34-17282

商品番号 34-17282

通販レコード→独ライト・オレンジ黒文字盤[STEREO DIGITAL]

指揮者やオーケストラとすぐに息が合うなんて滅多にないことだ。しかし、ここではそれが起きた。 ― プラシド・ドミンゴ自身も語ったほど、絶好調のドミンゴを聴くことができます。このアルバムでの名コラボレーションぶりは見事でした。カルロ・マリア・ジュリーニの指揮がまたいい。ジュリーニは1998年に引退、その後2005年に逝去しましたが、今なお、ファンはもとより世界的に活躍する音楽家たちから尊敬され続けている大指揮者。ジュリーニと言えば、最晩年のゆったりとしたテンポによる巨匠風の名演の数々のイメージが強いために、温厚篤実な演奏をする指揮者との印象を持たれがちであるが、劇場たたき上げの指揮者で、若くしてミラノ・スカラ座の音楽監督に就任したことからもわかるように、オペラでも卓抜なる才能を発揮したことは周知のところ。若き日はスカラ座でヴェルディのオペラを得意とした凄まじいまでの迫力溢れる豪演の数々を行っていた。オペラ指揮者としてだけでなくコンサート指揮者としての評価も高い。お定まりの〝スッタカ・タッタ〟の伴奏形も弾き飛ばすことなく丁寧に演奏しているし、ドニゼッティの歌劇「愛の妙薬」の前奏のファゴット・ソロなどは心に沁みます。一曲一曲に、真摯に愛情を持って音楽に取り組んでいる姿勢が犇々と伝わってきます。本盤は、ドミンゴが1980年にジュリーニと録音したフランスとイタリアの名オペラ・アリア集。ドニゼッティ、ヴェルディ、アレヴィ、マイアベーア、ビゼーら、19世紀に活躍した作曲家の作品を集めています。ヴェルディの歌劇「アイーダ」での燦然と輝く最後のB音、テノール殺しとされるビゼーの歌劇「真珠とり」の胸声による強靭なカンタービレなど、ただただ感心するばかりです。数多くの実力派が育っている現在、今なおオペラ歌手として世界で最も一般に有名なのは間違いなくドミンゴでしょう。持ち前の美声と優れた歌唱表現、凛々しいヴィジュアルなどを併せ持ったドミンゴは、ソリストとしてはもとより、3大テノールのひとりとしても世界中から愛されるだけでなく、指揮者としても活躍の場を拡げたり、ワシントン・ナショナル・オペラやロサンジェルス・オペラの芸術監督も務めるなど、多彩な活動を繰り広げています。また、1993年からはオペラリア(プラシド・ドミンゴ国際オペラ・コンクール)というオペラ歌手のコンクールを開催し、若い才能にチャンスを与えることに熱心なことでも知られています。ニーナ・シュティンメやブライアン・アサワ、ホセ・クーラ、森麻季、ロランド・ビリャソンらがここから巣立っています。
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オペラ界においては、陰翳をたたえた美声、充実した中音域、卓越した演技力、すぐれた歌唱技術によって、世界各国において幅広い人気と高い評価を得ているプラシド・ドミンゴ、パヴァロッティの後、声に芯のあるテノールは出てこないのでしょうか。ドミンゴは、スペインのマドリード生まれ。両親はサルスエラ歌手。1949年、サルスエラ劇団を経営する家族とともにメキシコに移住、両親の一座で子役として舞台に立っていた。若くしてバリトン歌手としてキャリアをスタートした後、テノーレ・リリコ(叙情的な声質のテノール歌手)に転向したが、元来はより重いリリコ・スピントの声質だった。ドミンゴはバリトン出身だけにテノールの聞かせどころの最高音域は不安定であるが、美声と洗練された歌い口でオペラ通や批評家をうならせたのだった。特筆すべき多様性をもつ歌手であり、ヴェルディ、プッチーニなどのイタリア・オペラ、フランス・オペラ(『ファウスト』、『サムソンとデリラ』など)、ワーグナーなどのドイツ・オペラと広汎な演目をレパートリーとしている。その陰翳を帯びた声質と自在な表現力を生かして、30歳代で数あるテノールの役の中でも特に重厚な歌唱を要するオテロもレパートリーに加えた。ドミンゴのオテロは彼の世代の第一人者と見なされている。そして、3大テノールでドイツ・オペラに積極的なのは彼一人だけである。1968年には西ドイツのハンブルクでローエングリンを歌ってワーグナー作品にも進出したが、声帯障害を引き起こしてしまう。同年、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場にチレア作曲「アドリアーナ・ルクヴルール」マウリツィオ役でのデビューが決定、リハーサルを行っていたドミンゴだったが、同役を演じていたスター歌手フランコ・コレッリが突然出演をキャンセルしたため、劇場は代役をドミンゴに依頼、隙かさず劇場に駆けつけてマウリツィオを演じたドミンゴは、思いがけず数日早まったメトロポリタン・デビューを成功させる。また、1969年にはエルナーニでミラノ・スカラ座、1971年にはカヴァラドッシを歌ってロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスにデビューし、世界的な名声を確立した。またドミンゴは、ロマンチックなオペラのヒーローに相応しい、端正な顔立ちと高身長にも恵まれている。『愛の妙薬』のネモリーノのような軽いレパートリーにおいても、リリックに柔らかに歌う発声と演技力により評判になった。しかし、声が成熟して重みと厚みを増すに従いワーグナーの諸役も無理なく歌えるようになり、徐々に彼の主要なレパートリーとなっていく。また伊仏独の多くのオペラに加え英語の新作オペラやオペレッタの英語版まで歌い、のみならずロシア語オペラの『エフゲニー・オネーギン』や『スペードの女王』を原語で歌うなど、語学能力も高い。ドミンゴのレコード&CD録音は、オペラ全曲盤、オペラ・アリア集、ポピュラーソング集など膨大な数にのぼる。RCA、EMI、ドイツ・グラモフォン、デッカ、ソニークラシカルなど多くのレコードレーベルで録音を行っており、長年デッカと専属契約を結んでいたパヴァロッティとはこの点でも対照的である。ドミンゴはヴェルディのテノール向けのアリアを、ヴェルディが上演国に合わせてそれぞれの言語で作曲したオリジナル版からの複数版を含めて全数収録したCDセットを録音し、批評家からも概ね好意的な評価を得ている。近年は再びバリトン歌手として活動しており、『シモン・ボッカネグラ』の題名役や『椿姫』のジェルモン役で高評価を得ている。
Side-A
  1. ドニゼッティ・歌劇『愛の妙薬』~人知れぬ涙
  2. ドニゼッティ・歌劇『ルチア』~わが祖先の墓よ
  3. ヴェルディ・歌劇『エルナーニ』~萎れた花に降りた露のようにああ私の心
  4. ヴェルディ・歌劇『トロヴァトーレ』~ああ、あなたこそ私の恋人
  5. ヴェルディ・歌劇『トロヴァトーレ』~見よ、恐しい火を
Side-B
  1. ヴェルディ・歌劇『アイーダ』~清きアイーダ
  2. アレヴィ・歌劇『ユダヤの女』~ラケルよ、主の恵みにより
  3. マイアベーア・歌劇『アフリカの女』~おおパラダイス
  4. ビゼー・歌劇『真珠採り』~耳の残るきみの歌声
  5. ビゼー・歌劇『カルメン』~花の歌「おまえが投げたこの花は」
カルロ・マリア・ジュリーニ(1914〜2005)は、2005年に91歳で亡くなったイタリアの指揮者。イタリアのボルツァーノ出身、オペラ、そしてシンフォニー・オーケストラの指揮者として、古典派からロマン派まで、そしてドイツ、イタリア、フランス、スペインなどあらゆる音楽での名指揮者として活躍。39歳で名門ミラノ・スカラ座の音楽監督に就任する。英コロンビア(EMI)が歴史のある大手レコード会社とはいえ天のサイコロがピタリと目を出した奇跡。それとも運命のイタズラかフィルハーモニア管弦楽団との良好な関係を構築したかに見えたヘルベルト・フォン・カラヤンは、1955年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任してしまい、その後期待されたグィド・カンテルリが1956年に航空事故で急死。1955年からロンドンでフィルハーモニア管との録音を開始していたジュリーニは、1958年にはロイヤル・オペラ100周年記念上演をルキノ・ヴィスコンティの演出によるヴェルディの歌劇『ドン・カルロ』で指揮して評判を得ていました。1959年にはオットー・クレンペラーはフィルハーモニア管の常任指揮者(後に終身)に就任し、多くの演奏・録音を残すのはレコード・ファンの知るところ。この1959年にジュリーニはクレンペラーがキャンセルしたモーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』と『フィガロの結婚』の録音セッションの指揮を任されることとなります。この折、クレンペラーは実演の『ドン・ジョヴァンニ』演奏会形式上演もキャンセルし、そちらは若きコリン・デイヴィスが代役を務めて一躍その名を高めることとなります。日本での評価の高まりは欧米より遅くなりましたが、今なおその録音は世界的に評価を受けています。
1980年11月ロサンジェルスにてデジタル録音。Engineer – Hans-Peter Schweigmann, Executive Producer – Günther Breest, Producer – Hans Weber.
DE  DGG  725 051 ジュリーニ&ドミンゴ ドニ…
DE  DGG  725 051 ジュリーニ&ドミンゴ ドニ…