34-22917

商品番号 34-22917

通販レコード→独 TULIP ALLE HERSTELLER 盤 RED STEREO LOGO[オリジナル]

辛口のショパン ― ショパンがパリでジョルジュ・サンドと知り合い、親しくなっていった頃の約3年に渡って《24の前奏曲》作品28は、作曲されました。完成するのはサンドがショパンの病気を心配して、療養のために二人で渡ったスペインのマジョルカ島の古びた修道院でのこと。ピアノと一緒にやってきた一行は興味を抱かれますが、ショパンの肺結核の病気が島の人々に怖がられてしまったために、二人は人里から遠く離れたヴァルデモサにある修道院に移らざるを得ませんでした。ショパンがヨハン・ゼバスティアン・バッハの「平均律クラヴィーア曲集」を、座右の曲として弾いていて、この《24の前奏曲》作曲のヒントとにもなったことは良く知られています。ハ長調(第1番)とイ短調(第2番)の平行調をスタートとして、24の調に対して、3年の間に1曲づつ曲を作ったのですが、別々に書かれた、短く性格の異なる曲たちは、完全五度づつ上昇して全ての調を一巡するというユニークな配列 ― 五度循環方式をとっているために、全体が見事な統一感を持っています。練習曲集や、ワルツ集での試みが深化して《前奏曲集》は全体がまったく違和感を感じることなく、自然に流れゆく川のように移りゆく。その流れる先は雨音で彩られた、ショパンの代表作「雨だれ」。名曲誕生の裏には地中海で花開いた愛の物語がありました。しかし甘いロマンスだけでは語れない、作曲家ショパンのある壮大な野望がこの曲に隠されている。ショパンの音楽は演奏会向けの虚飾を削り取った後とは、異なる美しき悲しみをたたえている。そうした音楽の儚い美しさは、命が費えようとしているゲザ・アンダ自身かのように重なってしまう。アンダは早逝でしたので、数は少ないがロマン派の音楽を録音しています。冴え渡るテクニック、ゆたかな情緒真価を十全に伝えてくれる。ショパンの前奏曲を3度録音しています。ショパンの練習曲集(1957年/EMI)と同様に前奏曲集(1959年にベルリンで行われたステレオ録音)もまたスタジオ盤は、高い評価を得ているもの。アンダの特徴は、どんなに強奏しても決して音楽が煩くならないことでしょう。テクニックの面では、全く不安のない人なので、どんな難パッセージの前でも破綻をみせません。こういうタイプのピアニストは緩徐楽章は緩慢に流れやすいのですが、アンダは急速な曲もゆっくりした曲も実に上手く弾いています。アンダもこの曲を24曲が独立した〝前奏曲〟ではなく、一つの大曲と捉えているようです。聴き終わった時の充実感は何物にも代えられません。
実に多くの作曲家がヨハン・ゼバスティアン・バッハの「平均律クラヴィーア曲集」へのオマージュを込めて「練習曲集」を世に送り出している。前奏曲は形式にとらわれない自由な転調、劇的な展開を見せバッハの時代には革命的な内容であった。また24の調を使用するというのも前例のないことであり、ショパンが前奏曲と銘打ったのは作曲者への敬意だけでなくその革新的な内容に挑もうという意図があったものといえる。18世紀後半の間は、前奏曲と練習曲を一対としたものが、19世紀に入るとこうした組み合わせが時代に合わなくなり、それぞれ別の曲集として作られるようになった。ショパンもまた、全27曲ある練習曲は作品10、作品25、作品番号のない「モシェレスのメトードのための新練習曲」の曲集からなる。が、ワルツ集を経て1839年1月にマジョルカ島で完成した《24の前奏曲》作品28は深化している。アンコールピースとして個別に演奏されることもあるが、現在ではむしろ24曲全体で一つの作品と考える考え方が主流であり、全曲通して演奏されることが多い。また曲の構成もほとばしる感情をむき出しにするものもあれば、優雅さや穏やかな心を感じさせるのもあり、全曲通して聞いていても聴衆に単調さを感じさせない。ショパン以降には、ラフマニノフ、スクリャービン、ショスタコーヴィチも後に同様な前奏曲集を創作している。天才的なアイディアの傑作です。マヨルカ島で死の淵をさまようほど肺結核が悪化してしまったショパンですが、なんとしても曲集を完成させるために作曲の筆を止めることはありませんでした。ピアノの詩人、ショパンのありとあらゆる音楽表現が詰め込まれた「24の前奏曲」。24曲の中では第15番変ニ長調「雨だれ」が印象的です。初めから絶え間なく続く同じ音「ラ♭」が雨だれに聞こえるので、この呼び名が付きました。「雨だれ」が生まれた背景には、女流作家のジョルジュ・サンドの存在がありました。ショパンとサンドが出会ったのは、パリのある夜会。しかしショパンのサンドに対する第一印象は良くありませんでした。サンドは周囲に何人もの男をはべらせている有閑マダム。一方の病弱で繊細な心を持つショパンの性格は正反対。しかしながら、そんな二人が出会いから一年ほど経ったところで急接近、恋人関係になります。有名人カップルのスキャンダラスな噂で騒ぎ立てるパリから、地中海に浮かぶ島マヨルカ島への逃避行も、病弱なショパンの静養も兼ねての長期旅行でした。ある日、サンドはショパンを修道院に残して買い物に出かけます。しかし突然の嵐が島を襲い、サンドの帰りが夜遅くに。彼女が修道院に帰ると、一人残されたショパンは不安に苛まれながら作曲したばかりの曲を弾いていました。その曲こそ「雨だれ」です。「雨だれ」には愛するサンドと共に聞いた雨音、そして死の淵をさまよった時の雨音が刻み込まれていたのです。「雨だれ」の描写は他調の曲でも行っているが、24曲中最も演奏時間が長く、繋留音が異名同音でこれほどまでに清明(変ニ長調)と暗黒(嬰ハ短調)の対比をさせる結果になっているのは本作だけ。A・B・Aから成る三部形式で、曲は刻々と表情を変えて行きますが、この音だけが変わらずにいつまでも続きます。変ニ長調で書かれたAの部分は、優美な雰囲気を醸し出しています。Bの部分は嬰ハ短調で厳しい現実を表現しています。全く雰囲気の異なるAとBですが、使われている〝雨音〟は同じ「ラ♭」音。「雨だれ」の自筆譜を見てみると、AとBのつなぎの部分で何度も書き直した跡があります。そこにショパンの巧みな作曲技法がみてとれます。同じ雨音を使ってAからBへどうやって橋渡しをするのか、天才ショパンでも大変悩んだ熱い思いが込められている作品だったのです。
遺作を除く13曲のショパンのワルツ集を生前の最後の録音に選んだハンガリー出身の名ピアニスト、アンダは、同郷のベーラ・バルトークのピアノ協奏曲全集の解釈で一家言を成した。その強靭なテクニックは、バルトークだけでなく、ドイツ・ロマンティークのピアノ曲でも発揮され、1950年代から1970年代にかけてのドイツ・グラモフォンの看板アーティストとして声望を集めた。アンダはヴィルトゥオーゾ・ピアニストではあったが、同郷のジョルジュ・シフラのように剛腕で作品を征服するような弾き方は好まず、確実で安定感のある演奏スタイルを良しとした。晩年はモーツァルトのピアノ協奏曲全集の弾き振りをこなし、単なる名技主義に陥らない芸風を確立していた。強く激しく打ちつけることで自分の証を刻むよりも、手の平で掬って愛おしむように愛撫することで、音楽への愛情が込み上げてくる。ハンガリーはマジャールというアジア系騎馬民族を祖先にもっています。ヨーロッパには珍しい黒髪黒瞳短躯黄肌という体型からも伺えます。モンゴル系の流れを汲み名前にもその文化的影響が色濃く残りました。混血進み金髪碧眼白肌化してもその名残が今に伝わっています。欧米諸国のなかではハンガリーだけが、姓・名の順で名前を表記することを文化として大切にしたいと、近頃ではアンダ・ゲーザと表記されることも増えたが、わたしはゲザ・アンダ(Geza Anda)で慣れ親しんできた。そして、日本人の姓・名の順も名前が先でいいと考えています。
  • Record Karte
  • 練習曲集作品25、バラード第1番、1959年7月ベルリン、イエス・キリスト教会録音。
  • DE DGG SLPM138 084 アンダ・ゲーザ ショパン・前奏…
  • DE DGG SLPM138 084 アンダ・ゲーザ ショパン・前奏…
Chopin: 24 Préludes; Sonate No. 2 "Marche funèbre"
Geza Anda Tamas Vasary
Deutsche Grammophon
2008-03-07