34-20404
商品番号 34-20404

通販レコード→独チューリップ初期盤 ALLE HERSTELLER [オリジナル]
迸る熱気が伝わってくる ― ALLE HERSTELLER ではじまる初期チューリップ盤。リヒテルのピアノ演奏は、その内面からくる音楽解釈の深さと卓越した技巧により常に私たちを魅了し続けており、現在でも多くの音楽ファンは楽曲の本質的な演奏をリヒテルに求めています。リヒテルが初めて西側のステージに上がる前、まだ名前のみ知られる存在だった1956年、ドイツ・グラモフォンはプラハに赴き、リヒテルによるシューマンの作品を録音しました。この録音が大成功だったため、さらにリヒテルのレコードを作りたいと考えましたが、当時リヒテルは西側への演奏旅行をまだ許されておらず、1958から59年、録音チームをワルシャワに送り、ここに収められたプロコフィエフ「ピアノ協奏曲第5番ト長調作品55」を1958年9月にヴィトルド・ロヴィツキの指揮で、モーツァルト「ピアノ協奏曲第20番ニ短調 KV.466」を1959年4月にスタニスラフ・ヴィスロツキの指揮で録音が完成。傑出した演奏は時代を超えて輝き続けています。リヒテルのレパートリーはバッハから20世紀の同時代の音楽まで多岐にわたる。そうした膨大なレパートリーを誇る一方で、独自の見識に基づいて作品を厳選していたことも特徴的で演奏する曲は限られている。これはグールドが完璧な曲を自分が演奏するものではないと録音しなかったことに近い動機ではないだろうか。
リヒテルはバックハウスやアラウの系統に属するピアニストだと思う。この3人に共通するのはピアニズムの冴えというか、タッチや音色のクールで胸のすくような美しさを聴かせるよりは、音楽そのものの厚味を最も大切にしていることであろう。従って彼等はモーツァルトやショパンやラヴェル、ドビュッシーなどはあまり得意にしていない。スケールの大きい、交響的な作品にこそ真価を発揮するのである。リヒテルの演奏で特筆すべきは壮大さを生かすべき弱音の繊細さが際立っている点で、精神の深味や詩情、ひっそりとした寂しさの表出が独壇場だ。さて、ここまでのリヒテルの略歴を書いておこう。スヴァトスラフ・リヒテルは1915年3月20日、ウクライナのジトミールに生まれた。父はポーランド生まれのドイツ人でウィーン音楽院に学んだが法に触れる決闘をしたため、ウクライナに逃れてオルガンとピアノを教えた。母は父の教え子である。しかしリヒテルは殆ど独学で音楽を勉強し、オデッサ歌劇場の伴奏ピアニスト、練習指揮者に採用された。1934年、19歳の時オール・ショパン・プログラムで初の公開演奏を行ったが、これが大成功で本格的なピアニストになることを決意、1937年モスクワ音楽院に入学、ゲンリフ・ネイガウス教授に師事した。ネイガウスはリヒテルの才能に驚きプロコフィエフを紹介、その結果1940年リヒテルはプロコフィエフの「ピアノ・ソナタ第6番」を初演することになったが、これが彼のモスクワ・デビューとなり大センセーションを巻き起こした。そして1945年には全ソヴィエト音楽コンクールで優勝、47年に音楽院を卒業したが、この時リヒテルはすでに32歳になっていた。以上のような経歴からも本盤録音時のリヒテルの特質を充分に伺うことができよう。1950年には国家賞第1等を受賞、1960年初めてアメリカを訪問して以来、世界各国にその姿を見せることになったのである。その頃はリフテルと表記されていたリヒテルのピアノには外面的な華やかさも、これ見よがしのハッタリもないが雄大なダイナミックと体中の感情を込め切ったような盛り上がり、ほのかに漂う詩情は言葉に尽くせない。ここには情感に溢れていない部分は一箇所もない、と断言し得るのである。リヒテルのピアノ演奏は、西側にデビューして間もない時期の録音なので、技術的にも全盛期ながら、むらっけのあるピアニストの姿が良く反映していて迸る熱気が伝わってくる。まさに白熱の演奏で、リヒテルのピアノがオーラを発しているようだ。そのオーラを披露されているからファンには堪ったもんではない。
1958年9月(プロコフィエフ)、1959年4月(モーツァルト)ワルシャワ、ステレオ・セッション録音。
DE DGG SLPM138 075 リヒテル&ロヴィツキ …
DE DGG SLPM138 075 リヒテル&ロヴィツキ …