34-21259

商品番号 34-21259

通販レコード→独チューリップ ALLE HERSTELLER 盤

小品らしい明るさと、対照的な夜のような陰影を取り入れながら、より繊細な表情が素晴らしい ― モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は、SP録音のブルーノ・ワルター盤を超えるものは少ないが、1974年のカール・ベーム指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団盤は「ああ、ウィーン・フィル!」という美しい演奏に間違いない。しかし、同じ指揮者とは思えないズシリと腹にこたえる演奏がある。1956年のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』は、一聴して分かる重量級の響き。これがこの当時のベルリン・フィルのすごさか。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが死んで2年後。この演奏に彼の影を見ることもできる。モーツァルトらしいかどうか、それはモーツァルトの音楽に求めているものが聞き手それぞれだからなのだけれども、この演奏は鳥肌もの。しかしこの曲を作ったのは、モーツァルトの人生が大きく揺れ動いたとき。彼の心と体をずっと呪縛していた父レオポルドが死んだ2ヶ月後。このときを境にモーツァルトは一気に転落する。自らそう望んだかのように。だからこそこの曲の演奏は、限りない美しさを表面に湛えながら、どこかデモーニッシュでどこか薄暗い思いを抱いている演奏があってもいいが、なかなかそんな複雑な演奏には出会えない。フルトヴェングラーのモーツァルトは録音が少ないが、『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』は、戦前のベルリン・フィルと戦後のウィーン・フィルとの録音で楽しめる。ワルターの録音も1936年12月だから、ウィーン・フィルを専属していた英EMIにドイツ・グラモフォンがベルリン・フィルで競合したのかもしれないが、あらためてワルター盤を聴き比べてみると、基本テンポがよく似ていることが、とくにウィーン・フィルとの録音でわかる。モーツァルトを演奏するウィーン・フィルのプライドは相当なものだと想像できる。両雄でさえも、自分のやりたいことをウィーン・フィルに完全に求めることはできなかったのではないだろうか。そこで、自分のやりたいことを押しつけずに、協力する姿勢でウィーン・フィルの素晴らしさを生かすために、取り組んだであろう。何度も演奏してきた名曲といえども妥協しないで丁寧に愛情を込めて演奏をしたのが伝わってくる。ベルリン・フィルの演奏は強弱がはっきりとしている。当時からベルリン・フィルの演奏は、とても繊細な弱音の表現が上手で、より作品自身の要求に応えた演奏だ。例えば、フォルテにしても色々な表情と音量があり、その力強い表現に至る過程が、微妙なテンポの変化と組み合わさった結果、より自然な流れを獲得している。小品らしい明るさと、対照的な夜のような陰影を演奏に取り入れながら、より繊細に楽譜が求める表情が素晴らしいベルリン・フィルの演奏は、フルトヴェングラーの全録音を見渡しても、完成度は、かなり高い。音質も実に潤沢、透明である。弦楽だけ、しかも編成もいくぶん小さめなのであろう、当時のマイクロフォンにも無理なく収まっている。戦前録音の白眉の一つだ。全曲を通して、曲の構成に合わせた絶妙なテンポのコントロールが素晴らしい。少し長目に伸ばされた最後の響きの豊かな和音を聞き終えると、素晴らしい音楽を聴いた満足感に浸ることができる。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラーは自身の著書「音と言葉」のなかで、ベートーヴェンの音楽についてこのように語っています。『ベートーヴェンは古典形式の作曲家ですが、恐るべき内容の緊迫が形式的な構造の厳しさを要求しています。その生命にあふれた内心の経過が、もし演奏家によって、その演奏の度ごとに新しく体験され、情感によって感動されなかったならば、そこに杓子定規的な「演奏ずれ」のした印象が出てきて「弾き疲れ」のしたものみたいになります。形式そのものが最も重要であるかのような印象を与え、ベートーヴェンはただの「古典の作曲家」になってしまいます。』その思いを伝えようとしている。伝え方がフルトヴェングラーは演奏会場の聴衆であり、ラジオ放送の向こうにある聴き手や、レコードを通して聴かせることを念頭に置いたヘルベルト・フォン・カラヤンとの違いでしょう。その音楽を探求するためには、ナチスドイツから自身の音楽を実体化させるに必要な楽団を守ることに全力を取られた。そういう遠回りの中でベートーヴェンだけが残った。やはりフルトヴェングラーに最も適しているのはベートーヴェンの音楽だと思います。カラヤンとは異世界感のシロモノで、抗わずに全身全霊を込めて暖かい弦楽器が歌心一杯に歌い上げた演奏で感動的である。フルトヴェングラーの音楽を讃えて、「音楽の二元論についての非常に明確な観念が彼にはあった。感情的な関与を抑制しなくても、構造をあきらかにしてみせることができた。彼の演奏は、明晰とはなにか硬直したことであるはずだと思っている人がきくと、はじめは明晰に造形されていないように感じる。推移の達人であるフルトヴェングラーは逆に、弦の主題をそれとわからぬぐらい遅らせて強調するとか、すべてが展開を経験したのだから、再現部は提示部とまったく変えて形造るというような、だれもしないことをする。彼の演奏には全体の関連から断ち切られた部分はなく、すべてが有機的に感じられる。」とバレンボイムの言葉を確信しました。これが没後半世紀を経て今尚、エンスーなファンが存在する所以でしょう。
  • Record Karte
  • LPM18 960 A
    1. モーツァルト:序曲「フィガロの結婚」
    2. モーツァルト:序曲「後宮からの誘拐」
    3. リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
    LPM18 960 B
    1. リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
    2. モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク 1936年11月30日、12月22日、1937年7月7日ベルリン、ベルリン高等音楽院講堂 ポリドール・スタジオ録音
  • DE DGG LPM18 960 フルトヴェングラー モーツァルト&…
  • DE DGG LPM18 960 フルトヴェングラー モーツァルト&…
R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」OP.20
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ポリドール
1997-08-06