34-21855

商品番号 34-21855

通販レコード→独 TULIP ALLE HERSTELLER 盤[赤ステ]

深いドイツ人のポエジーと歌心が、シュナイダーハンにはある ―  こういうと、ナチの芸術観を正当化するように思われるかもしれないが、そのような上辺の見方ではなく、実際にドイツ気風が伺えるのである。映画「サウンド・オブ・ミュージック」で描かれているように第2次世界大戦中にその優れた海軍が、ドイツ帝国に吸収されているから、本来ウィーン気風というべきものかもしれないが、生粋のウィーン子のヴァイオリニストというのはそれほど多くはありません。大戦での爆撃によって廃墟と化したウィーンが前に向いて力強く歩みを進めている姿。ヴォルフガング・シュナイダーハンの演奏からは時代の流れに沿って変わり続けるウィーンという「都市」の姿を我透けて見えるような気がするのです。もちろん同時代に戦禍からの立ち直りを人生の背景に保って、素晴らしい演奏をしていたヴァイオリニストとしてヤッシャ・ハイフェッツ、ナタン・ミルシテイン、ダヴィッド・オイストラフなどがいるのですが、彼らにはない深いドイツ人のポエジーと歌心が、シュナイダーハンにはあると、いやがおうでも認めざるを得ない。当時、ベートーヴェンを心の底から理解し、演奏することができる、ドイツ語を母国語とし国際舞台で通用する唯一のヴァイオリニストとして活躍したシュナイダーハンの存在は、注目に値する。滋味あふれるモーツァルトの名共演。シュナイダーハンはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスタースも務めたウィーン出身の名手。モーツァルトには特別な思い入れがあったようで、5曲の協奏曲すべてに自作のカデンツァを用意するほど気合いが入っている。この第4番と第5番は弾き振りをはじめ数種の録音を残しているシュナイダーハンですが、今回はハンス・シュミット=イッセルシュテットとの共演による1960年録音のステレオ初期のオリジナル盤LPです。淡麗辛口といった感じのすっきりとした潔さが持ち味のソロとシュミット=イッセルシュテットによる伴奏の上手さが融合したモーツァルト演奏です。シュミット=イッセルシュテットは、1900年5月5日ベルリン生まれで、1973年5月28日ホルムで没。先祖代々、生粋の「ベルリンっ子」だそうである。「ハンス・シュミット」では、「山田太郎」のごとく、あまりに平凡なことから、母方の姓イッセルシュテットを加えたという。逆にそのためしばしば誤って呼ばれることとなり、「ハンス・メッサーシュミット」とアナウンスしたラジオ局すらあったとか。長じてベルリン大学等で作曲と音楽学を学び、『モーツァルトの少年時代のオペラの楽器法に対するイタリア人の影響について』という論文で博士号を得た。後年、「いまでもプロイセン国立図書館でモーツァルトの自筆稿をのぞき込みながら過ごした何年かのことを楽しく思い出します。」と回想している。大指揮者アルトゥール・ニキシュに憧れ、1923年、バルメン・エルバーフェルト歌劇場(現・ヴッパータール)のコレペティトール=練習指揮者となる。あるときリハーサルなしでリヒャルト・シュトラウスのオペラ『薔薇の騎士』を指揮して成功したこともあって、ドイツ・オーストリー圏で活躍しました。ただし、ストラヴィンスキーをはじめ、同時代の音楽を熱心に演奏したが、それゆえにナチスの政権掌握に伴い「退廃音楽にいれこみ過ぎ」と咎められて、職を失うことになる。1943年にベルリン・ドイツ歌劇場のオペラ監督に招かれ、翌年には音楽総監督に昇格したが、空襲で家を失い、終戦時にはエルプマルシュという農村に疎開していた。ある日、シュミット=イッセルシュテットのもとをイギリス軍将校2人が訪れ、ハンブルクの放送局で交響楽団を創設してほしいと依頼したことが、彼の後半生を決定した。彼の非ナチ問題は、このときに質問票に回答したことで決着したとのことである。「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とウィーン・フィルを交配した弦楽器と、コンセルトヘボウ管弦楽団とフィラデルフィア管弦楽団が結婚した管楽器」をめざし、シュミット=イッセルシュテットは各地の捕虜収容所を駆け回って楽員のオーディションを行った。またドイツ各地から優秀な楽員が集まり、北ドイツ放送交響楽団は早くも1945年11月1日に第1回の定期演奏会を行った。1949年からドイツ国内の演奏旅行が始まり、翌年からはフランス・イギリスへ、また後年にはソ連やアメリカを訪問。その後、1971年に名誉指揮者に転じるまで、このオーケストラの育成に心血を注いだ。現代音楽も盛んに演奏したが、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスなどの名曲を滋味豊かに演奏した名指揮者でウィーン・フィル、北ドイツ放送響、ロンドン交響楽団などを振って録音した名盤が少なからず。シュミット=イッセルシュテットは録音活動はSP時代から活発で、独テレフンケンからポピュラー名曲と協奏曲を大量にリリースしている。
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戦後も録音活動は続けているが、あまり恵まれたものではなかったところ、名門英デッカ社から1958年、ヴィルヘルム・バックハウス独奏によるベートーヴェン・ピアノ協奏曲全集をウィーン・フィルハーモニー管弦楽団でやってみないかと誘いを受けたことと、1965年から同じベートーヴェンの交響曲全集を録音したことで、一躍、レコード愛好家に名前を知られることとなった。ウィーン・フィルがステレオ録音で完成させたベートーヴェンの交響曲全集は、他のレーベルを先駆けて行った偉業だった。このことはビジネス戦略にベートーヴェンの交響曲録音が重要だったことが判る。この抜擢については、子息エーリヒ・シュミット(英国読みはエリック・スミス)が英デッカのプロデューサーであった関係と噂され、また録音現場を実見した人は、オーケストラのほうは、ただ黙々と指揮と録音技師の指示に従う、といった態度に見えましたと語っていたという。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーやブルーノ・ワルターやアルトゥーロ・トスカニーニほどのビッグネームでもなく、ヘルベルト・フォン・カラヤンほどハンサムな人気指揮者でもなかったので ― レコード会社と演奏家は専属契約だったので ― ウィーン・フィル以外にはセールス・ポイントが無いと判断したからでしょう。当時の日本練達のプロの評論家ですらハンス・シュミット=イッセルシュテットの特長を皆困っている当時この全集を買った初心者は,けっこう多かった。後に我が国でとりわけウィーン・フィルの人気が高まった理由の一つがこの全集にあったそれがシュミット=イッセルシュテットで聴くと余り圧迫感が無い。自然に聴けること、楽想の重なり合いのスリルが面白く、対話が美しい。リズムはあくまでスクェアですが柔軟かつ優雅。フォルテの全奏は豪快に鳴るが、咆哮しない。殊更な威圧や脅かしが全然無いのです。内声部が豊かに鳴り、ハーモニーが格別に美しい。基準が出来て、それまでウィーン・フィルを振ったフルトヴェングラーやワルターの個性がわかるようにある人は「男性的迫力に乏しい」と不満を述べ、別の人は「真に迫力がある」とほめている。ある人は「アカデミックでノーブルな演奏」と良い、別の人は「手慣れた職人芸だ」と褒めている。「何よりも先ず自分の歌を聞いてもらおう」というカリスマ的な動機が、シュミット=イッセルシュテットには全く欠けています。それより曲自体をあくまで優先させるのです。シュミット=イッセルシュテットの美学の根本には合奏・協奏の優位が常にあり、合わせる楽しみ、調和することの美しさを全てに優先して大切にしているように思います。どんな演奏効果よりも、いかに美しいシンフォニーとして実現するかに、常に努力をはらっているように思います。シュミット=イッセルシュテットがモーツァルティアンであることは、彼の特長を支えている大層重要なポイントです。
  • Record Karte
  • ヴァイオリン協奏曲第5番 イ長調 《トルコ風》 K.219:北ドイツ放送交響楽団、1960年5月ベルリン、イエス・キリスト教会録音。 ヴァイオリン協奏曲第4番 二長調 K.218:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、1960年12月ハンブルク、フリードリヒ・エーベルトハレ録音。
  • DE DGG SLPM138 678 シュナイダーハン&イッセルシュ…
  • DE DGG SLPM138 678 シュナイダーハン&イッセルシュ…
モーツァルト:VN協奏曲全集
シュナイダーハン(ヴォルフガング)
ポリドール
1998-11-30

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