34-19986
〝これは若者向けのつもりで作曲しましたが、大人であっても、この曲と対話することができるはずです。〟 ―  19世紀後半のチェコの偉大な作曲家ドヴォルザークは何といってもクラシックの3大メロディーメーカーのひとりである。後の二人はビゼーとチャイコフスキーだと、わたしは勝手に云っている。ドイツ音楽界の重鎮になっていたブラームスは「彼がゴミ箱に捨てたスケッチでシンフォニーが1曲書ける」というほどドヴォルザークのメロディを評価していた。そして、忘れてはならないドヴォルザークのもう一つの大きな特徴は、独特なリズム感にある。日本人には到底真似できないほどの複雑なリズム、これは彼の血の中にあるスラブ的リズムだろう。《ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ ト長調 作品100》は、ドヴォルザークがアメリカ滞在中に書き上げた最後の室内楽曲。当時15歳だった愛娘と10歳だった息子トニークの音楽的能力を徐々に育て上げていくために用意された。ヴォルフガング・シュナイダーハンの数あるディスクの中でも最もよく知られた名盤。1940年代のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターだったシュナイダーハンはその後特に後進の指導等にもその活動力点を移していったのですが、正直そんなに個性を印象づけるヴァイオリニストではありませんでした。しかしながら古典的にそれもバランスの取れた「無難さ」がある演奏で、初めて接する曲の最初に鑑賞する録音に安心して聴いていられるレコードばかりでした。昨日も思い出話しましたが、ワルター・クリーンのレコード数々も同様でした。本盤録音は1965年。当時50歳のシュナイダーハンが当時37歳だったクリーンと組んで収録したシューベルトの「ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ」も実にその親しみ易いメロディをごく自然に引き出した仕上がりです。彼の音色にはボヘミア派特有の濃ゆい、吸い付くような肌触りをもった、粘着質な音色もたっぷりあります。シュナイダーハンは、19世紀から20世紀初頭にかけて最も優れたヴァイオリン教師の一人に数えられるオトカール・シェフチックの弟子の一人である。シェフチックは第一次世界大戦末期の1918年に、国籍を理由にウィーン音楽院ヴァイオリン科の主任教授を解任されたためプラハ音楽院に復職し、ヤン・クーベリックやヤロスラフ・コチアン、フアン・マネン、マリー・ホール、エリカ・モリーニらの門弟が驚異的な成功を収めたことにより、世界中から音楽学生がシェフチックの許に集まった。また、ハルキウやロンドン、ボストン、ニューヨーク、シカゴでも教師として令名を馳せ、シェフチークの生徒はわかっているだけで1000人以上いる。シェフチックはヴァイオリンの教科書として、おそらく最も優れたものの著者としても有名であり、「砂を噛むように無味乾燥な、しかも、その実効性において、極度に効率の高い」メトードを築き上げた大教師です。その弟子のシュナイダーハンが、ヴァイオリンの技巧という点では、申し分のない高さに立っていることは言うまでもない。しかも彼は、ヤッシャ・ハイフェッツからアイザック・スターン、ダヴィッド・オイストラフにいたる、その音を聴いただけでも人を酔わすに足る甘美豊麗な音を作るという点で秀でているわけでもない。シュナイダーハンの特徴は、彼が、古典、とくにモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスといった18世紀、19世紀ウィーンの大作曲家たちの音楽について、その最も中核的なものを、いちばん無理なく自然に、彼の音楽の中心にしている点にある。それは一音聴けばわかる、癖のある何とも言えない響き。繊細ではあるけれどもナイーヴではなく、ロマンティックといっても、甘いニヤけたものではなくて、ドイツロマン主義的、本気のロマンティックです。この点では、シュナイダーハンはもう一人のウィーンの代表的ヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラーとも違う。クライスラーは、より都会的で、より典雅で、より感覚的だった。これは何と言っても彼の演奏の一番の特徴でもある、男気です。クライスラーのあの洒脱軽妙な甘さと粋はないが、より確固とした技術と虚飾を知らない、平静な深さとでもいったものがある。それがしばしば、アカデミックすぎるとか、中庸で面白みが少ないとか形容されることがありますが、抜群の誠実な様式感と構成力でもって、どこまでも意志的に音楽を作り上げてゆく、その姿勢と持ちあわせた人間味が相互作用していて、ノーブルといっていい品格が現れている。シュナイダーハンが〝型〟を離れて、自在な表現を見せ始めた時期の名演。カール・ゼーマンとの録音から10年余りを経てワルター・クリーンと再録音されたこれらの演奏は、いっそう彫が深く、豊かな起伏と変化に富んでいます。《ソナチネ》を、シュナイダーハンは魅惑の表情を明快な造形の中にバランス良く織り込んで、清潔に聴かせます。絶妙の呼吸で応じる ― ウィーンっ子の ― クリーンのピアノも見事。《ソナチネ》の各楽章は、短く単純ながらも、それぞれ明晰な楽曲構造を示している、それゆえに「ソナタ」ではなく、縮約形で「ソナチネ」と呼ばれている。アメリカ時代の他の室内楽曲 ― 弦楽四重奏曲第12番『アメリカ』、弦楽五重奏曲第3番にすでに表れていたような、アメリカ先住民族の民謡や黒人霊歌に霊感を受けた旋律主題が使われており、就中シンコペーションやペンタトニックが主題の特徴となっている。第1、3、4楽章はとても「ソナチネ」サイズとは思えないほど充実し、第2楽章は真に作曲者自身の深いラメントに魅了される。抜け切った音色と軽快なリズムが音楽の生命を育み、聴き手を自然に終曲へと導いていきます。クライスラーは、第2楽章を「インディアンの子守唄」と呼んで演奏したが、もちろんこれは作曲者の意図とは関係ないものである。日本における演奏・録音のもっとも早い例として、1935年にわずか15歳の諏訪根自子がSPレコードでクライスラー編曲の第2楽章「インディアンの子守歌(インディアン・ラメント)」の録音を当時のコロムビアレコードに残している。リヒャルト・シュトラウスの《ヴァイオリン・ソナタ作品18》は、シュナイダーハンにとって唯一の録音。曲自体もそんなに小難しいことも強烈な個性も無く、この作曲家のピュアな素地、彼が劇場と学校を駆けまわり育ったウィーン的雰囲気が伝わってきます。
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  • 1965年1月4‐7日(ドヴォルザーク)、1965年12月11日(リヒャルト・シュトラウス)、ウィーン、ムジークフェラインザール(ドヴォルザーク)、ウィーン(リヒャルト・シュトラウス)、ハンス・ウェーバ、ギュンター・ヘルマンスによる録音。 Recorded By [Recording Engineer] – Günter Hermanns. Recording; 9th, 10th & 11th December 1965, Wien.
  • DE DGG SLPM139 163 ヴォルフガング・シュナイダーハ…
  • DE DGG SLPM139 163 ヴォルフガング・シュナイダーハ…
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