34-23051

商品番号 34-23051

通販レコード→独チューリップ ALLE HERSTELLER 赤ステレオ盤[オリジナル]

カラヤンがドイツ・グラモフォンにステレオ録音を開始した最初期のこの録音はフルトヴェングラーを払拭しようとするカラヤンとオーケストラに乗り移ったフルトヴェングラーの亡霊との鬩ぎ合いで熱気溢れる演奏です。 ―  ブラームスが4手のピアノ連弾用として作曲し、ドヴォルザークや自らのオーケストラ編曲版によってより広く親しまれるようになった《ハンガリー舞曲集》。ヘルベルト・フォン・カラヤンがドイツ・グラモフォンにステレオ録音を開始した最初期のこの録音は、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を見事にドライヴした熱気溢れる演奏を繰り広げています。カラヤンは何とオーケストラ物それも独墺系以外の民族的な臭いのする曲もセンスアップして分り易く聴衆に伝える事の上手い指揮者で、ジプシーのメロディーに対して、オーケストラ・ピースとして済ませない真摯に、真面目に、しかも余裕を持って完璧に捉えている。そこには民族が隣り合っているヨーロッパだからこその、それぞれの文化を尊重している姿勢と精神が伝わってくる。通俗曲だろうとクラシック音楽の演奏家のそうした伝統はヨーロッパの誇りだ。各曲の聴かせどころをつかんで、これ以上は求められないほどの演出巧者ぶりを発揮しているのはもちろん、曲の順番ではなく、曲想を踏まえ再配置し、独自の曲順に並びかえられている点においても、カラヤンのこれらの曲への深いこだわりが感じられる本盤を随一の名演としているところで、発売当初からベストセラーを記録したのもよくわかる。全集としては、他にも優れた名演が目白押しの曲集ですが、選集ということになると、本盤を随一の名演と評価することに躊躇しない。ドイツでは1946年、連合軍による『非ナチ化』政策が始まった。ナチだったと疑われている人々は無罪が証明されるまで公的な活動が出来なくなった。カラヤンもヴィルヘルム・フルトヴェングラーも、そしてカール・ベームをはじめとする音楽家たちも、その対象となった。前年にイタリアでドイツ敗戦を迎えたカラヤンは、何回かイタリアでコンサートを指揮した後、故郷ザルツブルクに戻り、この地で一旦はナチ容疑が晴れた。ユダヤ系の女性を妻としたこと、アドルフ・ヒトラーに嫌われ干されていたことなど、戦争中はマイナスだったことがプラスに転じたのである。カラヤンは1946年になると本格的な活動を再開すべくウィーンに向かったが、ソ連軍の命令で公演を続けられなくなる。さらにはザルツブルク音楽祭にも連合軍の命令で出演できなくなった。1948年、夏、ザルツブルク音楽祭に出演出来たカラヤンが、オペラを指揮するのは初めてだった。だが、「カラヤンが今後も、この音楽祭に出るならば、わたしは出ない」とフルトヴェングラーはカラヤン追放を求めた。斯くて、その後、天敵フルトヴェングラーによりウィーン・フィルを締め出されたカラヤンはウィーン交響楽団に活動の場を移し、とりあえず、カラヤンの戦後はウィーンを活動の拠点として始まったのである。1954年にドイツ音楽界に君臨していたフルトヴェングラーの急逝にともない、翌1955年にカラヤンは、ついにヨーロッパ楽壇の頂点ともいえるベルリン・フィルの首席指揮者の地位に登りつめた。1946年1月のウィーンでの出会い以来、盟友関係にあったウォルター・レッグとカラヤンだったが、カラヤンがベルリン・フィルの首席指揮者の座を射止めた頃から、両者の関係に隙間風が吹くようになっていった。EMI、フィルハーモニア管弦楽団、そしてカラヤンを束ねるのがレッグの仕事だった。カラヤンはベルリン・フィル、ミラノ・スカラ座、ロンドンのフィルハーモニア管弦楽団、そしてウィーン交響楽団を抱えているではないか。どこに、ウィーン国立歌劇場の仕事の入り込む日程的な余地があるというのだ。レッグのそういう言葉には忠告の裏にビジネス上の打算もあっただろう。カラヤンがベルリン・フィルを手に入れるところまでは、レッグの思惑とも一致した。個人的利益には直結しなくなるが、フィルハーモニア管弦楽団に代わってベルリン・フィルを使ってEMIにレコーディングすればいいのだ。だが、ウィーン国立歌劇場管弦楽団はレコーディングの時はウィーン・フィルという別団体になってしまう。そしてウィーン・フィルは、EMIのライバル会社である英デッカと専属契約を結んでいたからだ。ここで英EMIの親分レッグとカラヤンの関係は終止符を打つが、この約10年間に残したレッグ&カラヤン&フィルハーモニアのレコードの数々は、正に基準となるようなレコードであったと断言出来ると思います。こうして英国で基準となるようなレコード作りをレッグから嫌と言うほど学んだカラヤンは、1959年以降この手兵とともにドイツ・グラモフォンに膨大な数の基準レコード作りに邁進した。広く親しまれた名曲を最高の演奏でレコード化することに情熱を傾け続けた彼の姿勢は、本盤にも端的に示されています。1960年代のカラヤンのものがダントツに面白い。とにかくダイナミックスの幅が広く鮮やかで迫力満点。牧歌的な部分から迫力ある部分まで表現の幅が広く、リズムも引き締まっています。演奏はオーケストラに合奏の完璧な正確さを要求し、音を徹底的に磨き上げることによって聴衆に陶酔感をもたらせ、さらにはダイナミズムと洗練さを同時に追求するスタイルで、完全主義者だったレッグのノウハウが100%ドイツ・グラモフォンに流出したと言っても良いのでは、と思える出来栄えも隙が無い。ドイツ・グラモフォンの製作人の中で燦然と輝く指揮者としても活躍のオットー・ゲルデス&ギュンター・ヘルマンス製作盤。1960年代初頭の録音で、ベルリンのイエス・キリスト教会が録音ロケーションになっていました。表紙はカラヤンのプロフィール写真、全世界進出をはじまる意欲的な表情。ドイツ・グラモフォンの歴史的名盤といえる1枚。当時は初期のステレオですが、なかなか臨場感があり、カラヤンも男盛りの颯爽としているときで、 前任者フルトヴェングラーの時代の余韻の残るオーケストラと、推進力溢れるカラヤンの指揮が見事にマッチした演奏です。
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ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908~1989)は、レコード録音に対して終生変わらぬ情熱を持って取り組んだパイオニア的存在であり、残された録音もSP時代からデジタル録音まで、膨大な量にのぼります。その中でも、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との結び付きがいよいよ強固なものとなり、続々と水準の高い録音が続々と行われた1970年代は、カラヤンの録音歴の中でも一つの頂点を築いた時代といえます。ヨーロッパの音楽界を文字通り制覇していた「帝王」カラヤンとベルリン・フィルと、ドイツでの拠点を失ってしまった英H.M.V.の代わりとなったドイツ・エレクトローラとの共同制作は、1970年8月のオペラ『フィデリオ』の録音を成功させる。カラヤンのオーケストラ、ベルリン・フィルの精緻な演奏は、ヘルガ・デルネシュ、ジョン・ヴィッカースの歌唱を引き立てながら繊細な美しさと豪快さを併せ持った迫力のある進め方をしています。有名なベートーヴェンのオペラが、ただオペラというよりオラトリオのように響く。カラヤンは1972~76年にかけてハイドンのオラトリオ『四季』、ブラームスの『ドイツ・レクイエム』、さらにベートーヴェンの『ミサ・ソレムニス』という大曲を立て続けに録音しています。ドイツ、オーストリアの指揮者にとって、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスは当然レパートリーとして必要ですが、戦後はワーグナー、ブルックナーまでをカバーしていかなくてはならなくなったということです。カラヤンが是が非でも録音をしておきたいワーグナー。当初イースターの音楽祭はワーグナーを録音するために設置したのですが、ウィーン国立歌劇場との仲たがいから、オペラの録音に懸念が走ることになり、彼はベルリン・フィルをオーケストラ・ピットに入れることを考えました。カラヤンのオペラにおける英EMI録音でも当初はドイツもの(ワーグナー、ベートーヴェン)の予定でしたが、1973年からイタリアもののヴェルディが入りました。英EMIがドイツものだけでなく、レパートリー広く録音することを提案したようです。この1970年代はカラヤン絶頂期です。そのため、コストのかかるオペラ作品を次々世に送り出すことになりました。オーケストラ作品はほとんど1960年代までの焼き直しです。「ベルリン・フィルを使って残しておきたい」というのが実際の状況だったようです。この時期、新しいレパートリーはありませんが、指揮者の要求にオーケストラが完全に対応していたのであろう。オーケストラも指揮者も優秀でなければ、こうはいかないと思う。歌唱、演奏の素晴らしさだけでなく、録音は極めて鮮明で分離も良く、次々と楽器が重なってくる場面では壮観な感じがする。非常に厚みがあり、「美」がどこまでも生きます。全く迫力十分の音だ。ベルリン・フィルの魅力の新発見。そして、1976年にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団から歩み寄り、カラヤンとウィーン・フィルは縒りを戻します。カラヤンは1977年から続々『歴史的名演』を出し続けました。この時期はレコード業界の黄金期、未だ褪せぬクラシック・カタログの最高峰ともいうべきオペラ・シリーズを形作っています。カラヤンのレコードでは、芸術という大目的の下で「人間味」と「完璧さ」という相反する引き合いが、素晴らしい相乗効果を上げる光景を目の当たりにすることができる。重厚な弦・管による和声の美しさ、フォルティシモの音圧といった機械的なアンサンブルの長所と、カラヤン個人の感情や計算から解き放たれた音楽でもって、音場空間を霊的な力が支配しており、聴き手を非現実の大河へと導く。
7(EP)インチと12(30㌢㍍)インチのレコードの間に10インチ(25㌢㍍)盤と呼ばれるレコードがあります。収録分数は12インチより少なく、片面15分程。中途半端なサイズと言えますが、何故故このレコードがかつて存在したのでしょう。78回転SP盤の名残で10インチレコードは、かつて使われていたS盤と同じサイズです。10インチLPレコード、クラシックファンは「トーインチ」と呼び、ジャズファンは「テンインチ」と呼ぶようですが、所謂30センチLPレコードが世に出る前に登場した25センチLPレコードです。リリース年月日は1950年代から1960年代前半まで発売されていたようです。クラシックにしろジャズにしろ、30センチLPの中には25センチLPで出ていたモノを編集仕直して発売されたモノがあり、そうすると25センチLPの方がオリジナル初出盤という事になります。10インチがオリジナルで12インチサイズのLPは後発の編集盤というケースも少なくなく、また其の儘10インチ盤だけで発売を終えた盤も多くレア盤多数存在するのでコレクターは血眼になります。
  • Record Karte
  • ブラームス:ハンガリー舞曲集 第5番ト短調、第6番ニ長調、第17番嬰へ短調、第3番ヘ長調、第1番ト短調、第20番ホ短調、第19番ロ短調、第18番ニ長調。1959年9月ベルリン、イエス・キリスト教会での録音。1962年2月リリース。ALLE HERSTELLER12インチ盤で全曲再発されましたので本10インチ盤は貴重。
  • DE DGG SLPE133 223 カラヤン・ベルリンフィル ブラ…
  • DE DGG SLPE133 223 カラヤン・ベルリンフィル ブラ…
ブラームス:ハンガリー舞曲集&ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集、他
カラヤン(ヘルベルト・フォン),ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ユニバーサル ミュージック クラシック
2012-05-09

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