DE DGG  2720 036 クーベリック ワーグナー・ローエングリン(全曲)
通販レコード→独ブルーライン盤[オリジナル]

DE DGG 2720 036 クーベリック ワーグナー・ローエングリン(全曲)

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商品名DE DGG 2720 036 クーベリック ワーグナー・ローエングリン(全曲)

《クーベリックの清楚で無垢な表現が白鳥騎士の物語に適性を見せた ― LPレコード時代には優秀録音を誇っていた。》 特にキャストの充実ぶりで有名な録音。まず歌手が往年のスターばかりで大変感動的な歌を聞かせます。DGGの強い要請で実現した録音は入念で、レコードをつくり上げることに熱い想いを汲み取るに足る名演を展開しています。
弦の国チェコの黎明期を支えた大ヴァイオリニスト、ヤン・クーベリックを父に持つサラブレッドの音楽家ラファエル。若くして指揮者デビュー、ターリッヒと伴に30年代からチェコの楽団を支えたが、48年祖国のクーデターによる政治体制崩壊を契機に米国に亡命、1950〜53年シカゴ交響楽団の常任時代、反共産主義の反発に遭い不遇の時代と揶揄されていますが、同時期に英 EMI 社や独 DGG と契約。その DGG の強い要請で実現したのが本盤。制作陣の取り組みも入念で、録音面に於いて何とも云えないみずみずしい躍動感を引き出し、共々オペラのレコード製作に対して不偏の熱い想いを汲み取るに足る名演を展開しています。クーベリックの清楚で無垢な表現の特徴が、ことワーグナーだと聖杯を守る白鳥の騎士・ローエングリンや聖杯物語・パルジファルに適性を見せているのか、いつものクーベリック以上にスケール感のある雄大な演奏を聴かせており、目が覚めるような鮮明さと積極果敢なアプローチによって、この作品に不可欠な、透明な叙情性や沸き立つような旋律の刻みやリズム感を描き出しており、さらにはドライヴ感のある盛り上がりも素晴らしく、オーケストラも明快でキレのよい反応で指揮に応えいて、超越的な深い世界に沈滞していく事無く、有機的でしなやかな稜線を描きながら見事なアンサンブルを聴かせています。
ジェイムズ・キングのローエングリン役、ヤノヴィッツのエルザ役はそれぞれのベストと評価も高く、ジョーンズのオルトルート役も強烈、さらにスチュアートのテルラムント役、リッダーブッシュの国王役と名歌手たちが揃い、キャストの充実ぶりで有名な録音です。
ワーグナーは1813年、ドイツのライプツィヒに生まれた。彼の父親は警官だったが、ワーグナーが生まれて半年後に死んでしまい、翌年母親が、俳優であったルートヴィヒ・ガイヤーと再婚した。ワーグナーは、特別楽器演奏に秀でていたわけではなかったが、少年時代は音楽理論を、トーマス教会のカントル(合唱長)から学んでいた。これが後の彼の作曲に大きな役割を果たすことになる。23歳の時には、マグデブルクで楽長となり、ミンナ・プラーナーという女優と結婚した。1839年ワーグナー夫妻はパリに移り、貧困生活を味わった後、彼のオペラ「リエンティ」の成功で、ザクセン宮廷の楽長となった。しかし幸せは長く続かず、ドレスデンで起こった革命に参加した罪で、彼は亡命を余儀なくされる。スイスに逃れた彼は、友人の助けで作曲を続け、1864年、やっとドイツに帰国することが出来た。とはいえ、仕事もなく、彼は借金まみれになってしまった。そのときバイエルンの国王で彼の熱烈な崇拝者だったルートヴィヒ2世が救いの手を差し伸べてくれた。彼らの友情は長続きしなかったが、その後ワーグナーはスイスに居を構え、1870年リストの娘であるコジマと再婚し(ミンナは少し前に死去)、バイロイト音楽祭を開くなど世界的な名声を得た。彼のオペラはそれまで付録のようについていた台詞を音楽と一体化させるという革命的なもので、多くの作曲家に影響を与えた。しかし、第2次大戦中ナチスによって彼の作品が使用されたため、戦中戦後は正当な評価を受けることが出来なかった。
解説書付属、1971年4月、ミュンヘン、ヘラクレスザールでのセッションステレオ録音。
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