DE DGG 2711012 カラヤン&ベルリンフィル シュライヤー フィッシャー=ディースカウ ヤノヴィッツ バッハ・マタイ受難曲(全曲)
リヒター盤と常に比較試聴したい。 ― 1970年代カラヤンとベルリン・フィルの全盛期がここにある、1972年2月から73年2月まで1年をかけ数回にわたるセッションを入念に行ったというエピソードが有名なカラヤンの《マタイ受難曲》。歌手陣も最高のパフォーマンスを示しています。受難曲とバッハに対するカラヤンの畏敬の念という表現を思い出させます。遅めのテンポで滑らかに進めて、全体は抒情性に包まれている。甘美な高貴のある美しいバッハの音楽の懐の広さを感じさせるのはカラヤンの実力の成果。同じふうにバッハに向かい合っているが、リヒターとは観点の違う演奏。その表現は控えめに思えるけれど、聴き進むにつれ徹底的に彫琢された表現に圧倒され凄味さえ感じる。完璧なオーケストラに最高の歌手陣を惜しみもなく投入した、カラヤン絶頂期の録音。精緻の極にある「マタイ」だ。何にしても、カラヤンが古楽器復興がもたらした最先端のバッハ研究の成果を反映した現代のバッハ演奏であることは間違いない名盤。ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908~1989)はレコード録音に対して終生変わらぬ情熱を持って取り組んだパイオニア的存在であり、残された録音もSP時代からデジタル録音まで、膨大な量にのぼります。常に新しいテクノロジーに関心を抱き、その推進には協力を惜しまず、コンパクトディスクの開発や映像収録についても先見の明を持っていました。指揮者にとってバッハを演奏しない ― バーンスタインのようにあえて録音はしないという指揮者もいましたが ― 、勉強しないということは最もありえません。カラヤンは若い頃からバッハ演奏には力を入れていました。2度の録音がある「ロ短調ミサ」、「マタイ受難曲」などの大作、ベルリン・フィルの名手を総動員した「ブランデンブルク協奏曲全曲」や「管弦楽組曲」にはモダン楽器演奏の究極ともいえる名人芸が溢れています。
カラヤンにはドイツ人の血は一滴も流れていないそうである。カラヤンにはドイツの貴族の称号たる“von”が名前の上についているが、カラヤン家はオーストリアの名門には違いない。故にわたしはフォン・カラヤンと書くことはない。カラヤンの父はオーストリアの医学界の重鎮だったが、祖父はギリシャ人で母はセルビア人、ギリシャから移住してきた彼の祖父が織物業者でドイツに住みつき大いに財を成した。その倅も父に劣らず財をなしてホーヘンツォルレン家から男爵号を授与された。その後、一家はオーストリアに移りカラヤンの祖父と父がともにハプスブルク家の侍医となって、これまた財を蓄えたのでハプスブルク家から男爵号を貰ったという。それ故、ナチの誘いがあったとき生粋のドイツ人フルトヴェングラーは頑固に「ナイン」と言いえたことでも、血をドイツに持たないカラヤンは拒む道理を見出しきれなかった。カラヤンは19歳になったとき、ドイツのウルムという小さな町の市立オペラの指揮者になったが、三流どころと言っていいこのオーケストラを率いてデビューした『フィガロの結婚』は大成功だった。また35歳の頃に、みずから第2ハープシコードを弾きながら『ブランデンブルク協奏曲』を指揮したことがあるが、これを見た或るハープシコード奏者は、「カラヤンは本物のバッハのスペシャリストになることもできたろう」と感嘆し「カラヤンはあらゆるヴィルティオーゾ的魅力をこめた素晴らしい音楽を聴かせてくれた。彼はまるで18世紀のカペルマイスターのようにオーケストラの一員だった。しかも、カラヤンが控え目にコンティヌオ(通奏低音)を演奏していたときすら、オーケストラは稀な完璧度にまで訓練されているのが分った」と言っている。カラヤンのレパートリーの中で、目立たないようで重要な位置をしめているものにバッハがある。カラヤンのバッハは決して堅苦しいものではなく、バロック的な楽しさにあふれている。バッハの作品は最近では古楽器を使用して演奏されることが多くなっていますが、1980年代頃までは現代楽器での演奏が一般的で、通常のオーケストラ・コンサート・プログラムに組み込まれることも多くカラヤンとベルリン・フィルの場合も、ハイドンやモーツァルトに繋がるオーケストラの重要レパートリーの一貫として、《ブランデンブルク協奏曲》や《管弦楽組曲》を演奏することが多かった。カラヤンはベルリン・フィルというモダンな最高の楽器を手に入れたことにより、その機能を最大限活かしたバッハ表現を目指すことができるようになったわけで、革命的な古楽演奏家になる必要はなくなった。ベートーヴェンやブラームス、マーラーからショスタコーヴィチまで、リヒャルト・シュトラウスのオペラにも造詣を広げることが出来て、その意味では他に比較するもののない名演揃いになったとも言える。
カラヤンの指揮ぶりは、その伸ばした腕の位置が、普通の指揮者より少し高い。演奏が満足すべき状態にあると両目を半眼にして、音楽を自分の方へ抱き寄せるふうにして、タクトの動きよりは両腕全体が掌(たなごころ)を内に向けてゆるく上下に波打って動いている。そしてフォルテでは虚空を鷲掴みにして感動を奪い取るように、肘をふるわせては素早く垂直に棒をおろす。髪振り乱す情熱な様子では無いが、その熱狂的な指揮ぶりは、いくらかはバルカンの血のせいだろうという。「カラヤンのレパートリーにはバッハは含まれていたのでしょうか?」そんな素朴な質問に、録音はしているが全曲はない。と質問箱でベストアンサーに選ばれていて呆れるやら嘆かわしいやら。カラヤンの公式盤は死後発売された最後のCDだけがライヴ録音で、全録音が購入できる。ディスコグラフィを調べれば労せず判明する。だから認識不足は隠し立てできない。選び抜いた選抜メンバーを引きつれサン・モリッツで録音したバロックの数々はレコードコレクターは手放すわけがなく、中古市場で目に止まらないことから間違った憶測が立ったのだろうか。バッハからウェーベルンまでをカラヤンは、共感できる音楽だとレパートリーを限っている理由を語っていた。ドイツ-オーストリア音楽を中心にすることに拘り、イギリスやイタリア、フランスの有名曲でさえ、ドイツ的スタイルを適用しにくい音楽はレパートリーとしていない。「ロ短調ミサ」、「マタイ受難曲」、「マニフィカト」の奇をてらわない、かつ荘厳で壮麗。そして、ドイツ色が色濃く出ているバッハ演奏だと感じます。だからこそ、バッハはドイツ音楽の源流として彼の音楽形成に重要だった。それだけ、この時代の曲に対してこだわりがあることを感じます。サン・モリッツでのセッション録音は数日間、寝食を共にし、内容の濃いリハーサルを繰り返し、時にはリハーサル中もテープが回っていました。ここまで徹底してバッハ作品に取り組む演奏家はそうそういないと思います。本盤はカラヤンが1970年代前半に録音した、新約聖書のキリストの受難物語に基づくバッハ畢生の大作。カラヤンとベルリン・フィルの驚くべき表現能力が遺憾なく発揮された演奏だ。
ミサ曲ロ短調、マタイ受難曲を音楽祭のレパートリーとしていたカラヤンは、ピリオド・アプローチで細身の優男に身ぐるみ剥がれたバッハの“音楽の父”として真摯に向き合う音楽の畏敬を復権することに成功した。当時最高の錚々たる歌唱陣とベルリン・フィルを統率するカラヤンの演奏は内省的な表現による徹底的に彫琢された精緻なもので、人類最大の遺産のひとつであるこの名曲を抒情的かつ劇的に表現しています。音で表現しうるものはすべて、このレコードに刻み込んでおこうとでも決意しているかのような彼らの姿勢には、まさに圧倒されてしまう。これらは一つの風景描写的な音楽として、もっと軽くアプローチするような方法もあると思うけれど、カラヤンらはそうはしようとせず、まるでベートーヴェンの交響曲に対する時のように全力投球で挑んでいる。そこらあたりが、この演奏が持つスリリングな要素といえるだろう。詩人の中原中也には変わった癖があったそうです。有名になるほど初対面の印象は大きい。彼は初めて出会った人に必ず同じ質問をしたそうです。それは、「あなたはバッハのパッサカリアを聞いたことがありますか」という質問です。そして、相手が「聞いたことがない」と答えると、心の底から羨ましそうな顔をして、「あんなにも素晴らしいものに出会える喜びがあなたの人生に残されているとは、何と羨ましい」と語ったそうです。この「パッサカリア」は特定の曲を言っているとは言い切れず、勿論、それでもいいのだけれども、相手が一目躊躇するぐらいの曲であることが、推し量るに適している。カラヤンのマタイ、あるいはバッハをどう思うかでもいいが、わたしはサン・モリッツのカラヤンを相手が意識して聞いているかを尋ねる癖がある。
ペーター・シュライアー、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、グンドゥラ・ヤノヴィッツ、クリスタ・ルートヴィヒ、ホルスト・ラウベンタール、ヴァルター・ベリー、アントン・ディアコフ、ウィーン楽友協会合唱団、ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団、ベルリン国立合唱団少年団員、ベルリン大聖堂聖歌隊少年団員、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)。1972〜73年、ステレオ録音。
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