウィーン国立歌劇場 ― 戦災で被災したためアン・デア・ウィーン劇場を間借りしていた時代 ― の首席客演指揮者としても名前を刻んでいる。国外での指揮活動がなくなったわけではないが、フェレンチクの主戦場はあくまでハンガリー国立歌劇場、及び、そのオーケストラであるハンガリー国立管弦楽団であった。ザルツブルク音楽祭をはじめ、世界中をまわっての指揮活動は続け、来日も多いが1984年に没するまで、ハンガリー国立管弦楽団の首席指揮者のポストを手放さなかった。ジェルジ・レヘルと並んでハンガリーから外に出なかった国宝級の指揮者である点では、ジョージ・セル、フリッツ・ライナー、ゲオルグ・ショルティ、ユージン・オーマンディ、フェレンツ・フリッチャイ、イシュトヴァン・ケルテスなどが西側に出たのに対し、国に残って自国の楽壇を支えた。米国に渡った指揮者らが選んだ「スコアを正確に明晰に鳴らす演奏」スタイルは、イタリア移民であるトスカニーニに倣うところが顕著な、当時の米国の音楽メディアが圧倒的にラジオ放送依存だったことに関係がある。残響の少ないオペラハウスで情熱的なイタリア・オペラを振ってきたトスカニーニの音楽性は適任だった。同様に、ハンガリー人亡命指揮者たちの理知的で明晰さを重んじる音楽性もその流れに沿ったものだった。一方、低音を基盤としたピラミッド型の音造りと、教会のオルガンの残響の多い音響は欧州で伝統的である。フェレンチクの演奏はまず、重低音の美しさが際立っている。ハイファイ 的な高音域、低音域の強調は全くなく、中音域が厚めのオーケストレーションが見事に鳴っている。それ故、弦楽器セクションのヴィブラートのかけ方ひとつを追っていくだけで充実した楽しみとなるだろう。効果的な響きのコントロールと、アーティキュレーションの明解さによって、フェレンチクは自由に作品からメッセージを引き出すことができる。しっかり脇を締めながらも弱奏部における木管や金管の音色はのんびりとした伸びやかさがあるとともに自然な膨らみがあり。ノン・ヴィブラートの弦楽器の音色には弾力性があり、人々が対話をしているようだ。ひとつの目的に向かって人々が歌いながら自由への闘いに臨むような、巨大なエネルギーを生み出しながらも、全体的には奇を衒わない品のいい演奏であるだけに明確なメッセージとなる。フェレンチクの演奏は傷ついた民族のこころを温めるのに、いかにも効果的だっただろうと思われる。
「ネルソン・ミサ」を含むハイドンの後期宗教作品には、ロンドン交響曲の影響が見られ、独唱と合唱、および管弦楽の両方に重要な役割が与えられている。ハイドンの作品の校訂を数多く手がけた音楽学者、H.C.ロビンス・ランドンは、「ネルソン・ミサ」について、「間違いなく、ハイドンによる作曲の中で最も素晴らしい作品だ」と述べた。1798年に作曲した、ネルソン・ミサ ( Nelson-Messe ) Hob.XXII: 11 は、ハイドンによる14曲のミサ曲のうちの一つ。エステルハージ家のために作曲された6曲の後期ミサ作品のうちの一つです。「ネルソン・ミサ」が作曲された頃には、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世によって1780年代に行われた改革の影響で、複雑な教会音楽が以前に比べて一般的でなくなっていた。ハイドンのパトロンであったニコラウス・エステルハージも例外ではなく、政治的にも経済的にも不安定な状況にあったため、「ネルソン・ミサ」の完成の直前に楽団の管楽器セクションを解雇してしまっていた。 そのため、ハイドンは、弦楽器、トランペット、ティンパニ、オルガンのみから成る楽団で演奏せざるを得なかった。本作品を作曲した1798年には、ハイドンの名声は頂点に達していた。しかしながら、ナポレオンが前年のアルプス越えから1年足らずの間にオーストリアに対して4回もフランス軍は戦勝をおさめていたのである。かくして、1798年の夏はオーストリアにとって恐怖の時代であり、自身不安と混乱の渦中にあったハイドンは作品目録において自らこの作品を「困苦の時のミサ ( Missa in Angustiis )」と名付けた。ハイドン「困苦の時」と名付けたのには、別の見方もある。ハイドン自身がその数ヶ月前に「天地創造」の作曲および初演を行って相当疲弊していたからであること。また、木管楽器を欠いた不満足な楽器編成を強いられたことによる単純な理由かもしれない。とにかく今は初演後のエピソードから、《ネルソン・ミサ》が通称である。初演は9月15日であったが、8月1日にはナイルの海戦でホレーショ・ネルソンの率いるグレートブリテン王国艦隊がフランス艦を撃退していた。この偶然の一致ゆえ、本作品は次第に「ネルソン卿のミサ( Lord Nelson Mass )」と呼ばれるようになった。のちに(1800年)、ネルソン自身がエマ・ハミルトンとともにエステルハージ宮殿を訪れ、おそらく本作品の演奏を聴いた。この出来事によって、「ネルソン卿のミサ」という呼称は決定的なものとなった。
1966年6月ブダペスト、マティアス教会録音。
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