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商品名DE DGG 2720 034 ブーレーズ ワーグナー・パルジファル(全曲)

《束縛されない自由さと同時にエキサイティングで筋の通った論理的な指揮 ― クナッパーツブッシュの伝統の音とはまた違った、その明晰な響きは強烈な魅力がある。》 1970年 DGG によって制作されたパルジファル、1966年にバイロイトに登場し、新風を巻き起こした40歳代気鋭のブーレーズが作品の神秘性にとらわれることなく、ストレートで透明で力に満ちた演奏を実現しています。バイロイトでの上演と並行して録音セッション組んだと云われ、当時のオペラ録音としては第1級のサウンド・クオリティに仕上げています。歌手陣も、ジェイムズ・キング、ギネス・ジョーンズ、フランツ・クラス、トマス・スチュワート、カール・リッダーブッシュと有名どころが揃えられており、クナッパーツブッシュと同じプロダクションでありながら、その演奏時間が1時間以上違うといった強烈な魅力がある。
物語の舞台は中世。聖杯と聖槍を守護するモンサルヴァート城は今、危機的状態を迎えていた。偉大な王ティトゥレルに追放された魔法使いクリングゾールの策略により、ティトゥレルの息子アンフォルタスが魔性の女の誘惑に陥り、聖槍を奪われた挙げ句、槍で脇腹を刺され重傷を負っていた。聖杯を通じて告げられた主の予言は、「同情によりて知を得る清らかなる愚か者。われの選びたるその者を待て」である。しかし、いつまで待てばよいのだろうか。アンフォルタスは肉体と精神の苦痛のため、絶望している。アンフォルタスの痛みを和らげるために薬を持ってきた謎の女クンドリは、まだその正体を明らかにしていない。先行きの見えない日々が過ぎるばかりのある朝、老騎士グルネマンツの前に白鳥を射落とした少年が現れる。聖なる日に白鳥を殺すとは、とグルネマンツは窘めるが少年は自分の名前も過去も忘れている。グルネマンツはもしやと思い、少年を聖餐式に連れて行くが、聖杯を見ても、苦しみながら儀式を執り行うアンフォルタスを見ても少年は何の反応も示さない。グルネマンツは失望し、少年を城から追い出す。場面は変わり、モンサルヴァート城を追い出された少年が魔城に向かってくる。聖槍を手に入れたクリングゾールが住む魔法の城で、彼は次に、聖杯も我が物にしようとしている。クリングゾールはこの少年が愚かさという盾に守られた極めて危険な敵であることを見抜き、魔の花園で花の乙女たちに誘惑させる。しかし少年は動じない。そのとき、「パルジファル(清らかな愚か者の意)」と呼ぶ声がする。少年はそれが自分の名前であることを思い出す。呼んだのはクンドリだった。実は、クンドリはかつて十字架を背負ってゆくキリストを嘲笑した女だった。以来、彼女は魔性の女として、また、罪を悔いる女として、時空をさまよい、真の贖罪と救済を得なければならない身となり、いまだそれを得られずにいた。クリングゾールに利用され、アンフォルタスを誘惑したのも彼女だった。クンドリは記憶を失ったパルジファルの前歴を詳しく語って聞かせる。彼が突然姿を消したせいで、母親ヘルツェライデ(心の悩みの意)が悲しみ、傷心のあまり死んだことも。この話を聞いたパルジファルは嘆き、苦しむ。それを慰めるようにして、クンドリは彼を愛の虜にしようとするが、キスをされたとき、パルジファルの中にアンフォルタスに対する同情がはっきりと芽生え、覚醒する。覚醒を恐れていたクリングゾールはパルジファルに聖槍を投げるが、彼はクリングゾールが放った聖槍を頭上で止め、魔城を崩壊させ奪われた聖槍を取り返した。長い年月が過ぎたモンサルヴァート城の近く、春の花咲く美しい野で倒れているクンドリを、老騎士グルネマンツは見つける。そこへ聖槍を持った騎士が現れる。パルジファルはクンドリに呪いをかけられ、各地をさまよい続けていた。グルネマンツと出会ったことで、自分がようやく来るべき場所に来たことを知るパルジファル。クンドリは魔法の力を使い果たしたのだ。グルネマンツはパルジファルが手にしている、その聖槍を見て奇蹟が起こったことを知り、パルジファルこそが救世主であることを悟る。聖金曜日の奇蹟により辺りの草花はいっそう美しく見える。かつてパルジファルから肉体的に拒まれ、彼を呪ったクンドリの様子も穏やかである。過ぎた時間の中でティトゥレル王は亡くなった後で、息子アンフォルタスは、ひたすら己の死を願っているので、聖杯の覆いを取って儀式を進めることもしない。暗く重々しいモンサルヴァート城内へ、グルネマンツとクンドリに伴われて入ったパルジファルは、聖槍の先でアンフォルタスの脇腹にふれ傷を癒す。そして、「聖杯はもはや隠されているときではない」と言い、厨子を開かせる。クンドリはパルジファルを見つめながら、ゆっくりと倒れて息を引き取る。彼女の長く苦しい彷徨はこうして終わりを告げた。パルジファルは祈る者たちの上に輝く聖杯をかざし、聖杯守護の儀式を受け継ぐ。
ジェイムズ・キングのパルジファル役、ギネス・ジョーンズのクンドリー役、フランツ・クラスのグルネマンツ役を中心に、トマス・スチュワートのアンフォルタス役、カール・リッダーブッシュの国王ティトゥレル役とドナルド・マッキンタイヤのクリングゾール役と名歌手たちが揃い強烈な存在感のキャストで有名な録音は秀逸です。
ワーグナーは1813年、ドイツのライプツィヒに生まれた。彼の父親は警官だったが、ワーグナーが生まれて半年後に死んでしまい、翌年母親が、俳優であったルートヴィヒ・ガイヤーと再婚した。ワーグナーは、特別楽器演奏に秀でていたわけではなかったが、少年時代は音楽理論を、トーマス教会のカントル(合唱長)から学んでいた。これが後の彼の作曲に大きな役割を果たすことになる。23歳の時には、マグデブルクで楽長となり、ミンナ・プラーナーという女優と結婚した。1839年ワーグナー夫妻はパリに移り、貧困生活を味わった後、彼のオペラ「リエンティ」の成功で、ザクセン宮廷の楽長となった。しかし幸せは長く続かず、ドレスデンで起こった革命に参加した罪で、彼は亡命を余儀なくされる。スイスに逃れた彼は、友人の助けで作曲を続け、1864年、やっとドイツに帰国することが出来た。とはいえ、仕事もなく、彼は借金まみれになってしまった。そのときバイエルンの国王で彼の熱烈な崇拝者だったルートヴィヒ2世が救いの手を差し伸べてくれた。彼らの友情は長続きしなかったが、その後ワーグナーはスイスに居を構え、1870年リストの娘であるコジマと再婚し(ミンナは少し前に死去)、バイロイト音楽祭を開くなど世界的な名声を得た。彼のオペラはそれまで付録のようについていた台詞を音楽と一体化させるという革命的なもので、多くの作曲家に影響を与えた。しかし、第2次大戦中ナチスによって彼の作品が使用されたため、戦中戦後は正当な評価を受けることが出来なかった。
リヒャルト・ワーグナーの死の前年、1882年1月13日に『パルジファル』は完成され、7月26日にバイロイト音楽祭で初演された。バイロイト祝祭劇場の構造に最適化され、理想的に構想された作品が不道徳な劇場や聴衆の手に委ねられている現状に不満を抱き、「せめて最も神聖なこの最後の作品だけでも、世のオペラが辿りがちな運命から守った方がよいのではないか」(1880年9月28日付 ルートヴィヒ2世宛書簡)と考え、当初はバイロイト音楽祭以外での上演は禁じられていたが、1913年12月31日深夜に解禁され、世界各地で上演されるようになった。
最初から最後まで美しい音楽が波打ち、時に高潮することはあっても、過剰な表現はとらない。メンデルスゾーンの「宗教改革」でもお馴染みの「ドレスデン・アーメン」が効果的に使われ、神聖な雰囲気を作り出している。イエスが十字架に架けられた金曜日は19世紀以降、俗に「13日の金曜日」と呼ばれるようになった受難の日であるが、人々に救いと恵みが与えられた神聖な日でもある。実生活では多くの女性たちとの快楽に溺れ、「キリスト教は芸術とは無縁の存在」と書いたこともあるワーグナーがこのような物語を綴ったことに、ワーグナー作品のすぐれた指揮者であったオットー・クレンペラーは、「偽宗教的なガラクタの山」と酷評していたとピエール・ブーレーズは証言している。作品の宗教的性格ゆえ、多くはテンポをゆったり演奏する傾向があるが、ワーグナーは遅いテンポを拒否していた。その証拠に初演のリハーサルでは、指揮のヘルマン・レーヴィに「もっと速く、ぐずぐずするんじゃない」と何度も命じていたという。
ピエール・ブーレーズが1970年にバイロイト音楽祭で振ったときのライヴ録音は、このエピソードを踏まえた上でテンポを速めに保ち、一切の緩慢さを排除し演奏全体を通して聴きやすい。パルジファルが記憶を失い、家を飛び出し、親が悲嘆に暮れて死ぬのも、すべて「神の思し召し」とされ、その力の大きさを象徴するかのように、音楽はあらゆるものを包括し、矛盾なく、淀むこともなく、ある意味容赦なく進行して聖杯の儀式に収斂されることで一件落着する。この物語が孕んでいる問題点は議論の対象になるだろうことは、ワーグナー自身が良く判っていただろうが彼はそれを放置している。であればこそ勧善懲悪のわかり易さで、聖杯伝説の世界にのめり込めるような音楽的空間に浸ることだけを、わたしは楽しんでいる。
ピエール・ブーレーズがバイロイト音楽祭で振った、「パルジファル」は1951年から1973年まで行われたヴィーラント・ワーグナーの演出で、ステージには円盤しかない「新」バイロイト形式のクナッパーツブッシュが指揮していた頃と、ほとんど変わりない演出ですが、舞台装置は同じでも、ブーレーズの演奏はクナッパーツブッシュとは全く異なる。クリスチャン・ティーレマンは、この時のブーレーズの「パルジファル」を聴いて、何ものにも束縛されない自由さと同時にエキサイティングで筋の通った論理的な指揮ぶりに圧倒され、それは彼にとっての「ダマスカスへの道 ― 使徒パウロのキリスト教への転向のこと ― であったと言っています。クナッパーツブッシュより一時間も速い演奏時間が物証ですが、しかし、その明晰な響きは、クナッパーツブッシュの伝統の音とはまた違った強烈な魅力を持つ。音のひとつひとつにエネルギーとパッションが迸る、この「パルジファル」は枯れていない。時間の長さを感じることなく「聖金曜日の音楽」でさえ、決然とした響きでなく、実に柔らかく魔法に包み込まれるような、何事もないかのように音楽がとても素直に感じられる。「パルジファル」は、歌劇でも、楽劇でもなく「神聖祝典劇」とあるが、祝祭劇場の演目という程度の受け取りが良い。「指環」までのワーグナー作品に見られるエゴイスティックは、歳とって息子を得、自分専用の劇場を持つことで、傲慢を張る必要が無くなったのだろう。もちろん、その管弦楽法は高尚化しているけれど、「リエンツィ」や「恋愛禁制」より前に、ワーグナーが書きたかったオペラではないのか。純粋に音楽として、あるいは物語として鑑賞するほどに、実に深遠な意味を汲んでとれた感じが、熊本地震を体験してからは強まっています。
布貼りBOX、解説書付属、1970年8月、バイロイト祝祭劇場録音。プロデュース、エンジニア:ハンス・ヒルシュ&クラウス・シャイベ 。
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