34-21082

商品番号 34-21082

通販レコード→独ブルーライン盤 DIGITAL RECORDING

ノーブルで憂愁にも満ちた〝英国のエルガー〟の香りに満ち溢れた素晴らしいもの。圧倒的な力強さと華やかさ、ヴィヴラートの濃厚な甘さには酔いしれるしかない。 ―  近代イギリスを代表する作曲家、サー・エドワード・ウィリアム・エルガー(Sir Edward William Elgar)は、経済的に恵まれなかったため正規の音楽教育を受けることができず、ほとんど独学で勉強したそうですが、ピアノ調律師で楽器商を営んでいた父親のウィリアムは生業のかたわら聖ジョージ・ローマ・カトリック教会のオルガニストを務めていたそうですから、やはりその血の中には音楽家の資質が備わっていたということなのでしょう。若きエルガーはシューマン、ワーグナーの作品にはとりわけ強く影響を受けたとされています。代表作のひとつである『エニグマ(謎)』変奏曲がハンス・リヒターの指揮によって初演され、オラトリオ『ゲロンティアスの夢』はリヒャルト・シュトラウスが絶賛したことで、その名声はヨーロッパ中に広まります。エルガーのもっともポピュラーな作品である行進曲『威風堂々』第1番中間部の有名な旋律は、今日『希望と栄光の国』として愛唱されイギリス第2の国歌とまで称されています。1914年(旧吹込み)以来エルガーはレコーディング活動にも積極的であり、1920年にマイクロフォンによる電気吹き込みの技術が新しく開発され、エルガーは自身の代表作を次々とレコーディング、ビートルズが使用したことで有名なEMIのアビー・ロード・スタジオで初録音をおこなったのはエルガーでした。本盤の《ヴァイオリン協奏曲》は、エルガーが自身の最も親しんだこの楽器のために書いた唯一のものであり、当時のスーパー・スターであるフリッツ・クライスラーが初演、彼に捧げられました。エルガーらしい甘美な旋律もさることながら、細かなオーケストレイションやピツィカート・トレモロといった特殊なテクニックを要する箇所も登場します。そして、スコアの扉にスペイン語で「ここに・・・・・の魂が秘められている」と謎の引用句が記されている。ここは正しくは5つの臥せ文字。エルガーは真相を明かすことはありませんでしたが同時代の仲間や後世の研究家が様々名前を予測し、それがこの協奏曲の難解さを助長、聴く人の好奇心を刺激するポイントにもなっている。これはアラン=ルネ・ルサージュという作家の「ギル・ブラス Gil Blas」という小節の一句だそうですが、曰く5文字は画家ジョン・エヴァレット・ミレーの娘でエルガーが「アネモネ Windflower」の愛称で呼んでいたアリス・ステュアート=ワートリー男爵夫人(Alice)であるという説。エルガーの元カノだったヘレン・ウィーバー(Helen)だったという説。エルガーのアメリカの友人であるユリア・ワージントン(Julia)であるという人。更にはエルガー夫人のアリスその人、いやエルガーの母だという意見もある上に、実はエルガー本人(Elgar)だという意見も登場するほど。他にも7~8人にも及ぶようです。音楽も正にそれを反映し、この協奏曲には3つの楽章に登場するテーマは7つか8つほど。第1楽章第2主題、第2楽章冒頭、第3楽章の第2主題は、それぞれ異なる女性を想わせ、第2楽章と第3楽章でエルガー得意の表情記号である「Nobilimente」で出現する言わば「貴族の主題」の人物は重要で、怪人二十面相宜しく、変形されたモチーフで特に第2、3楽章の多くの箇所に登場します。こうした登場人物たちは3つの楽章で複雑に絡み合い、時には変奏されることから、この《ヴァイオリン協奏曲》を難しくしている根本です。ヴァイオリンの奏法はバロック時代に確立しきっていますが、特に第1楽章第2主題がエルガーの発明になるという弦のピチカート・トレモロに導かれて登場する主題は「謎」の鍵かもしれません。イツァーク・パールマンのヴァイオリンは豊かな表情を湛え、魅力あふれたこの作品を存分に弾き込んでおり、特段に美しい響きを聴かせる。超高音の音程の正確なこと。一つ一つの音が、どんなに難所でも、はっきりと、きらびやかに鳴っています。1981年3月シカゴ録音。オーケストラのクレッシェンドを実感するためには、全楽器が同時にスタートしてはならない。クレッシェンドはすべての音が聞き取れるようなやり方で有機的に組織化されなければならない。つまり、それぞれの楽器の音が完全に伝わってこなければならない。指揮者というものは聴覚的に考えることができなければならない。 ― ダニエル・バレンボイムにとってエルガーは特別な作曲家です。若い頃にイギリスを拠点に生活していたバレンボイムは、バルビローリとの関わりもあってか、エルガーの作品には特別な親しみを感じていたようで、実演だけでなくレコーディングにも早くから取り組み、交響曲や管弦楽曲、協奏曲で成果を上げてもいました。高貴で優美、かつ情熱にも満ちた第1楽章、抒情のしたたりに思わず目頭が熱くなってしまう第2楽章。そして、ソロの早いパッセージが連続しスリリングな第3楽章。それが、最後には、1楽章の冒頭の高貴な旋律が回帰してきて、感動の高まりは最高潮となる。けっこう自由なアプローチも、感興重視のバレンボイムならでは。人気の点では確かにチェロ協奏曲に一歩譲るものの、パールマンは高いテクニックを駆使し、懐深いおおらかな歌を聴かせています。ヴァイオリン協奏曲としては50分を超える超大作を、気が付くと、すっきりとした気分で聴き終えている。パールマンとバレンボイムのとても美しく丹精な演奏。みずみずしく、余裕さえ感じられるバレンボイムのリードの下、パールマンが持ち前の美しく華麗な音色で思う存分に演奏している様に感じる。
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イツァーク・パールマン(Itzhak Perlman)は1945年8月31日、イスラエルのテルアビブ生まれ。4歳3ヶ月のとき、ポリオ(小児麻痺)にかかり、下半身が不自由になってしまう。それでもヴァイオリニストになる夢をあきらめず、幼少ながらシュミット高等学校でヴァイオリンのレッスンを続ける。その後、アメリカ=イスラエル文化財団の奨学金を受けて、テル・アヴィヴ音楽院でリヴカ・ゴルトガルトに師事し、10歳で最初のリサイタルを開いた。これを機にラジオにも出演。その後、アイザック・スターンの強い推薦を得てジュリアード音楽院に入学、名教師イヴァン・ガラミアンとそのアシスタントのドロシー・ディレイのもとで学ぶ。アメリカでの正式デビューは、1963年3月5日、17歳の時にカーネギー・ホールに於いて弾いたヴィエニャフスキのヴァイオリン協奏曲第1番であった。彼が22歳の時に録音した最初のコンチェルト・グループ ― チャイコフスキー、シベリウス、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番 ー の入れなおしを完了した時、これらの初録音を未熟だと思っていると言っていた。パールマンほどの名手になると、若き日の録音はそれなりに価値があり、一人の偉大なアーティストの成長の軌跡をたどることの出来る貴重なドキュメントというべきだろう。パールマンは13歳の時、エド・サリヴァン・TVショーのゲストに招かれて、渡米して研鑽を深めるきっかけを掴んだが、このレコードの発売当時、彼は自己を語っている。『ぼくは、ぼくが13歳で信じがたいほどの驚異的天才であったとは信じていない。OK、ぼくは才能に恵まれてはいたが、アブノーマルな天才じゃなかったな ― 天才とは、良かれ悪しかれ、アブノーマルなもんでしょう。ぼくの場合には、それは健全な才能だったし、ぼくの生活からかけ離れたものじゃなかった(グラモフォン誌 1981年9月号)』フリッツ・クライスラーとヤッシャ・ハイフェッツのレパートリーを現代に更新し充足しうるヴァイオリニストと言ったら、パールマンを措いて他にないだろう、と期待が大きかった時代を邂逅できるレコード。全ての音程は完璧に制御され、徹底的な美音、暖かで繊細・豊麗な歌い回し等が彼の演奏の特徴である。レパートリーは極めて広く、協奏曲・ソナタのみならず、クライスラーなどの小品集でも高い評価を受ける。また純粋クラシック音楽以外の分野も手がけ、ユダヤの民族音楽を歌ったものやスコット・ジョプリンのラグタイム集などの演奏等の業績も見られる。パールマンが弾く楽器は、1986年に得たグァルネリ・デル・ジェスの「ソーレ(Sauret, 1740〜1744)」と、同じく1986年にユーディ・メニューインより購入した、ストラディヴァリウスの黄金期に類される1714年製「ソイル(Soil)」。前者はかつてフランスのヴァイオリニスト、エミール・ソーレが所有していた、後者はパールマンが23歳の時にメニューインに弾かせてもらい恋に落ちた楽器で、「もし手放す気になった時には是非僕に売ってください」とお願いしていた。
近年、クラシック音楽の新録はダウンロード配信だけのケースが増え、往年の大演奏家たちの活動の把握が難しいが2014年から新たな「エルガー・プロジェクト」をシュターツカペレ・ベルリンとスタートしている。1942年生まれのダニエル・バレンボイム(Daniel Barenboim)は言うまでもなく現代を代表する指揮者でもあり、また長らく一流のピアニストでもあり続けている。短期間に膨大な演奏や録音を熟すことでも知られる、市場が縮小した今日においても定期的に新譜を出せる数少ない指揮者である。バレンボイムがピアニストとして録音を開始したのは1955年のこと。しかし本格的な録音プロジェクトがスタートしたのは1960年代になってからで、まずウェストミンスター・レーベルで、続いてイギリスEMIでピアニストとしての継続的な録音が開始されました。特に1965年に始まる指揮者無しでのイギリス室内管弦楽団との密接な関係はピアノ協奏曲を始めとするモーツァルト作品の網羅的な録音が行なわれましたが、バレンボイムが初めてコロンビア・レコードに録音するのはこの時期で、ピンカス・ズーカーマンとのモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全集の指揮者として登場。イギリス室内管とはロドリーゴをジョン・ウィリアムズのギターを迎えて、大注目された録音しています。1970年代前半には交響曲2曲のほか、「エニグマ変奏曲」や「威風堂々全曲」をはじめ、名作「海の絵」まで含む、ロンドン・フィルとのエルガーの主要オーケストラ作品を録音し、〝隠れエルガリアン〟としてのバレンボイムの姿が浮かび上がります。フィラデルフィア管弦楽団を指揮して当時の夫人ジャクリーヌ・デュ=プレと共演したチェロ協奏曲のライヴ録音もその延長線上でレコード化されました。同世代の非英国人の音楽家で、ここまでエルガーの音楽に肩入れしているのはバレンボイムぐらいなもの。そしてロンドン・フィルハーモニー管弦楽団との名演は1975年の巨匠アルトゥール・ルービンシュタイン3度目のベートーヴェンのピアノ協奏曲全集での、スケールの大きな音楽作りに結実します。最熟期のルービンシュタインの気力充実した極大のピアニズムに引けを取らないオーケストラの深みのある鳴らしっぷりはバレンボイムの指揮者としての新境地を感じさせるもので、ピアニストとしてこれら5曲をオットー・クレンペラーという大指揮者と録音したバレンボイムが今度は指揮者として、やはり大巨匠のルービンシュタインと同じ5曲全てを録音した、という点でも大きな話題となりました。ピアニストとしての録音では、ズービン・メータ指揮ニューヨーク・フィルハーモニックとのブラームスのピアノ協奏曲2曲、メータ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とのリヒャルト・シュトラウスの協奏的作品「ブルレスケ」は、いずれもバレンボイム唯一の録音であるほか、イツァーク・パールマンとのブラームスのヴァイオリン・ソナタ全曲。同じころにピエール・ブーレーズの指揮でベルク「室内協奏曲」の録音に、ピアニストとしても参加しています。
ダニエル・バレンボイムはピアニスト、指揮者として、これまでにほぼすべてのメジャー・レーベルから膨大な録音をリリースしてきていますが、ことソニー・クラシカル(旧コロムビア時代からCBSおよびRCA REDSEAL)への録音には他レーベルにはないいくつもの特徴があります。音楽監督をつとめていたパリ管弦楽団とは、ベルリオーズを始めとするフランス音楽のエッセンスともいえる作品の名演が記録されています。現在のところ唯一の録音である「テ・デウム」や「イタリアのハロルド」、「トロイ人」の「王の嵐と狩」など、ドイツ・グラモフォンでのベルリオーズ・チクルスでは録音されなかった作品が聴けるのもソニー・クラシカルならではといえるでしょう。火照るようなロマンティシズムが溢れ出てくるシェーンベルク「ペレアスとメリザンド」も、冷徹なミヒャエル・ギーレンらとの解釈とは対極にある個性的な名演です。また同時期に録音されたニューヨーク・フィルとのデビュー録音となったチャイコフスキーの交響曲第4番は、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの絶頂期を思わせるドラマティックな音楽作りが特徴で、バレンボイム初期の指揮録音の中でも傑出した名演にもかかわらず、話題にならないのが不思議なほどです。ブラームスはピアノ協奏曲を2曲書きました。2曲とも屈指の大作であり名曲ですが、特に第2番は古今のあまたのピアノ協奏曲の中でも最高峰だと思っています。恩師シューマンへの敬意とクララへの憧れが入り混じる作曲家の若書きの1番のいかつい協奏曲にくらべ、2番は自由な気概に満ち、のびのびしたここで聴くブラームスの音楽は、私の心を解きほぐしてしまう。ブラームスがイタリア旅行中に構想を得たという2番は、陽光にあふれ、一点の曇りもありません。ピアノはバレンボイムらしいルバートが見られ豊か。ピアノの表情の転換や多彩さは見事。表情豊かなピアノをオーケストラが自己主張せず巧くサポートして引き立てる。それでもメータのテンポは颯爽としているので音楽が引き締まっている。活力はあるが単に突っ走るのでなく入念でもある。知と情のバランス。やっぱりバレンボイムは並みのピアニストではない。2年ぶりにバレンボイムを取り上げるにあたって、ブルックナー交響曲全集を聴き返して同じ感慨をもったのですが、バレンボイムの指揮には「重いよー」と弱音を吐いてしまうことが多い私ですが、ピアノは何時聴いても素晴らしい。
不治の病で没したチェリスト、ジャクリーヌ・デュ=プレの元夫。エドウィン・フィッシャーの弟子。1991年よりゲオルク・ショルティからシカゴ交響楽団音楽監督の座を受け継いでからは、卓越した音楽能力を発揮し、現在は世界で最も有名な辣腕指揮者のひとりとして知られている。ヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタインから近年のギュンター・ヴァントやカルロ・マリア・ジュリーニ、ガリー・ベルティーニに至るまで、第二次大戦後に活躍してきた指揮界の巨星が相次いで他界した後の、次世代のカリスマ系指揮者のひとりとして世界的に注目と期待が集まっている。オペラ指揮者としては、1973年にエディンバラ音楽祭において、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」を指揮してデビュー。1981年にはバイロイト音楽祭に初めて招かれた。1992年からはベルリン国立歌劇場の音楽監督に就任し、現在まで継続している。アルゼンチン生まれのため、南米出身のラテン系の音楽家というイメージが強いが、両親がともにユダヤ系ウクライナ人であり、ウラディミール・ホロヴィッツ、シューラ・チェルカスキーらと同郷のウクライナの血を引いた音楽家である。ダニエル・バレンボイムは、10歳の時に戦後建国されて間もないイスラエルに移住。その後、オーストリア・ザルツブルクに移り、モーツァルテウム音楽院で学んだ。ピアニストでいえばモーツァルト弾きで名高いイングリット・ヘブラーと同じ音楽院の出身で、バレンボイム特有の粘着質で重々しい音楽からすると意外な印象を受ける ― ただし、モーツァルトは彼の得意なレパートリーではある。ピアノを弾く姿は、椅子を高くして、決して長くない腕を斜めに下げた状態で、鍵盤に腕ごと指を打ち下ろすというもの。彼の弾くハンブルク・スタインウェイからは、他のピアニストにはない粘りのある分厚い重い音が出てくる。それはクラウディオ・アラウやハンス・リヒター=ハーザーのようなドイツ系のピアニストの輝きを持つ重厚感や、師のエドウィン・フィッシャーの音楽とは異質な音である。1954年夏、死の直前で聴力をほとんど失っていたヴィルヘルム・フルトヴェングラーから「天才少年」と賞賛を受けたことで、フルトヴェングラーへの思いは強くなり、バレンボイムの指揮ぶりにはフルトヴェングラーの重厚さ・壮大さを常に意識したところがある。音楽を大量生産する人物、政治的な策略でポストを得てきたフルトヴェングラーのエピゴーネンであるなど、バレンボイムを『指揮は出来ないが、いいピアニスト』と語っていたセルジュ・チェリビダッケのような精緻な音楽を基本とする大指揮者から評価されている。パリ管弦楽団音楽監督時代、ドイツ・グラモフォンに録音したラヴェルとドビュッシーは評価が高い。
ダニエル・バレンボイムは演奏家である前に、独自の音楽観を持った音楽家であり、楽想そのものの流れを掴むことのできる稀有な才能の持ち主であろう。テンポの揺れは殆ど無く、凪の中で静かに時間が進み、色彩が移り変わっていく。全体的には厚めの暖かみのある音色で、煌めき度は高くなく沈んだ暖色系の色がしている。ピアニストからスタートして、もともとフルトヴェングラーに私淑していたこともあり、さらにメータ、クラウディオ・アバド、ピンカス・ズッカーマンなどとともに学びあった間柄で、指揮者志向は若い時からあったバレンボイム。7歳でピアニストとしてデビューしたバレンボイムの演奏を聴いた指揮者、イーゴリ・マルケヴィッチは『ピアノの腕は素晴らしいが、弾き方は指揮者の素質を示している』と看破。1952年、一家はイスラエルへ移住するが、その途上ザルツブルクに滞在しヴィルヘルム・フルトヴェングラーから紹介状〝バレンボイムの登場は事件だ〟をもらう。エドウィン・フィッシャーのモーツァルト弾き振りに感銘し、オーケストラを掌握するため指揮を学ぶようアドヴァイスされた。ピアニスティックな表現も大切なことだとは思いますが、彼の凄さはその反対にある、音楽的普遍性を表現できることにあるのではないか。『近年の教育と作曲からはハーモニーの概念が欠落し、テンポについての誤解が蔓延している。スコア上のメトロノーム指示はアイディアであり演奏速度を命じるものではない。』と警鐘し、『スピノザ、アリストテレスなど、音楽以外の書物は思考を深めてくれる』と奨めている。バレンボイムの演奏の特色として顕著なのはテンポだ。アンダンテがアダージョに思えるほど引き伸ばされる。悪く言えば間延びしている。そのドイツ的重厚さが、単調で愚鈍な印象に映るのだ。その表面的でない血の気の多さ、緊迫感のようなものが伝わってくる背筋にぞっとくるような迫力があります。パリ管弦楽団音楽監督時代、ドイツ・グラモフォンに録音したラヴェルとドビュッシーは評価が高い。シュターツカペレ・ベルリンとベートーヴェンの交響曲全集を、シカゴ交響楽団とブラームスの交響曲全集を、シカゴ交響楽団及びベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とブルックナーの交響曲全集を2種、それぞれ完成させている。ピアニストとしてより指揮者として顕著さが出る、この時期のレコードで特に表出している、このロマンティックな演奏にこそバレンボイムを聴く面白さがあるのです。「トリスタンを振らせたらダニエルが一番だよ」とズービン・メータが賞賛しているが、東洋人である日本人もうねる色気を感じるはずだろう。だが、どうも日本人がクラシック音楽を聞く時にはドイツ的な演奏への純血主義的観念と偏見が邪魔をしているように思える。
  • Record Karte
  • 1981年3月シカゴ、オーケストラ・ホールでのステレオ・デジタル、セッション録音。
  • DE DGG 2532 035 パールマン&バレンボ…
  • DE DGG 2532 035 パールマン&バレンボ…
エルガー:ヴァイオリン協奏曲
パールマン(イツァーク)
ポリドール
1994-07-01

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