34-20205
舞台の生命と活力をそのまま音楽の演奏の中にもたらしている。 ― 3種あるカール・ベームの「コジ・ファン・トゥッテ」の録音中、最後の録音が一番良い。堂々と恰幅が大きく、美しい。ライヴならではの自由度の高さもあり、時折見られる緊張感の欠如やリズムの硬直を払拭して余りある魅力に満ちている。1974年のザルツブルク音楽祭のライヴ録音は、ライヴ録音らしく舞台上の音、足音やら客席の雑音も混じっていますが、演奏もやや力が抜けた印象で、演出やウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のおかげもあってこういう演奏が出来上がった。歌手陣が様式をはみ出したり、アンサンブルを壊さない様に注意を払い、ベームはオーケストラや歌手の自発性を尊重しつつ全体を大きくまとめている。ペーター・シュライアーのフェルランドとヘルマン・プライのグリエルモは最高だ。ローランド・パネライのドン・アルフォンソも老獪さが感じられ、悪くない。女声陣ではレリ・グリストのデスピーナが流石である。アンサンブル・オペラと呼ばれてきたこのオペラで一番面白く、活き活きと描かれているのは悪巧みを知っているデスピーナで、歌も面白いアリアがあり、姉妹の性格もよく承知しているのでデスピーナこそ、この物語の主役と考えるなら女声版レポレロと見做される存在です。グンドゥラ・ヤノヴィッツとブリギッテ・ファスベンダーの姉妹役も水準以上である。こうした独唱者のアンサンブルの妙は、歌手陣達がかなり自由に表現を行っていて登場人物のキャラクターの魅力も出ているところにある。ナポリ国王の命令で戦場に行くことになった青年士官フェルランドとグリエルモは、老哲学者ドン・アルフォンソの「女は必ず心変わりする」との主張に対して、「自分たちの恋人に限ってそんなことはない」と言い争う。そこでお互いの恋人を入れ替えて、女達を試そうと目論む。港に船が着き、兵士たちが出発する。航海の無事を祈るフィオルディリージとドラベッラの姉妹のもとに、変装したフェルランドとグリエルモが現れ、フェルナンドはフィオルディリージに求婚し、グリエルモはドラベッラに求婚する。姉妹の女中デスピーナは、「男はほかにもいるでしょう」と姉妹を炊きつける。モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」第1幕第7番 ― スザンナ、バジリオ、アルマヴィーヴァ伯爵の三重唱で、テーブルかけを持ち上げると隠れていたケルビーノが出てきて、伯爵が「こりゃ何たることじゃ!」とびっくり、はたしてスザンナは「ああ、どうしましょう。神のおぼしめしに任せましょう」と腹をくくると、すかさずバジリオが「女はみんなこうしたもの(Così fan tutte)。とりたてて珍しいことではござらぬ」と言い捨てる。「コジ・ファン・トゥッテ」は、このバジリオの言葉を題名にした喜劇です。このような一見ナンセンスとも言える題名と喜劇のせいで、19世紀には大分低俗な歌劇と見られていたそうです。でも、モーツァルトのオペラ作品全てが素晴らしい古典作品となっていますが、これはダ・ポンテの台本にモーツァルトが作曲した三部作だけに、前作からの引用も容易であったと推測しています。その「コジ・ファン・トゥッテ」の中に「ドン・ ジョヴァンニ」を見出し、更に「ドン・ジョヴァンニ」の中に「フィガロの結婚」を見出した訳ですから、モーツァルトのオペラの原点は「コジ・ファン・トゥッテ」にあるというのが私の持論で、「コジ・ファン・トゥッテ」こそモーツァルトのオペラ作品の最高峰であると確信しています。登場人物の数が少なく、しかもそれが一対ずつの組に分けられているために、それぞれが特徴あるアンサンブルとなっており、このオペラ独特の美しさは、このアンサンブルによるものだと思います。
カール・ベームが20世紀のオペラ上演史において、この歌劇で刻んで来た伝説の数々はあまりに有名だ。才気煥発だが敵の多かったダ・ポンテだったが、幸運な事に台本はモーツァルトが最も高く評価し、台本作家と劇の内容も皇帝ヨーゼフ2世が指名した。題材もまたウィーン社交界で実際にあった男女間のスキャンダル、という事で日常的な人間を描く事によって本質を暴きだすというモーツァルトの趣向にはぴったりの内容だった。時代は移り、台本重視の19世紀、この歌劇には手ひどい攻撃が加えられ続けた。モーツァルトを生涯尊敬し続けたベートーヴェンですら、この歌劇の台本の低俗さが許せず、従って歌劇そのものの価値を認めなかった。ワーグナーも「優れた台本なくして優れたオペラは有り得ない」という持論から、この歌劇を弾劾した。彼等にとって、高いテーマを有する台本こそが優れた台本なのであり、恋人が入れ替わっても、待女が変装してもわからない女たちが、あまりにコロリと騙されてしまう台本の陳腐さはモーツァルトの音楽を最大限に活かす為、ダ・ポンテが台本をキャラクター・メイクも含めて極限迄様式化したのだという事には思い至らなかった。しかし、優れたアンサンブルを整える事が出来れば、その瞬間、この歌劇は極上のブッファになるのだという事を、マーラーやリヒャルト・シュトラウスが証明した。そして、ブルーノ・ワルターやリヒャルト・シュトラウスを師に持つ大指揮者ベームによって、この歌劇は現在の地位を得る事が出来たのである。その最大の特徴は矢張りアンサンブルにあり、ベームによってこの歌劇の真価が世界的に認められる様になった。グンドゥラ・ヤノヴィッツ、ブリギッテ・ファスベンダー、ヘルマン・プライ、ペーター・シュライアーら二組のアベックの主役たちに、レリ・グリストとローランド・パネライ。1960~70年代にモーツァルトを上演するなら真っ先に思い浮かんだ理想的なキャスト。今こうして名前をみているだけでも、ため息が出ちゃうくらい。このオペラは、6人の登場人物による素晴らしいアリアが満載だが、ソロばかりでなくアンサンブルも重要で、最初の恋人同士、男同士、姉妹同士、偽りの恋人同士、それに狂言回しの2人が絡んだり、四重唱、六重唱ありと、声のハーモニーがとても大切。モーツァルトの音楽の軽やかさと天衣無為の美しさは例えようがなく魅力的。その意味では、名歌手ばかりが名を連ねればいい訳ではなく、劇場で日頃練り上げられたメンバーによるアンサンブルによるものの方が仕上がりがよいのかもしれない。そして、1960年代の厳しくかっちりしたベームの緻密な音楽と異なり、やや緩くなったのは否めないが、早めのテンポに乗って弾むように、1970年代半ば以降は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の個性も相まって愉悦と微笑みに満ちた音楽も聴かれるようになった。
流線型のヘルベルト・フォン・カラヤンや全身全霊のヴィルヘルム・フルトヴェングラーとは違う、なにか古き良きドイツ=オーストリアの雰囲気を感じられるカール・ベームの指揮。フルトヴェングラーは時の経過につれて奥深さを痛切に感じるのは聴き手として、わたしが歳を重ねたことにあるのか。今となってはベームの音楽がわからなくなっている。カラヤンを際立てるために同時代にあったのだろうか。膨大なレパートリーの印象がカラヤンにはあるが、1945年以後の音楽には関心がないと明言している。ベームのレパートリーはどうだっただろう。『現在ドイツ、オーストリアに在住する指揮者としては、フルトヴェングラー亡きあと最高のものであろう。』とカラヤンとの人気争奪戦前夜の評判だ。『その表現は的確で、強固なリズム感の上に音楽が構成されている。メロディを歌わせることもうまいが甘美に流れない。彼は人を驚かすような表現をとることは絶対にないが、曲の構成をしっかり打ち出し、それに優雅な美しさを加え、重厚で堂々たる印象をあたえる。まったくドイツ音楽の中道を行く表現で、最も信頼するにたる。レパートリーはあまり広くはないが、彼自身最も敬愛しているモーツァルトや生前親交のあったリヒャルト・シュトラウスの作品はきわめて優れている。しかしブラームス、ベートーヴェンなども最高の名演である。』これが1960年代、70年代の日本でのカラヤンか、ベームかの根っこになった批評ではないか。
モーツァルト:歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」全曲
ベーム(カール)
ユニバーサル ミュージック クラシック
2011-05-25

フィオルディリージ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ)、ドラベッラ:ブリギッテ・ファスベンダー(メゾ・ソプラノ)、グリエルモ:ヘルマン・プライ(バリトン)、フェランド:ペーター・シュライアー(テノール)、デスピーナ:レリ・グリス(ソプラノ)、ドン・アルフォンソ:ローランド・パネライ(バリトン)、1974年8月28日ザルツブルクでのライヴ録音。3枚組。
DE DGG 2740 118 ベーム&ウィーン・フィル モ…
DE DGG 2740 118 ベーム&ウィーン・フィル モ…
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