34-5071

商品番号 34-5071

通販レコード→独チューリップ ALLE HERSTELLER 盤

ブラームス、ワーグナー、レーガーといったドイツの伝統に沿った雰囲気が感じられ、現代的な響きも垣間見えるところが、興味深い秀作。 ― 戦前、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やウィーン・フィルハーモニー管弦楽団をヨーロッパの主要都市で演奏させたのは、ナチスの政策の悪いイメージをカモフラージュするためであった。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーらはそれに利用されたのですが、フルトヴェングラーは戦後、シカゴ交響楽団から指揮するよう打診され、最初は断っていたものの度重なる要請に折れて指揮することを決めますが、ウラディーミル・ホロヴィッツ、ヤッシャ・ハイフェッツ、アルトゥール・ルービンシュタイン、アルトゥーロ・トスカニーニらの反対運動により、フルトヴェングラーはシカゴ響との契約を破棄し、常任指揮者就任の話は破談になってしまいます。この決定は擁護にまわっていたブルーノ・ワルターやラファエル・クーベリック、ユーディ・メニューインらを落胆させますが、当時は戦後間もない時期だったため、非ナチ化裁判で無罪判決の結果があったとはいえ仕方なかったことなのかも知れません。その少し前、戦争末期の1945年2月にスイスに亡命したフルトヴェングラーは、スイス・ロマンド管弦楽団やヴィンタートゥール市立管弦楽団を指揮していますが、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団などいくつかの演奏会では、市民の反対運動や議会の反対で指揮することができませんでした。そうした出来事の疲労もあってか、フルトヴェングラーはモントルー近くのクラランの病院で療養することとなり、そこで作曲に集中的に取り組んだのがこの《交響曲第2番ホ短調》です。完成は10月18日ですが、その間、5月にはドイツが降伏し、フルトヴェングラー自身も連合国側から演奏禁止処分を受けるなど紆余曲折があり、そうした諸々のつらい出来事が作品に影を落としているのかもしれません。無調の音楽を嫌っていたフルトヴェングラーは、調性のあるソナタ形式の作品を書いた。曲はシリアスで悲劇的な雰囲気で、大がかりで主題や動機の展開と循環的な使用などにも凝っており、長大であるうえに、オーケストレーションも三管編成の手の込んだものとなっているだけに、確かに、このような長い深刻な曲は気軽に聴けるものではないし、何かと戦っている風だったり、ロマンティックな部分は19世紀的かもしれないが、フルトヴェングラーの優しい人柄を感じさせる音楽である。かつては駄作の一言で片付けられていた時代もありましたが、聴衆も成長し、今や着目すべき20世紀のシンフォニストとして復権を果たしたと言えそうです。本盤は、戦後最初のベルリン・フィルとの録音です。
先輩格のアルトゥール・ニキッシュ(Nikisch Artúr)から習得したという指揮棒の動きによっていかにオーケストラの響きや音色が変わるかという明確な確信の元、自分の理想の響きをオーケストラから引き出すことに成功していったヴィルヘルム・フルトヴェングラーは、次第にそのデモーニッシュな表現が聴衆を圧倒する。当然、彼の指揮するオペラや協奏曲もあたかも一大交響曲の様であることや、テンポが大きく変動することを疑問に思う聴衆もいたが、所詮、こうした指揮法はフルトヴェングラーの長所、特徴の裏返しみたいなもので一般的な凡庸指揮者とカテゴリーを異にするフルトヴェングラーのキャラクタとして不動のものとなっている。作曲家でもあったフルトヴェングラーの作風は、フルトヴェングラー自身が伝統的なレパートリーを好む指揮者だったこともあり、ブルックナーやブラームス、レーガーにリヒャルト・シュトラウスといった先人達の作品にもどこか通じる後期ロマン派風な雰囲気が感じられるものとなっています。《交響曲第2番ホ短調》は、ドイツの敗戦が決定的だった時期に書き始められ、祖国の降伏と自身の演奏禁止処分という重い出来事の果てに完成したこともあってか、大規模交響曲の堂々たる構築の中にどこか悲痛な美しさを湛えているのが印象的。第1楽章は序奏付きのソナタ形式的楽章で、第2楽章は緩徐楽章、第3楽章はスケルツォ楽章、第4楽章は序奏付きのソナタ形式的楽章という感じで、無調の音楽を嫌っていたフルトヴェングラーは、調性のあるソナタ形式の作品を書いた。その結果、1時間15分程度の長さになり、ブルックナー、マーラー級ですが、素材や構造は比較的はっきりしているので、長大な交響曲もOKのファンには受け入れられやすいものと思われます。1948年2月22日にアドミラル・パラストで、フルトヴェングラー自身の指揮によるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で行われた初演は聴衆に熱狂的に受け入れられ、演奏後の拍手は15分以上続いたという。フルトヴェングラーはこの作品に愛着があったようで、戦後の指揮活動再開後は各地でとりあげており、録音が遺されているものだけでも、ベルリン・フィル、ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団、ヘッセン放送交響楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、南ドイツ放送交響楽団とかなりの数にのぼり、作曲者自身の解釈を知るためには十分な状況ともいえます。戦後になって、スタジオ録音されたベルリン・フィルとのフルトヴェングラーの演奏は次の通り。
1951年
  • 11月22日〜12月4日ベルリン、イエス・キリスト教会 DGGスタジオ録音・フルトヴェングラー:交響曲第2番
  • 11月27、28日、12月2、4日ベルリン、イエス・キリスト教会 DGGスタジオ録音・シューベルト:交響曲第9番『グレイト』
  • 12月4、6日ベルリン、イエス・キリスト教会 DGGスタジオ録音・ハイドン:交響曲第88番『V字』
1952年
  • 5月26日ベルリン、イエス・キリスト教会 EMIスタジオ録音・メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 メニューイン(Vn)
1953年
  • 5月14日ベルリン、イエス・キリスト教会 DGGスタジオ録音・シューマン:交響曲第4番 1954年
  • 4月3〜5日ベルリン、ベルリン高等音楽院  EMIスタジオ録音・ベートーヴェン:『レオノーレ』序曲 第2番
英EMIとのレコーディング契約が1951年9月に切れた後、1952年3月までEMIとは新たな契約を結ばなかったが、その契約切れの間に、ドイツ・グラモフォン(DGG)が、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー自身の「交響曲第2番」を録音することを条件に、シューベルトのハ長調交響曲『グレイト』とシューマンの交響曲第4番をレコーディングすることで合意したということだが、戦後のスタジオ録音として一般に評価の高い2曲が、録音されれずに聴けなかった可能性もあることも考え合わせると、作曲家としての代表作である自作の交響曲が、最初の録音作品に選ばれているのが興味深い。〈主題による降霊術〉〈ぞっとするような時代錯誤〉 ― 当時の新聞では、こう書かれています。でもオーケストラは、彼のことをよく知っていたから理解したの。エリーザベト・フルトヴェングラー夫人が回想している。さらに、ヴァルター・リーツラーの批評からここにはなんという悲劇の深淵がのぞいていることだろう。なんという悲痛と情熱のパトスが、なんという昂揚と瓦解の重みがひしめき、迫ってくることだろう。この音楽を前にして、<訴える力>に疑いをさしはさむなど不可能だ―実際その力を素直に受け容れるなら、形式上の構想力の大きさも否応なしに認めずにはいられない。を引用して、フルトヴェングラーの作曲は、批評家たちの言うように、〝時代遅れ〟の一言で片づけられるべきではありません。それは、聴く者に強く訴えてくる、仮借のない音楽なのです。事実、人をおびえさせることもしばしばです。と解説している。エリーザベト夫人によると、1953年は、フルトヴェングラーにとって嬉しい年で、ドイツの6つの都市に招かれて、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と一緒に、「交響曲第2番」を演奏したという。プログラムの2曲目はベートーヴェンの交響曲第1番だった。チケットはいつも売れ切れで大成功だったという。ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」が、代わりに成っていた可能性もあるが、フルトヴェングラーは長い間「ミサ・ソレムニス」に没頭し、熟知し、暗譜したけど、この中に隠されているものを引っ張り出すことができなかったと、こぼしている。このテキストに馴染めなかったのか、そうしてフルトヴェングラーが表現したかったイメージとして「交響曲第2番」を作曲したという。エリーザベト夫人はこの曲はまさしく彼そのものだった。もちろん私は心を奪われたわ。彼の方向性にはいつも賛成だった。と興奮を隠さない。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラーは自身の著書「音と言葉」のなかで、ベートーヴェンの音楽についてこのように語っています。『ベートーヴェンは古典形式の作曲家ですが、恐るべき内容の緊迫が形式的な構造の厳しさを要求しています。その生命にあふれた内心の経過が、もし演奏家によって、その演奏の度ごとに新しく体験され、情感によって感動されなかったならば、そこに杓子定規的な「演奏ずれ」のした印象が出てきて「弾き疲れ」のしたものみたいになります。形式そのものが最も重要であるかのような印象を与え、ベートーヴェンはただの「古典の作曲家」になってしまいます。』その思いを伝えようとしている。伝え方がフルトヴェングラーは演奏会場の聴衆であり、ラジオ放送の向こうにある聴き手や、レコードを通して聴かせることを念頭に置いたヘルベルト・フォン・カラヤンとの違いでしょう。その音楽を探求するためには、ナチスドイツから自身の音楽を実体化させるに必要な楽団を守ることに全力を取られた。そういう遠回りの中でベートーヴェンだけが残った。やはりフルトヴェングラーに最も適しているのはベートーヴェンの音楽だと思います。カラヤンとは異世界感のシロモノで、抗わずに全身全霊を込めて暖かい弦楽器が歌心一杯に歌い上げた演奏で感動的である。フルトヴェングラーの音楽を讃えて、「音楽の二元論についての非常に明確な観念が彼にはあった。感情的な関与を抑制しなくても、構造をあきらかにしてみせることができた。彼の演奏は、明晰とはなにか硬直したことであるはずだと思っている人がきくと、はじめは明晰に造形されていないように感じる。推移の達人であるフルトヴェングラーは逆に、弦の主題をそれとわからぬぐらい遅らせて強調するとか、すべてが展開を経験したのだから、再現部は提示部とまったく変えて形造るというような、だれもしないことをする。彼の演奏には全体の関連から断ち切られた部分はなく、すべてが有機的に感じられる。」とバレンボイムの言葉を確信しました。これが没後半世紀を経て今尚、エンスーなファンが存在する所以でしょう。
  • Record Karte
  • 1951年11月22日〜12月4日ベルリン、イエス・キリスト教会 DGGスタジオ録音、2枚組。
  • DE DGG LPM18 114-5 フルトヴェングラー 自作・交響…
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