DE DGG 423 287-1 ウラジーミル・ホロヴィッツ カルロ・マリア・ジュリーニ スカラ座管 モーツァルト ピアノ協奏曲23番・ピアノ奏鳴曲KV333
CD時代にはいりプレス部数の少ないレアLP。 ― そしてこのCDは1989年度の米グラミー賞を受賞している。大胆な解釈のモーツァルトで新鮮さがある。これを聴くと他で聴く演奏がどれも大人しく感じてしまう。カルロ・マリア・ジュリーニと言えば、最晩年のゆったりとしたテンポによる巨匠風の名演の数々のイメージが強いために、温厚篤実な演奏をする指揮者との印象を持たれがちであるが、劇場たたき上げの指揮者で、ミラノ・スカラ座でヴェルディのオペラを得意とした若き日、特に1960年代の演奏は、凄まじいまでの迫力溢れる豪演の数々を行っていた。オペラ指揮者としてだけでなくコンサート指揮者としての評価も高い。ヴラディーミル・ホロヴィッツが亡くなる2年前にジュリーニ&ミラノ・スカラ座管弦楽団と残したモーツァルト録音。本盤でも、そうしたイタリア・オペラを得意としたジュリーニならではの歌謡性豊かな指揮と若き日の生命力溢れる力強い指揮が見事にマッチングして、いい意味でのバランスのとれた至高の名演を成し遂げるのに成功している。モーツァルトのピアノ協奏曲の正規録音を、ほとんど残さなかったことで有名なホロヴィッツ渾身の一枚。パブロ・カザルス曰く。モーツァルトをショパンのように、ショパンをモーツァルトのように。 ― Mozart like Chopin, Chopin like Mozart.この言葉をホロヴィッツもカザルスからきいていたらしく、〝モーツァルトを弾くのはどうか〟とインタビューで問われて、モーツァルトとショパンの類似項の例えとしてピアノを弾く時の左手の役割に言及しています。モーツァルトは、父親への手紙僕が常にタクトを正確に守っていることに、みんな感心しています。あの人たちは、左手が右手に引きずられるのです。と書き送っています。そしてショパンは弟子に、左手は指揮者なのだから、決してよろけたり浮き足立ったりしないように。やりたいこと、できることは右手でやればいいのだ。と指導している。ショパンがモーツァルトを敬愛していたのかどうかは知らないが、ホロヴィッツが奏でたモーツァルトのピアノ協奏曲第23番は、ショパンのピアノ曲を弾くようだ。ホロヴィッツは左手の低音が、モーツァルトの音楽演奏における和声の重要な道標だと見做しているので容赦なく左手を鳴らします。オーケストラに構い無く弾き捲くるホロヴィッツとそれに合わせようとするジュリーニの掛け合いが魅力で、ソナタもだれにも気兼ねなく、自分の好きなように奏でて味がある。収録風景の映像があり、表情からホロヴィッツの意図と満足感が伝わります。モーツァルトを知るための厳選10曲の1曲。モーツァルトが生涯に800曲ほどを作曲して『レクイエム』作曲中に若くして死んだことは知られるが、その実、劇場やコンサート、レコードでのレパートリーは限られている。モーツァルトは27のピアノ協奏曲を作曲しているが、20番台はどれも素晴らしい曲ばかりで、23番では本盤こそ私のベストチョイスです。シチリアーノのテンポもこれこそ本来の有り様か、スカラ座管のやや軽い音色の弦楽器群の響きがプラスに働き、その点、音楽の流れが生き生きとして集中が途切れない。ホロヴィッツのモーツァルトは、ショパンのような19世紀のダイナミックレンジの大きな曲を弾く技術の上に成り立ち、第1楽章の提示部のオーケストラのテンポはイメージを突き破るくらい速く、23番で格別感じられるモーツァルトの端正な美人画は、ダイナミックレンジが極めて大きく輪郭がデフォルメされ、全体のプロポーションも不気味な写楽の役者絵のように書き換えたようなものに感じられる。意図してそうしているのではなかろうが、モーツァルトの中からショパンの匂いがプンプン漂ってくる自由闊達な演奏だが、それでも手放せない不思議な魅力ある一枚だ。協奏曲のカデンツァは、ブゾーニのカデンツァを採用。結果、聴き手に仕えるためのモーツァルト演奏ではなく、弾き手が楽しむのためのモーツァルトだ。ホロヴィッツが亡くなったのは1989年、彼は1903年生まれなので、録音時は84歳であったということになる。齢八十過ぎても自然にハッタリをかませてしまうという、19世紀の香りを漂わせる最後の演奏家であった。今や両人とも鬼籍か。時は早い。
カルロ・マリア・ジュリーニ(1914〜2005)は、2005年に91歳で亡くなったイタリアの指揮者。イタリアのボルツァーノ出身、オペラ、そしてシンフォニー・オーケストラの指揮者として、古典派からロマン派まで、そしてドイツ、イタリア、フランス、スペインなどあらゆる音楽での名指揮者として活躍。39歳で名門ミラノ・スカラ座の音楽監督に就任する。英コロンビア(EMI)が歴史のある大手レコード会社とはいえ天のサイコロがピタリと目を出した奇跡。それとも運命のイタズラかフィルハーモニア管弦楽団との良好な関係を構築したかに見えたヘルベルト・フォン・カラヤンは、1955年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任してしまい、その後期待されたグィド・カンテルリが1956年に航空事故で急死。1955年からロンドンでフィルハーモニア管との録音を開始していたジュリーニは、1958年にはロイヤル・オペラ100周年記念上演をルキノ・ヴィスコンティの演出によるヴェルディの歌劇『ドン・カルロ』で指揮して評判を得ていました。1959年にはオットー・クレンペラーはフィルハーモニア管の常任指揮者(後に終身)に就任し、多くの演奏・録音を残すのはレコード・ファンの知るところ。この1959年にジュリーニはクレンペラーがキャンセルしたモーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』と『フィガロの結婚』の録音セッションの指揮を任されることとなります。この折、クレンペラーは実演の『ドン・ジョヴァンニ』演奏会形式上演もキャンセルし、そちらは若きコリン・デイヴィスが代役を務めて一躍その名を高めることとなります。日本での評価の高まりは欧米より遅くなりましたが、今なおその録音は世界的に評価を受けています。
1987年3月ミラノにて録音。
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